未来基地
第二話 未来基地
京子という謎の女性の背中を追い、南国特有の鬱蒼としたブッシュの中を進む。
細い獣道のような踏み分け道が続いていた。
だが、昨日の夕方、零戦を隠すためにヤシの葉を切って走り回っていた時には、そんな道など影も形もなかったはずだ。
しばらく歩くと、こんもりと盛り上がった高さ六メートルほどの奇妙な地形に行き着いた。
その斜面に、ぽっかりと洞窟のような穴が開いている。
人一人なら余裕で身を屈めずに入れる広さだった。
京子は迷わず中へ入っていく。俺も後に続いた。
洞窟の中はジメジメした熱帯の空気とは裏腹に、意外なほど乾いていて、嫌な臭いもしない。
入口から十メートルほど進むと、コンクリートの壁に挟まれた、いかにも頑丈そうな金属製の扉が立ちはだかっていた。
京子が扉の脇に右腕をかざす。
かすかな電子音とともに、扉は音もなく上へとスライドして開いた。
俺は思わず息を呑み、言葉を失う。
京子は振り返り、無言で中へ入るよう促した。
中は、無機質なコンクリートで囲まれた広い空間だった。
二十メートル四方ほどはあるだろうか。地下シェルターのようにも見えるが、空気がやけに新しい。
向かって右側には別の扉がある。
京子がそのノブを回し、さらに奥へ通された。
そこは、先ほどとは打って変わって近未来的な部屋だった。
広さは六メートル四方ほどだが、天井が異様に高い。
中央には長いテーブルが据えられ、両側に五つずつ椅子が並んでいる。
壁面を埋め尽くす巨大なモニター。
手前には複雑な発光パネルと無数のスイッチが並ぶ操作卓があった。
ふと見上げたモニターには、昨日俺がヤシの葉で必死にカモフラージュしたはずの零戦が、上空からの俯瞰映像としてリアルタイムで映し出されていた。
「ここは?」
「AIG日本支部、第3基地の内部です」
「AIG?」
「詳しい説明は後回しにします。私たちは、あなたがここへ来るのを二ヶ月前から待っていました」
「二ヶ月前?」
「三上慎一の乗った零戦がこの島へ不時着することは、歴史的データとして分かっていましたから。少し余裕を持って、あらかじめこの基地を設営していたのです」
「待ってくれ」
俺は思わず片手を上げて制した。
「つまり、この零戦がここへ不時着して、三上慎一が死んで、その体に俺が入ることも最初から決まっていたってことか?」
「少し違いますが、大筋ではその認識で構いません」
「いや、全然構えねえよ」
京子は少しだけ、からかうような笑みを浮かべた。
「あなたには、これからやっていただきたいことがあります」
「やっていただきたいこと、ねえ」
「はい。私たちはこれから、この零式艦上戦闘機をベースにした大幅な改修を行います。そしてあなたには、その機体でこの時代に干渉していただきます」
「俺がパイロットとして、この戦争の最前線に出るってのか?」
「はい」
京子は俺の目をまっすぐに見据えた。
その瞳に冗談の色は一切なかった。
頭の中で思考が追いつかない。
この時代に干渉する。
あの旧式の零戦を改造する。
そして、この六十六歳の「何でも屋」の魂が入った二十歳の肉体が、それに乗って飛ぶ。
悪質すぎる冗談だと言い切りたかったが、目の前の光景がそれを許さない。
「モニターを見てください」
京子に促され、視線を戻すと、モニターに映っていたはずの零戦の姿が消えていた。
「え……零戦はどこだ?」
「ドアの外へ出て確認してください」
言われるがまま、俺は先ほど入ってきた扉を開け、先ほどの広いコンクリートの空間へと戻った。
そこには――ついさっきまでブッシュの中で俺がヤシの葉で覆い隠していたはずの零戦が、何食わぬ顔で鎮座していた。
機体の周りには、見慣れない作業服を着た二人の女性と一人の男が群がり、手際よく機体を調べ始めている。
「これは……」
「物質転送です」
京子は当たり前のことのように言い放った。
「私たちの技術を使えば、外にある零戦を基地内へ移動することなど造作もありません」
造作もない、か。
そう言われても、俺の脳ミソは完全にフリーズしていた。
京子が零戦の傍らにいる三人に声をかける。
「みんな、手を止めてこっちへ来て。彼は仲川一登。今は三上慎一、海軍航空隊少尉よ」
三人が振り返り、こちらへ歩いてくる。みな、妙に落ち着いていて、どこか楽しげですらある顔をしていた。
「私は早野美希。整備担当よ。よろしくね」
アニメのヒロインめいた少し高い声が響く。背は低いが整った顔立ちだ。
「私は綾瀬はるみ。同じく整備担当。よろしく」
少し低めでアンニュイな響きを持つ声。美希よりも背が高く、どこか知的な雰囲気を漂わせている。
最後に、ひと際ガタイのいい男が豪快に歩み出てきた。
「俺は安藤幸雄だ。電子機器と整備全般を担当してる。試験飛行も俺の役目だ。よろしくな」
ガラガラとした野太い声だが、よく通る。
俺は反射的に頭を下げた。
「あ、仲川一登です。……よろしく」
名乗った瞬間、自分のなかの違和感が再び頭をもたげる。
俺は今、仲川一登なのか。それとも三上慎一なのか。
ふと、京子がじろりと俺の全身を検品するように見つめた。
「慎一、とりあえずシャワーを浴びてきてくれる? 着替えは控室に用意してあるから」
自分の体を見下ろす。制服は穴だらけで血と泥にまみれ、酷い有様だった。
言われるがままシャワー室へ向かい、温水で汚れを洗い流すと、用意されていた衣服に袖を通した。なぜか、驚くほど自分の体にピッタリとフィットした。
さっぱりとした身なりで司令室に戻ると、長いテーブルの席にはすでに全員が着席していた。
「慎一、そこへ座って」
促されるまま対面の席に座ると、すぐさま会議が始まった。
テーブルには京子、はるみ、美希、幸雄の四人。対面に俺一人がポツンと座る構図だ。
結局、俺は何も分からないまま、流されるようにこの輪の中に組み込まれている。
ちなみにあのクールなチーフの名前は水原京子というらしい。この部隊の責任者とのことだった。
口火を切ったのは幸雄だった。
「これからこの機体を改造する。まずこの機体の諸元からだ、零式艦上戦闘機、通称零戦だな、全長9.05メートル、全幅12メートル、全高3.53メートル、自重1740キログラムだな。全部で10430機も作られた日本の代表戦闘機だ。
思ったよりも機体の状態は悪くねえ。ま、どうせ中身は半分以上作り直すから、ベースが何だろうと関係ねえか。とりあえず今後の改修計画としては、超々ジュラルミンフレームの強化、外装の全面強化、エンジンの高出力化、無線の最新化、および対空・対地レーダーの換装。それと……武装だな」
幸雄はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「少しオーバーテクノロジーだが、主兵装として高波長域レーザー、そしてレールガンの装備・換装を行う予定だ。このレーザーはそこらの代物とはワケが違う。未来仕様の代物だぜ。使い方はあとでみっちり教えてやるよ」
「なんか、とんでもないことになりそうね」
ぽっちゃりとした体型のはるみが、愛嬌のある笑みを浮かべながら呟いた。
「いいのよ、今回の任務は絶対に失敗できないんだからね」
美希が、ふんすと小さな拳を握りしめる。スレンダーな体型に少し吊り上がった目元が勝ち気な印象を与えるが、声質はどこか可愛らしい。
「では、こちらの図面を見てちょうだい」
京子がリモコンを操作し、壁面のモニターに視線を誘導した。
そこには、零式艦上戦闘機の完全な分解設計図と、四方向からの詳細な俯瞰図が映し出されている。マウスのポインターが近づくだけでその部位が拡大投影される仕組みだ。
「この仕様で機体を全面的に改修します。異議は?」
「異議なし!」と幸雄。
「異議ないわ!」とはるみ。
「問題ないわね!」と美希。
三人が即座に同意の声を上げる。
「慎一は?」
京子がじっとこちらを見た。
「どうするもこうするも、俺は未だにこの状況についていけてないんだがな!」
憮然とした顔で吐き捨てると、京子はフッと口角を上げた。
「仕方がないわね。嫌でも慣れてもらうしかないわ」
有無を言わせぬその口調に、俺は「うっ……」と次の言葉を飲み込んだ。
現実離れしすぎている。だが、ここで何を言っても事態が覆らないことは、長年の何でも屋としての勘が告げていた。俺はもう、この時代で生き抜くしかないらしい。
それにしても、だ。
気になっていた自分の体へ視線を落とす。
「なあ、ちょっと聞いていいか?」
「何かしら?」
「俺の――いや、三上の体なんだが、いったいどうなってやがる? 墜落したとき、12.7ミリの弾丸が右肩を完全に貫通してたはずだ。それが、いつの間にか跡形もなく塞がっちまってる」
「ああ、まだその説明をしてなかったわね」
京子は腕を組み、静かに語り始めた。
「それはあなたと三上慎一、二人の存在の複合作用よ。正確に言うなら……三上の肉体にあなたの精神が定着したことで、あなたはこの世界において『不死身』の存在になったの」
「は……?」間抜けな声が漏れた。
ライトノベルの読みすぎなら笑って済ませ話だが、ここは異世界転生ファンタジーの類ではない。時は1942年、まぎれもない第二次世界大戦の真っただ中だ。魔法もスキルも存在しない、泥臭い科学と物理の世界のはずだ。人間が不死身になるなど、物理法則を完全に無視している。
「信じられないのも無理はないわね。でも、私たちがあなたを選んだ理由がまさにそこなのよ」
京子はまっすぐに俺の目を射抜く。
「今回の任務は、第二次世界大戦に介入し、歴史を大きく書き換えること。……具体的にどう変えるのかは、今はまだ言えないけれど。この計画を成功させるには、どんな過酷な状況に陥ろうとも絶対に死なず、確実に任務を完遂できる人間が必要不可欠だった」
彼女は一呼吸置き、さらに言葉を続けた。
「この計画は今回で四度目。もう失敗は許されない。過去に三人の強靭な肉体を持つ優秀な兵士を選び、工作員として送り込んだわ。けれど、あと一歩というところで彼らは命を落とした。だから、私たちは結論を出したの。『絶対に死なない人間がいればいい』とね」
世界中の人類の中から、不死、あるいはそれに近い特性を持つ人間をしらみつぶしに探し求めた――と京子は言う。
「そして、やっと見つけたの。あなたと、三上慎一を」
京子のトーンがわずかに熱を帯びる。
「三上慎一の遺伝子情報に、あなたの強い精神体遺伝子が重なったとき、その肉体は死を拒絶する『不死』へと変貌する。私たちの予測通り、コンピューターの計算は正しかった。三上慎一が死にゆくまさにその瞬間、あなたの精神を時空を超えてこの肉体に送り込んだ。究極の賭けだったけれど……見事に成功したわ」
「いやはや、本当に化物を見た気分だぜ」
隣で幸雄が呆れたように頭をかいた。
「これだけの銃創を受けておきながら、数時間で全快し、傷跡すら残ってねえんだからな。まったく、空いた口が塞がらねえよ」
「どうやら実験は大成功というわけね。あなたの体を詳細に検査したわけじゃないけれど、今のところあなたは私たちの期待を遥かに超える成果を上げているわ」
京子は満足そうにうなずくと、再び巨大なモニターへと向き直った。
第二次世界大戦の真っただ中で、彼らは歴史の歯車を狂わせようとしている。
そして俺は、いつの間にか死なない体を手に入れてしまった。
この先、いったいどんな修羅場が待っているというのか。
――ここまで来たら、もうなったようにしかならねえか。
なかばやけくそになりながら、俺もまたモニターへ視線を戻した。
次の瞬間、モニターの映像が切り替わった。
そこに映し出されたのは、東京のようでありながら、まったく見覚えのない異様なまでにビル群が立ち並ぶ、見慣れない未来の都市景観だった。
「これが、私たちがかつて暮らしていた世界……2053年の東京よ」
京子は、ほんの少しだけ寂しそうに、掠れた声で呟いた。
「そして……この都市は、もうどこにも存在しないの」
「えっ……?」
言葉を失う俺の前で、京子はゆっくりと目を閉じた。




