帰還
第六話 帰還
「迎撃完了。これより帰還する」
俺は無線にそう告げると、零戦をゆっくりと旋回させた。
『了解。慎一、気をつけて帰って来て』
京子の声には、いつもの落ち着きがなかった。
「もう敵はいないだろ。あとは帰るだけだ」
『その油断が危ないんです。基地に着くまでが戦闘だと思ってください』
「はいはい、了解」
通信を切ると、急にコクピットの中が静かになった。エンジンの振動と風切り音だけが身体を包んでいる。ついさっきまで八機のマスタングを相手に飛び回り、レールガンを撃っていたことが嘘のように、眼下の海は穏やかだった。
俺は計器へ目を走らせた。速度、高度、燃料、油温、出力。異常を示すものは何もない。
「しかし……とんでもない零戦になったもんだな」
試験飛行のつもりだった。それが、まさか米軍機と遭遇して実戦になるとは思ってもいなかった。
しかも相手は八機。
それを全部落とした。
俺は操縦桿を握ったまま、自分の右手を見た。最初の一機を撃った瞬間、レールガンの弾丸を受けたマスタングは白煙を上げながら空中で砕けた。二機目は少し狙いが逸れたが、片翼を吹き飛ばして海へ落ちていった。
その後は、自分でもよく覚えている。
急上昇して敵機の上へ出たとき、三機のマスタングがちょうど一直線に重なった。そこへ一発撃っただけだった。弾丸は三機をまとめて貫き、あっという間に五機が消えた。
最後に逃げた二機もそうだ。ブースターで追いつき、後ろの一機へ撃った弾丸が、その前を飛んでいたもう一機まで貫いた。
「……やっぱり、あのレールガンはおかしいな」
撃った本人でさえ、いまだに信じられない威力だった。
だが、その中には人間が乗っていた。
そう思った瞬間だけ、胸の奥が少し重くなった。
六十六歳の誕生日にワインを飲みながら、YouTubeで零戦の動画を見ていた自分が、今は一九四二年の空で人を撃ち落としている。
どう考えても、まともな人生ではない。
それでも、撃たなければ自分が撃たれていた。
戦争とはそういうものなのだろう。
「考えても仕方ないか」
俺は小さく息を吐き、前方へ目を戻した。
やがて水平線の向こうに島が見えてきた。最初に三上慎一が不時着し、その命を失った島。そして今は、二〇五三年からやって来た京子たちの未来基地が隠されている島だった。
基地へ近づくと、すぐに無線が入った。
『慎一、こちらで確認しました。進入してください』
「了解」
『速度を落として。空間磁気コイルを使用します』
「分かってるよ」
『念のため言ってるんです』
「はいはい」
俺は苦笑しながらスロットルを絞り、スプリットフラップを下ろした。さらに空間磁気コイルのスイッチを入れると、ブンッという低い振動が機体を伝い、零戦の沈み込みが明らかに変わった。
滑走路などない。あるのはブッシュがわずかに途切れた草地だけだ。それでも零戦は地面へ叩きつけられることなく、見えない力で支えられるように速度を落としていく。
俺は主脚を下ろし、軽く機首を上げた。草が風圧で左右へ伏せ、次の瞬間、車輪が地面に触れた。ほとんど衝撃はなかった。
「やっぱり反則だな、これ」
零戦を停止させてエンジンを切り、風防を開ける。潮と草の匂いが一気に入り込んできた。その向こうに京子が立っていた。
俺がヘルメットを外して機体から降りると、京子は早足で近づいてきた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
それだけだったが、京子の顔を見て俺は少し意外に思った。いつも冷静な彼女が、明らかにほっとしている。
「そんな顔するなよ。ちゃんと帰って来ただろ」
「結果を見ればそうです。でも、こちらでは何もできないんですよ。あなたが戦っている間、ずっと戦闘データを見ることしかできなかったんですから」
「俺は死なないんじゃなかったのか?」
京子の表情が少し険しくなった。
「死なないことと、無事に帰って来られることは同じではありません。機体が壊れれば帰れませんし、あなたが意識を失えば墜落する可能性だってあります」
俺は返す言葉を失い、零戦を振り返った。
「……そうだな」
「本当に分かってます?」
「たぶんな」
「その返事が一番信用できません」
そこでようやく、京子が少し笑った。
基地の中へ入ると、はるみと美希、それに幸雄が待っていた。
「慎一さん!」
はるみが真っ先に駆け寄ってくる。
「大丈夫? どこか怪我してない?」
「大丈夫だよ。撃たれてもいない」
「怪我だけじゃなくて……初めてだったんでしょう? 本当の戦闘は」
俺は一瞬だけ黙った。炎を噴いて落ちていった機体が頭をよぎる。
「まあな。いい気分じゃないよ」
それ以上は言わなかった。はるみも何も聞かなかった。
「とにかく無事で良かった」
その一言だけで十分だった。
ところが幸雄は、さっきから端末を睨んだまま動かなかった。慎一はその様子に気づいて眉を上げる。
「どうした?」
返事がない。幸雄は戦闘記録を何度も巻き戻していた。
「幸雄?」
美希が声をかけると、幸雄はようやく顔を上げた。
「慎一、お前……本当にこれが初めての空戦なんだよな?」
「そうだけど」
「ちょっとこれ見ろ」
幸雄が戦闘記録を再生した。
最初のマスタングが零戦へ機銃掃射を浴びせる。俺が機体を真横へ倒し、そのまま沈み込みながら射線をかわすと、小さく旋回して敵機の真後ろへ入った。
一発。
マスタングが空中で砕ける。
続いて二機目。横ロールしながら急降下する敵機を捉え、一発を撃ち込む。弾道はわずかに逸れたが、片翼を吹き飛ばされた機体は錐揉みになって海へ落ちた。
「ここまでは、まあ……機体性能のおかげだと言えなくもない」
幸雄が言った。
「そうだろ。零戦が凄かっただけだよ」
「問題はこの後だ」
画面の中で零戦が急上昇した。八機編隊の上へ一気に抜け、そのまま反転する。
下には三機のマスタング。
一瞬だけ、その三機が真正面に重なった。
レールガンが一発だけ発射される。
手前の一機を貫いた弾丸は、その後ろの二機まで一直線に突き抜けた。
三機がほとんど同時に崩れる。
幸雄が映像を止めた。
「これだ」
「ああ。レールガンって凄いよな。一発で三機だぞ」
幸雄はしばらく俺を見た。
「俺が驚いてるのはそこじゃねえ」
「じゃあ何だよ」
「なんで三機が重なる瞬間に、お前がその正面にいるんだ?」
俺は画面を見た。
「だって、重なってたから撃ったんだろ」
「逆だ。俺が聞いてるのは、どうして重なる位置を取れたのかって話だよ」
何を言ってるのかわからない。
「たまたまだろ」
「じゃあ、こっちは?」
幸雄が戦闘記録を最後まで進めた。
残ったマスタングが全速力で逃げる。零戦はブースターを使って一気に距離を詰め、その後方へ入る。
一機のマスタングの垂直尾翼付近へ向けて、一発。
命中した瞬間、機体が砕ける。
そして弾丸は、そのさらに前方を飛んでいた最後の一機まで貫いた。
二機がほとんど同時に爆散した。
幸雄がまた画面を止めた。
「こっちも一発で二機だ」
「それもレールガンが貫通しただけだろ」
「だから、なんで二機が一直線になるところから撃ってるんだよ」
「そんなこと言われてもな……前に二機いたから、後ろの奴を狙って撃っただけだぞ」
幸雄は額を押さえた。
美希も別の角度から戦闘記録を再生している。
「偶然だけでは説明しにくいですね。三機を抜いたときも、慎一さんは発射する前から少しずつ機首を修正しています。最後の二機も同じです」
「そりゃ狙うんだから機首くらい合わせるだろ」
「慎一、お前な」
幸雄が呆れた顔で慎一を見る。
「八機を相手にしてる最中だぞ。一機を追いながら、残りがどこを飛んでるか分かってないと、こんな位置取りはできねえ」
「でも見えてたぞ」
「全部か?」
「全部って?」
「残ってる敵機全部だよ」
俺は首を傾げた。
「そりゃ見るだろ。見てなかったら後ろから撃たれるじゃないか」
また幸雄が黙った。
美希とはるみが顔を見合わせる。
俺には、なぜ三人がそんな顔をしているのか分からなかった。八機いるなら八機を見る。一機を撃っている間も、ほかの敵がどこにいるかは気にする。三機が重なれば一発で撃つ。二機が一直線なら、一発で済ませる。
ただ、それだけのことだった。
幸雄はもう一度、戦闘記録を最初から再生した。
「レールガンが化け物なのは分かってたんだけどな」
「なんだよ」
「いや……乗ってる奴まで変なのは想定外だった」
「失礼だな」
はるみが堪えきれずに笑った。
俺は少し憮然とする。その横で京子は端末へ視線を落としたまま動かなかった。
やがて、その表情から笑みが消える。
「……それより、こっちの方が問題かもしれません」
「今度は何だ?」
京子は戦闘記録から一機の映像を拡大した。
「この機体です」
「マスタングだろ?」
「ええ。だからおかしいんです」
京子は画面を見つめたまま言った。
「この時期、この場所に、この型のマスタングがいるはずがありません」
幸雄と美希も画面を覗き込んだ。さっきまでとは違う意味で、空気が変わった。
俺は意味を掴みきれず、三人を見る。
「そんなに変なのか?」
「変です」
京子は即答し、戦闘記録の時刻と位置情報を表示した。
「私たちが知っている歴史とは合いません」
俺は眉を寄せた。自分たちは未来を変えるために、この時代へ来た。ならば歴史が変わるのは当然ではないのか。
そう言おうとしたとき、京子が先に口を開いた。
「私たちはまだ、何もしていないんです」
「え?」
「少なくとも、このマスタングがここへ来る原因になるようなことは、まだ何もしていません」
基地の中が静かになった。
モニターには、俺が撃墜したマスタングの姿が止まっている。
俺はしばらくそれを見つめた。
「じゃあ……こいつらは、どうしてここにいた?」
誰も答えなかった。
京子は戦闘記録を見つめながら、何かを確かめるようにゆっくりと言った。
「歴史が変わったわけではない……?」
一度言葉を止め、俺を見る。
「最初から、私たちの知っている歴史と違っているのかもしれません」




