帰還
第六話 帰還
「迎撃完了。これより帰還する」
慎一はそう言って、操縦桿をわずかに戻した。
「早く帰って来て下さい、気をつけて!」
無線の向こうで、京子の声が飛んできた。
「はいはい、これから帰るよ」
軽く返したつもりだった。
だが、無線を切った瞬間、コクピットの中に静けさが戻った。
さっきまで空を裂いていた機銃音も、金属が弾ける音も、敵機が炎を上げて落ちていく光景も、まるで遠い夢のように薄れていく。
けれど、夢ではなかった。
マスタングは落ちた。
自分が落とした。
慎一は高度を保ったまま、計器に目を走らせた。
速度。
高度。
燃料。
機体温度。
出力。
異常警告なし。
未来技術で改造された零戦は、何事もなかったかのように空を滑っていた。
「化け物だな、こいつは」
思わず呟いた。
その言葉が、自分自身にも向いている気がした。
右肩に残っていたはずの痛みは、もうほとんど消えている。
撃たれて死んだ三上慎一の体に入り、不死のような再生能力まで与えられた。
そして今、自分は未来の兵器を積んだ零戦で、米軍機を撃墜した。
「俺は……何をやってるんだろうな」
眼下には青い海が広がっていた。
そこには、さっきまで敵だった機体の破片が沈んでいるはずだった。
勝った。
確かに勝った。
だが、不思議と胸は軽くならなかった。
しばらくして、島が見えてきた。
未来基地のある島。
無人島に偽装された、京子たちの拠点。
最初に慎一が不時着し、そして生き絶えた場所。
そこへ機首を向けると、管制から京子の声が入った。
「慎一、着陸誘導を開始します。速度を落として」
「了解」
「それと」
「何だ」
「最後まで気を抜かないでください」
慎一は苦笑した。
「もう敵はいないだろ」
「帰るまでが戦闘です」
「遠足みたいに言うな」
「冗談ではありません」
その声が、少しだけ震えていた。
慎一は返事を飲み込んだ。
京子は怒っているのではない。
たぶん、怖がっている。
そのことに、ようやく気付いた。
滑走路は無い、最初に、慎一が力尽きた場所、ブッシュが僅かに生えていない場所だ、
ゆっくりと進入しながらフラップを降ろす。
脚を出す。
空間磁気コイルのスイッチを入れた。
ブンッと僅かな振動音を感じる。途端に滑走路の無いブッシュの上を零戦はフワリと浮きながら速度を落として行った、
零戦は軽く機首を上げ、同じ場所へ吸い付くように降りた。
着地の衝撃は無い。反重力という未来技術はどんな場所にも零戦を、着陸させる事が出来る。
風防を開けると、潮の匂いが入ってきた。
その向こうに京子が立っていた。
慎一はヘルメットを外しながら言った。
「ただいま」
京子は一歩近づいた。
「おかえりなさい」
声は静かだった。
だが、その目は少し潤んでいた。
「……心配したのか?」
「当然です」
「まさかただの試験飛行で交戦になるなんて思いませんでした。、、、本当に無事に帰って来てくれて良かった。」
「機体は未来技術で強化されています。武装も、この時代の戦闘機とは比較になりません。でも、まさか、この段階でムスタングと遭遇するなんて、、、本当に冷や冷やしました。」
「俺は死なないんじゃないのか」
「死なないことと、帰って来られることは違います」
その言葉に、慎一は黙った。
京子は続けた。
「機体を失えば、この計画は大きく遅れます。あなたが海に落ちれば、回収できる保証もありません。敵に発見されれば、歴史そのものが予測不能になります」
慎一は零戦の翼に手を置いた。
まだ熱が残っている。
「分かってる」
「本当に?」
「たぶんな」
京子はため息をついた。
「そこが一番心配です」
「戦闘データを回収します。慎一、あなたも来てください」
「休ませてくれないのか」
「休む前に、あなたが撃ち落としたムスタングがどうして、この時代に出て来たのかも含めて確認します」
慎一は空を見上げた。
青い空。
何もなかったような空。
そこに、さっきまで命のやり取りがあった。
「京子」
「何ですか」
「俺は、これから何機落とすことになる?」
京子はすぐには答えなかった。
風が吹いた。
零戦の翼端が、わずかに揺れた。
「分かりません」
京子は静かに言った。
「でも、このまま未来へ進めば、何億という人が死にます」
慎一は京子を見た。
「第三次世界大戦か」
「はい」
「それを止めるために、第二次世界大戦を変える」
「そうです」
「めちゃくちゃだな」
「分かっています」
京子はまっすぐ慎一を見た。
「でも、私たちはそれ以外の方法を見つけられませんでした」
慎一は何も言わなかった。
自分は66歳の誕生日にワインを飲んで、YouTubeで零戦の動画を見ていたはずだった。
それが今は、1942年の空で戦っている。
しかも、未来を変えるために。
「とりあえず」
慎一は息を吐いた。
「飯を食わせてくれ」
京子は一瞬だけ目を丸くした。
それから、呆れたように笑った。
「あなた、本当に面白い人ですね」
「さっきまで空で戦ってたんだ。腹くらい減る」
「分かりました。食事のあと、戦闘記録の確認をしましょう。」
「はいはい」
京子は少しだけ微笑んだ。
慎一はもう一度、零戦を振り返った。
美しい機体だった。
だが、もうただの零戦ではない。
未来の技術と、過去の戦争と、慎一の命が混ざった異物。
この機体で、自分は歴史を変える。
そう思った瞬間、胸の奥に熱いものが灯った。
恐怖ではない。
興奮でもない。
覚悟に近い何かだった。
慎一は小さく呟いた。
「面白くなってきやがった」
京子が振り返る。
「今、何か言いました?」
「いや」
慎一は歩き出した。
「慎一さん」
声がした。
はるみだった。
綾瀬はるみは、慎一の顔を覗き込むようにして立っていた。
「顔色、悪いよ。ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だよ。怪我はしてない」
「怪我じゃなくて、気持ちの方」
「……」
はるみは、少し困ったように笑った。
「初めて人を撃ったんでしょ」
その言葉に、慎一は返事ができなかった。
格納庫の空気が、一瞬だけ静かになった。
幸雄も黙った。
美希も何も言わなかった。
京子だけが、端末を持ったまま慎一を見ている。
慎一は目を伏せた。
覚えている。
炎を引いて海へ落ちていく機体。
機首を振りながら逃げようとした一機。
レールガンの光。
真っ赤に焼けた鉄鋼弾の閃光。
全部、覚えていた。
「覚えてる」
慎一は小さく言った。
「なら、いいと思う」
はるみは静かに答えた。
「忘れたふりをし始めたら、たぶん危ないから」
慎一は、はるみを見た。
その言葉は、妙に胸に残った。
京子がゆっくり頷く。
「そうですね」
幸雄が、わざとらしく大きな息を吐いた。
「まあ、しんみりするのは後だ。機体は無事。パイロットも生きてる。そこはまず良しとしようぜ」
「幸雄、雑」
美希が言った。
「雑じゃねえよ。事実確認だ」
「あなたの事実確認はいつも声が大きいのよ」
「声が小さい整備士なんて信用できるか」
「関係ないでしょ」
はるみがくすっと笑った。
慎一はそのやり取りを見て、少しだけ息が抜けた。
この場所には、戦場とは違う音がある。
2053年。
第三次世界大戦。
核戦争。
滅びた未来。
京子たちは、きっと自分よりずっと多くの死を見てきたのだろう。これから俺たちは遠い未来に干渉しようとしている。




