プロローグ
蛍光灯の光は容赦なく僕の視界を刺し、パソコンのファンが乾いた唸りをあげていた。
画面は真っ赤なエラーログに埋め尽くされ、電話の向こうからは怒鳴り声。
「ふざけるな、今日中に直せって言っただろう!」
背後では上司が腕を組み、氷のような目をこちらに向けている。
「……はい、あと少しで……」
声を絞り出すが、カレンダーはすでに“今日”を三度越えていた。
机の端に放り出されたカップ麺は、もう湯気を立てることもなく冷え切っている。
(……帰りたい。眠りたい。もう、なにも考えたくない……)
重くなったまぶたを支えきれず、僕は机に突っ伏した。
―カチリ。
不意に、時計の秒針が止まった。
音も光も失われていく。
気づけば、僕の意識は暗闇の中に沈んでいた。
……声がした。
「役割を果たす為に必要なものを与えよう」
低くも高くもない、男とも女とも判別できない声。
その一言とともに、何かが僕の中に流れ込んでくる。
脳の奥が焼かれるように熱い。
耳にしたことのない言葉が、意味を持った音として理解できるようになる。
(……なにを……与えるって……? 誰だ……?)
問いかけても、返事はなかった。
ただ、どこかで笑い声がした気がした。
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目を開けると、そこは見知らぬ場所だった。
灰色の空。
晴れでも曇りでも夜でもない、色彩の抜け落ちた空が広がっている。
足元は古びた石畳の道。
木造の小さな家々が並び、人々が行き交っていた。
「……どこだ、ここ……」
思わず声に出す。
その瞬間――。
「おい、大丈夫か?」
見知らぬ男が、穏やかな顔で僕を覗き込んでいた。
さらに数人の村人が集まり、興味深そうに僕を見つめてくる。
「見慣れない顔だな」
「新しく来たのかい?」
驚いた。
彼らの言葉は初めて聞くはずなのに、意味が自然に理解できる。
困惑する僕をよそに、村人たちはにこやかに笑った。
その笑みは少しも揺らがない。
「ようこそ、我らの村へ」
どの顔にも、作り物のように整った笑顔が張り付いていた。
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(……なんだ、ここ……? 夢、なのか……?)
疲れ切った心は混乱よりも安堵を求めた。
怒号も、締め切りも、重たい上司の視線もない。
ただ灰色の空の下、穏やかな人々が僕を受け入れてくれる。
(……ここなら……眠れるのかもしれない……)
そう思った時だった。
空の彼方から、かすかな嗤い声が響いた。
姿はどこにもない。
「――役を果たせ」
ぞわりと背筋に冷たいものが走る。
僕は思わず辺りを見回した。
だが村人たちは変わらず微笑み、ただ静かに僕を迎え入れていた。