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彼女は牡丹 君は椿①  作者: 汪海妹
9/12

澤田さんのおつかい














澤田さんのおつかい













このは













「進藤君、結局この前来られなかったよね」

「ああ、日にちが会わなくて」

「はい。ちょっと遅くなっちゃったけど」


わたしは彼に火野先生の処女作の単行本を渡した。


「え?」

「ほら、進藤君には痛い思いさせちゃったからさ」

「いや、あんなん別にたいしたことないですよ」

「ね、ね、開いてみて」


彼は表の表紙を開いて、感嘆の声をあげた。


『進藤様 勉強頑張ってください。火野蒼生』


「ごめんね。メッセージはちょっとありふれてるかも。でも進藤君の名前も入ってるし、先生がもっともっと売れたら、高く売れるかも」

「野中さん、意外と夢がないというか打算的ですね」

「大人はそんなもんだって」


彼は目をきらきらさせながら聞いてきた。


「野中さんももらいました?コメントつきで」

「ああ、わたしのはねぇ」


『野中このは様 生きる意味を見つけるまで立ち止まらないでください。火野蒼生』


「あ、なんか長い。しかもフルネーム」

「ごめん。これはわたしのほうが高く売れるかも」


まぁ、でもそれなりにこき使われたし、これくらいしてもらっても罰はあたらないだろう。


「そんなこと言って、ほんとは売るつもりなんかないんでしょ?」

「まぁ、よっぽどのことがないかぎりわね」


野中さん、レジの方で呼ばれた。


「あ、ごめん。いかなきゃ」


立ち去ろうとすると、進藤君が呼び止める。


「今月いっぱいだって言ってたよね?」

「うん」

「僕、たぶん大学東京行くんですよ。そしたら」

「うん」

「また、本屋さん行ってもいい?野中さんのいる」


ああ、そんなに詳しく話してなかったからな。まだ、本屋に立つと思われている。わたしは近づくと彼の手に持っていたさっきの火野蒼生の本のカバーに自分の携帯番号とメアドを書いた。


「連絡して。東京来ること決まったら」

「いいんですか?」


かわいい。年下の男の子って。


「袖振り合うも他生の縁。旅は道連れ世は情けよ」


使い方あってるかしら、と思いつつ。彼はにこにこしながら、手をふって去っていく。でもね。進藤君。君は若い。きっと一年後にはわたしのことなんて覚えてないって。野中さーん。はいはいっと。

チベットの本は結局売れていない。あと何回この店であのおばあさんに会えるだろう?


***


東京へ行きたいと両親に注げると、2人とも何か裏切られたような顔を一瞬した。


「将臣はでてったけれど、このははずっと仙台に残ってくれると思ってたのに」


将臣はわたしのおにいちゃん。四つ上で、大学から東京。就職も向こう。


「ごめん」

「気持ちは変わらないの?」


わたしはうなずいた。。


「あなたは勝也君と結婚するんだと思ってたのに」


母さんがそういうと、普段温厚な父が珍しく声をあらげた。


「母さん、そんなふうに言うのはよしなさい」


かっちゃんはうちの親と面識あった。職業も学校の先生で硬いし、育ちがよくて、礼儀正しくて、うちの母は気に入っていた。ああ、わたし、親の反対するようなことしようとしてるのか……。そう思う。


「でも、東京だったらいいんじゃないか。将臣だっているんだし。全く1人ってわけでもないよ」

「お兄ちゃんと住めばいいのに、それも嫌だっていうし」

「お母さん、学生ならともかく社会人なんだよ?お兄ちゃんと暮らすなんて、ないよ」


向こうもそれは困ると思います。お母さん。


「もう、ずっと帰ってこないつもり?」


お母さんはそう聞く。ちょっとかわいそうになる。


「それはわからない」


帰ってくるかもしれない。来ないかもしれない。はっきりしないのに期待持たせるようなことは言えない。


***


「このは、東京出てくるって母さんから聞いたけど、まじなの?」


兄と久しぶりに電話で話す。


「うん」

「親父もお袋もよく許したな。ていうかお前」

「なに?」

「お前はあの彼と仙台で結婚するんだって思ってたのに、振られたのか?」

「振られてないよ。むしろ……振った」

「えー!」


お兄ちゃんが騒いでいる。


「なんだよ。お前、血迷ったな。お前のことあんなに大事にしてくれる男、もういないんじゃないか」

「そんなことないよ」


縁起でもないこと言わないでよ。お兄ちゃん。兄は軽く笑った。


「お前、見た目より融通きかなくて頑固だからなぁ」

「がんこ?」

「あとからもったいなかったって後悔すんじゃないの?結構いいやつだったじゃん。あいつ」


そんなふうに思ってたんだ。それは知らなかったな。


「こっちで住む家、決めてないんだろ?兄ちゃん探すの手伝ってやるよ」

「あ、それは……」


家はもう決まっていた。


***


「面接っていっても、形式の物になると思うよ」

「そんなこと事前にもらしちゃっていいんですか?」


はははと澤田さんは電話の向こうで笑った。退勤して、車停めてある駐車場まで歩く。


木の葉の色が変わり始めてから、燃えるような色で落ちていき、地面につもるその様を見るまでにわたしはゆっくりと結論へたどりついた。


「面接が終わったらさ、野中さんの家候補案内するからさ」


東京駅までも迎えに来てくれた。ほんとに忙しくないんだろうか?この人は。いや忙しいはずだ。だって、わたしと一緒にいて移動中もばんばん携帯に電話がかかってくるから。


東京駅から一本、御茶ノ水。澤田さんの会社もわたしがこれから勤める(かもしれない)会社も同じビルのフロア違い。


「じゃ、がんばってね」


え、がんばれって、でも、形式だけなんでしょ?この面接。そういうこと言われると急に緊張します、と言う前に、手をちょこっとあげて澤田さんはさっさと立ち去ってしまった。 


もっとも、面接はたしかに形式だけに近かった。終わった後に、今日は特に家を見に行くと言っていた以外は用事もない。家を見に行くって何時なんだろう?それまでどうしよう?お昼にはまだ早くて、わたしは着慣れないスーツ姿のままで会社の周りをぐるっと一周散歩する。


あ、こっちは……。本好きの勘で分かる。そう、この街は大小様々な古書店や書店のある街なんだ。ちょっと気後れしていた気持ちが一気にひいた。書棚に並ぶさまざまな書体の様々な題名を眺めながら、うきうきとする。次から次へとお店を巡った。ああ、ここには海がある。海のような量の物語や知識がある。魚のように泳いでめぐれる。古今東西の海を。やっぱりわたしは本が好き。


携帯が鳴る。


「どこにいます?」


澤田さん。


「すぐ行きます」


まずいまずい、ここどこ?小走りになりながら会社の一階に戻った。


「お昼食べにいこっか?」


澤田さんは笑う。この人はむっとしたりすることってあるのかな?忙しい人を待たせてしまったのに、怒ってない。


会社の近くの洋食屋さんで、澤田さんはナポリタンを食べ、わたしはピラフを食べた。


「野中さんって」

「はい」

「一見ね、人に合わせそうに見える」


そこで、水を飲んだ。そしてフォークでくるくるする。


「そうですか」

「うん。でも、そうじゃないね」

「はあ、何でもってそう思われたんですか?」


澤田さんは食べる手を止めて、片手で頬杖ついてじっとわたしを見た。


「初めて入った店でさ、何がおいしいとかよくわかんなくてね、しかも、別にランチしようとかじゃなくってさ、用事があって、ささっと昼済ませるみたいなとき、年上といっしょにいて、気を使わないといけない」

「はぁ」


これは暗に社会人のマナーについて、諭されているのかな?わたし。


「こういう時に女性が『わたしも同じ物を』という場面に、それこそ何度もでくわした」

「はぁ」


もぐもぐ。時間ないんじゃないのかな?しゃべってないで食べればいいのに。


「女の人って時に、人に合わせるということが最高の礼儀か美徳だと思ってるよね。でも、僕はむしろイラっとするけど」


そういうとやっと食べ始めた。うーん。最後のことばからすると、わたしに対する説教ではないみたい。


「食べたい物すら自分で選べないくせに、合わせてあげたみたいなドヤ顔が嫌なんだ。人に合わせることってそんな大事?」


もぐもぐもぐ、どうでもいいなこの話、ほんとはそう思ってます。


「澤田さんってすごい優しそうだけど、ほんとは結構厳しいんですね」


水を飲んだ。


「先生と似てる」

「え?」


ぽろりと言ったあとに、ちょっとしまったと思った。自分で何をしまったと思ったのかすぐにはわからなかったんだけど。


「先生って火野先生?」

「……はい」


言ってしまったから、ここまで答えた。話題を換えたい。澤田さんは表は優しい、裏は厳しい。先生は表から厳しい、裏も厳しいけど、一部優しい。これはもちろん話したくない。澤田さんは水を飲み、フォークくるくるを再開する。


「初めて言われたよ」


もぐもぐもぐ。しばらく2人とも黙る。うん、食事はやっぱり言葉すくなにいこう。


「しかも、野中さんは僕たち二人のことそんなによく知らないのにね」

「はぁ」


言うんじゃなかった。失敗。


「でも、似てるとは、似てる部分があるとは、僕も自分で思います」


食事終えてまた中央線に乗る。澤田さんは吉祥寺に行くと言った。わたしは吉祥寺がどんな街なのか知らない。


「電車で一本だから」


またあの表の最高に愛想のいいそつのない澤田さんに戻った。案内された部屋は中古マンションの一室で、駅から少し歩くけど、いい部屋だった。家具もついてる。でも広い。


「あの、一人でこんな家族タイプの部屋は……」

「広いところに住むのはだめ?」

「いや、だめというか。狭いほうが家賃安いですよね?」


澤田さんが言った金額を聞いて驚いた。


「ここのオーナーさんね、僕の大学時代の友達でさ。今、海外赴任してるの。奥さんと子供も今海外で一緒に暮らしているんだけど、将来的には子供の学校のために帰ってくるから、この部屋は売らずに貸したいんだって。家賃高く払ってくれる人より、きれいに使ってくれる人のほうがいいって言っててさ」

「はい」

「野中さんがきちんときれいに使ってくれるんなら、ほんとさっきの金額でいい」

「ほんとですか?」


街もすてき。部屋もいい。職場までのアクセスも便利。申し分ない。


「すみません。こんなにしていただいて」

「あ、それと時々僕のおつかいを頼まれてくれるとありがたいかな?」

「おつかいですか?」

「うん。たいしたことじゃないんだけど」


またあの笑顔。


「……」

「どうしたの?」


ちょっとわかってきた。この人、最高の笑顔見せるときはきっと裏に何かある。


帰り道に寄った場所でなんとなく


「先生、ちゃんとやってます?息抜きにお客さんもつれて来ましたよ」


おつかいというのがなんなのかわかってしまった。下のエントランスでいったん部屋を呼び出して、オートロックを開けてもらい、エレベーターで上へあがる。ドアが開いて先生の顔がのぞく。わたしを見て驚いている。


「誰かわかります?」


澤田さんがそんなこと聞く。覚えていないかも、或いは髪切っちゃったからわからないかも。


「前の長い髪のほうがよかったのに」


でも、覚えていた。髪型が似合わないと言われても、覚えていてくれたことのほうが何倍も嬉しかった。


「お土産持って来ましたよ」

「入れよ」


澤田さんが慣れた様子で中にあがる。


「どうぞ」


今度はわたしに言う。わたしはどきどきしながら中に入る。有名な人の家なんて初めて。新しくて立派できれいな部屋で、でも、物が少なくて、すごい片付いていて、そして、ふと気づく。女の人の住んでいる感じがしない。1人暮らしに見える。


子供はいないはず。でも、奥さんはいたはずだ。先生はエッセイとかでプライベートのことを書くような作家ではないので、雑誌の対談記事とかで知っているぐらいだけど。どこでであったとかそういう詳しいことはわたしも知らない。火野蒼生は作品以外の私生活についてはあまり知られていない。


「どうしたのきょろきょろして」


澤田さんに聞かれる。


「いえ、なんでも」


子供じゃない。聞いていいことと悪いことの区別ぐらいはついている。

澤田さんのお土産はシュークリームだった。さっきここへ来る途中で買った。


「お茶か何かいれます」


人の家でいうのもなんだが、この場ではわたしがいれるべき気がした。


「いや、どこに何があるか分からないでしょ?」


と言って立ち上がったのは、当然のように先生ではなかった。


「おいで。教えてあげる」


なんで?教えてくださるんですか?ちらりと先生の顔を見る。おもしろくもおもしろくなくもなさそうな顔。無表情。すごすごと立ってキッチンへ行く。戸棚にいろいろなお茶やコーヒーとか入っていた。


「すごい」

「全部僕がそろえたんだけどね」


持ってきたお土産に合わせてお茶も選ぶのだと簡単に言って、茶葉の説明をされる。ちんぷんかんぷんだった。今日はとりあえず紅茶だったのだけれど。茶器もそれなりに種類がある。ポットをコンロにかけてお湯が沸くのを待つ。


先生はぼんやりと外を眺めている。キッチンはオープン型で、調理場からリビングがのぞける。


「時々、これを手伝ってもらえない?」


先生から聞こえないように小声で澤田さんが言う。


「毎日とは言わないから、時々僕が来られない日にここへ来て、先生の様子を見てほしい。ちゃんとご飯食べてるかとか、それと、少しの時間御菓子でもごはんでもいいからさ」


ピー、お湯が沸いた。とぽとぽとぽ、空っぽのティーポットあたためるために先にお湯を入れる。


「一緒に何か食べて、おしゃべりしてほしい。なんでもいいからさ」

「どうして?あのー、奥様は?」


澤田さんは次にティーポットのお湯を使ってカップをあたためた。真っ白な柄のない、でも波のようなうねりの模様が側面についているカップ。


「事情があって一緒に住んでない」


次に澤田さんは、ポットに紅茶を入れた。ティースプーンで4杯。


「あの人、ほっとくと何日もまともに生きた人間と口をきかず、ものを食べないことがある」

「でも、なんでわたしなんですか?出版の他の人がやれば?」


それも仕事のうちなんじゃ、いっぱい人がいるでしょう?


「先生はね、野中さん。結構人を選ぶので、自分が気に入らない人は門前で、玄関の所で物だけ受け取って帰してしまうんです。家政婦さんはあがらせますけど、一緒におしゃべりはまずしない。事務的に話すだけ」

「はぁ」

「あなたのことは家にあげた。火野蒼生にとっては、これはとても珍しいことなんです」


その日の帰りの新幹線、ぼんやりとただあの午後の1時間ほどの時間を思い出す。お茶をいれて、3人でシュークリーム食べて、火野先生と澤田さんがフツーの話をフツーにしているのを横で眺めていたあの時間。わたしはほとんど話さずにそれを見ていた。


ほんとうにこの人はわたしと二人になったら、わたしと目を合わせておしゃべりするんだろうか?ただ、あの1時間のときも、先生はわたしに話しかけてこないけれど、不思議と拒絶されている気はしなかった。それに、あの日、あの夜、仙台でたしかに先生はいろいろ話してくれた。だから、人見知りのわたしでも、先生は怖くなかった。


新幹線の窓の外は真っ暗で、景色は良く見えない。びゅんびゅんと見知らぬ田舎を通り抜けていく。


澤田さんがどうしてわたしに執心していたのかわかった。それはもちろんわたしが地方の美少女だからではなかった。それは火野蒼生が珍しく心を許した人間だったから。


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