1話 異界の村へ
「――おい、大丈夫か?」
耳に飛び込んできたのは、柔らかな声だった。
ぼんやりと瞼を開くと、知らない男がこちらを覗き込んでいた。
背後には数人の人影。みんな一様に笑みを浮かべて、僕を取り囲んでいる。
「見慣れない顔だな」
「新しい人かい?」
灰色の空の下、古びた石畳の上で、僕は呆然と彼らを見上げていた。
聞いたことのない言葉なのに――不思議と意味が理解できる。
(……あの声のせい、なのか……?)
意識が暗転する直前に聞いた囁き。「役割を果たす為に必要なものを与えよう」。
あれが、今の僕に“言葉”を与えた?
そう思った瞬間、背筋に薄い寒気が走ったが、すぐに村人たちの柔和な笑みにかき消された。
「お前さん、名前は?」
促されるまま、口を開く。
「……高見匠です」
目の前の男はニコリとして
「タクミでいいか?」
「え……」
その場にいた誰もが頷くように「タクミ、タクミ」と口にした。
「……あ、はい。タクミで」
(断る理由もないし……まあ、いいか)
軽く受け入れた――そのはずなのに、胸の奥に小さなざらつきが残った。
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村人に案内されて歩くと、家々の軒先からは糸車の音が響いていた。
カラカラ、カラカラと一定のリズム。
老人も子供も、手を動かしながらにこやかに微笑んでいる。
「糸を紡ぐのは、わしらの大事な役目さ」
「役を果たしてこそ、この村は保たれるんだよ」
説明する声に合わせて、石畳の道の先――広場に出た。
そこには古びた石碑が立っていた。
表面には三つの言葉が刻まれている。
――笑顔を絶やすな。
――役を果たせ。
――声を揃えよ。
「これは……?」
僕が問うと、隣の老婆がにこやかに答えた。
「村の掟さ。誰もが守っている、当たり前のことよ」
その顔もまた、微笑みを絶やさない。
石碑に刻まれた言葉を見つめ
(……これは夢なのか)
そう思いほっぺをつねると痛みが走る。
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「こっちへ」
村人に促され、木造の一際大きな家に入る。
そこで待っていたのは、白髪混じりの長い髭をたくわえた老人――村長だった。
柔らかな笑みを浮かべ、静かに僕を見つめる。
「遠いところから来たのだろう。疲れただろうな」
「……ええ、まあ」
(遠いところ、か……どこから来たかなんて、自分でもよくわかってないけど)
「名は?」
「タクミです」
名を告げると、村長は少し目を細めて頷いた。
「……そうか。君は、少し――他の者とは違うようだな」
「え?」
「いや、気にすることはない」
笑みを浮かべながら、村長はそれ以上言葉を続けなかった。
(……なんだ、今の……?)
胸の奥に、不安の種がひとつ落ちた気がした。
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村を一通り案内され、日が傾いた――といっても、灰色の空は色を変えない。
ただ、鐘の音が遠くで鳴り、人々が「夜の時間だ」と口にした。
僕は石碑の前に立ち、空を見上げる。
灰色の空。太陽も星もなく、ただどこまでも続く曖昧な天蓋。
(……ここでなら、新しい人生を始められるかもしれない)
そう思う一方で、心の奥底では――得体の知れない不安が形を作り始めていた。




