61 篠塚君の後悔
金曜の夜、大学時代の友人三人と居酒屋で待ち合わせの予定。
雨月と千歳は一緒の店に行くものの、別の席で僕を見守るということになった。
「俺は親戚のふりならそこそこできるが」
「そうだろうけど、父方母方どっちの親戚だとか、嘘の設定が多いと僕が覚えられそうにないんだよ。酔ったらボロを出しそうで嫌なんだ。それに、彼らには嘘をつきたくない」
「ふむ。まあいい。俺は春人と同じ店の中にいられれば文句はない」
千歳がウンウンとうなずいている。
予約は僕が入れた。僕ら四人の席を予約した上で、別に二人分の予約を入れた。「テーブルをくっつけることもできますよ」とお店の人に言われたけど、背中合わせの席がいいと伝えた。変な予約客だと思われたかも。
◇
僕が最初に店に到着し、次に来たのは田中君。「よお、統神、久しぶりだな」と、相変わらず元気そうだ。続いて山本君。「よっ! 元気か。半年ぶりだな」といつもの優しい笑顔。
三人目の篠塚君は「悪い、待たせた」と言って遅れてきた。篠塚君は少し痩せたような気がする。
雨月と千歳は僕と背中合わせの席で、先に食事を始めている。雨月たちは生ビールと唐揚げを注文している。
僕と友人たちは全員二十七歳。仕事が山ほど回ってくる時期だ。だから自然に仕事の話になった。民間の会社で働いている三人は、相当忙しいらしい。そんなに忙しいのに、田中君は恋人との関係が順調だそうだ。
「すごいねえ。どうやって仕事と恋愛を両立させてるの? 残業も多いんだろう?」
「どうって。普通だ」
「そんなに忙しかったら、休みの日は寝て終わっちゃいそうなのに」
僕と田中君のやり取りを山本君が「俺も休みの日は寝てるなあ。起きたらたいてい昼過ぎだよ」と枝豆を食べながら言う。たしか山本君は、仕事が忙し過ぎたのが原因で、恋人と別れたんだった。
篠塚君もうなずいて聞いている。篠塚君はやっぱり痩せたと思う。顎のラインがシャープになった。仕事が大変なんだろうか。
その後はそれぞれが仕事の話をした。成果が出たとか評価されたとか、上司に怒られた話とか。
僕は篠塚君が店に入ってきたときから、彼の足元をあまり見ないように気をつけている。
というのは、彼の足元に寄り添うゴールデンレトリーバーがいるから。僕以外の人には見えないらしいゴールデン。機嫌がよさそうで、尻尾をゆらゆらさせながら篠塚君の足元に伏せている。悪いものではなさそうに見える。僕はこんなものも見えるようになったんだねえ。
ゴールデンの口の周りの毛が白くなっているから、いい年齢なんだろう。優しい顔で、少し口を開けて笑っているように見える。ゴールデンは僕と目が合うと少し首を傾けて、尻尾を二度ほど大きく振った。敵意は欠片も感じない。
一時間ほど過ぎたところで篠塚君がトイレに立った。僕も一緒に席を立った。用を足して手を洗いながら、篠塚君に話しかけた。
「少し痩せたみたいだけど、大丈夫?」
「統神は昔から、そういうことによく気づくよなあ。ちょっとね、落ち込むことがあったんだ。気が滅入って少しだけ食欲がない。ほんと、少しだけな。心配いらないから」
「実家のワンちゃんになにかあった?」
篠塚君が無言で目をむいて僕を見た。そして目が少しだけ潤んだ。
「なんでルイの話? ていうか、統神はルイに会ったことないよな?」
「ないよ。以前、実家の犬がすごく大切だって話を聞いたことがあるだけ」
「ルイのこと、誰かに聞いたのか?」
僕は首を振って、篠塚君の足元を見た。ルイちゃんはユラユラと尻尾を振りながら僕たちの会話を聞いている。相変わらず笑っているような優しい顔だ。篠塚君が「そうだよな。俺の家族がわざわざ統神に言うわけないよな」と自分で自分を納得させている。
「篠塚君の家族は僕の連絡先を知らないでしょ?」
「そういえばそうだった。俺さ、ルイがいよいよ危ないって母さんから電話を貰ったのに、仕事に追われて帰れなかったんだ。ルイは俺に一番懐いていたのに、最期に間に合わなかった。昔、いろいろあって俺が荒れているとき、ルイがいてくれたおかげで助けられたことがいっぱいあったんだよ。それなのに、ルイに申し訳なくて……」
篠塚君が唇を噛んだ。彼の目に涙が盛り上がる。どうしようか。言ってしまおうか。言ったところでルイちゃんは戻らないけど、篠塚君は少し心が楽になるかもしれない。楽になるよね? 余計に苦しんだりしないよね? ああ、わかんないな。ペットを飼ったことがないから微妙な心理が僕にはわからない。
迷っていたら雨月がトイレに入ってきて、いきなり僕に話しかけた。
「春人、教えてやればいい。それはしばらくしたらいなくなるぞ」
「そうなの?」
「その大きな犬は、なにか気がかりなことがあるようだ」
「ええと、統神君? こちらの方はお知り合い?」
僕はどこから話して何を伝えるべきか。焦る。
ルイちゃんがそのうちいなくなるなら、その前に気の済むまで篠塚君にお別れをさせてあげたいけど。
ああもういいや、僕が怪しまれてもいい。
「彼は僕の親戚だよ。詳しいことはあとで。それより今は、篠塚君に伝えたいことがある。あの、信じられないだろうけど、ルイちゃんらしいゴールデンが篠塚君の足元にいるんだ。この店に入ってきたときからずっと篠塚君の右側に寄り添ってる。口の周りがすっかり白くなっているから、長生きできたんだね」
篠塚君は疑わしそうな顔で僕を見て、自分の右脚を見た。そうだよねえ、胡散臭く思うよねえ。でも、僕は胡散臭く思われてもいい。
「ルイちゃんが笑っているような顔で今、君の顔を見上げながら膝の辺りにお手をしているんだよ」
「やめて。宗教の勧誘だったらお断りだ。ルイの話をしても無駄だよ」
「そっか、そう思うか。ごめん、忘れて。宗教の勧誘ではないよ。それだけは言っておくね。とりあえず席に戻ろうか。僕たちがいつまでもトイレにいたら、田中君と山本君が心配する」
「うん、そうだな。戻ろう」
席に戻り、「どうした、具合悪いのか?」と心配する田中君と山本君に篠塚君は、「大丈夫。ちょっと疲れてるだけ」と笑って答えた。
久しぶりの集まりは二時間でいったんお開きになって、場を変えようかという話になった。
篠塚君は「体調がいまいちだからここで帰る」と言って、僕らの飲み会はそれで終わった。雨月と千歳もほぼ同時に席を立って、外で立ち話をしながらさりげなく僕を待っていた。
歩き出して少したってから、僕のスマホが振動した。篠塚君からだ。電話に出ると、『今から話ができる?』と言う。気が変わったんだろうか。僕は「うちにおいでよ。待ってる」と答えた。
僕と雨月たちに少し遅れて、篠塚君がうちに来た。部屋に入って雨月と千歳を見て、「えっ、さっきの人……。なんで?」と驚いた。当の雨月は部屋の真ん中に立ったまま、無言無表情でルイちゃんを見ている。
朧が千歳の腕の中から飛び出し、トトトとルイちゃんに近づいた。そして鼻と鼻をチョンとくっつけてから「ぷごっ」っと鳴いた。朧にも見えるんだね。
さて、僕はどこから説明したらいいのか。頭がおかしくなったと思われないように説明するのが難しそうだ。
7月3日(金)のできごと。




