赤い世界
その夜だった。喜翔が家の三階から飛び降りて自殺したのは。
喜翔を蔑ろにしてきた両親もこれには面食らったようだ。
悲しげな顔をしたけど、「しのじゃなくて良かった」と言った。
喜翔の自室の机の上には「愛の為なら喜んで翔ぶ」とだけ書かれた紙が置いてあった。
カッターナイフで何度も深く切りつけられた勉強机は喜翔の血で赤黒く染まっていた。
部屋の中はまるで殺人現場だった。喜翔のリストカットは続いていたようだった。
遺体にはいくつもの新しい傷があった。喜翔は最期まで歪んだ愛をもった人だったと思う。
どうしてそんなに歪んでしまったのか、結局知ることはできなかった。
あれだけ憎くて死んじゃえばいいと思っていた人だけど、
いざ死んでしまうと何を考えて生きていたのか、どうして私に執着してたのか、ちょっとだけ知りたいと思ってしまう。
「死ねばいいのよ」といつだったか私は喜翔に言った。
その通りになったけど、満足感は得られなかった。
喪主を務めるお父さんは疲れ切った顔でお話をした。
そのマイクを取り上げる、祖母。祖母は車椅子に乗っていて、怒った、憎悪に満ちた顔で言った。
「喜翔はこの親どもに殺されました」
と。その声は震えていた。
もうやめてくれと思った。もうこれ以上私の心をいじめないでくれ、と。
親族が集まっている会場はざわつき、葬儀会館のスタッフさんが慌ててマイクを取った。
祖母は何やら喚いていたけど、もう何も聞きたくなくて耳を塞いだ。
葬儀の日には雨が降っていた。
一つの傘で、お互いの肩を片方ずつ濡らしながら京と葬儀会館を見上げた。
「目標が潰えたわ」
「また新しい目標をもてばいい」
「もう自分の兄を起訴して有罪にする以上の目標なんてもてない」
「ゆっくりでいいんだ。ゆっくり探そう。主治医もそう言ってたんだから」
「もう、何もかもわからない」
「それは思考を拒否してる証拠だ。
考えるんだよ、今しなきゃいけないこととその次にしなきゃいけないことを。
今しなきゃいけないことはお兄さんを弔うことで、次にしなきゃいけないことは僕らの結婚式だ。
うんと素敵な式にしよう。お兄さんが心から嫉妬するくらいに」
私は自分の頰に涙がつたうのを感じた。なぜ自分が泣いているのかわからなかった。
京は静かにその雫を指ですくった。
「幸せになろう。他の誰よりも幸せだと言えるくらいに」
京は言った。




