第一話 酒場
「ふぅ」入り口の扉を見つめて溜め息を吐く
店内にはランプが灯されており、石造りの壁で囲われた室内と、そこにいる男達を照らしだしている。
夕刻のいつもの風景、仕事を終えた男達が集まり、酒を飲み、歌い騒ぎ、1日の疲れを癒やし、明日の活力を得る、それは彼らにとっては変わらない日常。
一心不乱に酒を飲み、歌い叫ぶ、なにかから逃れるように、どこか狂気を孕む喧騒、それはカウンター越しに見る私にとって、ゆるやかに変わりつつある彼らの日常。
「ふぅ」何度目かの溜め息
扉から洩れていたオレンジの光は次第に色を失い夜の訪れをつげる
それは几帳面な彼の来店を告げる合図、だから私は溜め息を吐くのだ、彼は今日も必ず来るから
「キィィ」扉の軋む音
わずかに残る日の光が彼の顔に影を落とし、表情を隠している、先程までの喧騒は水を打つように静まり、ふいに闇の帷がおりた店内には、ゆらめくランプだけが息づいていた
「やぁ、こんにちわ」
ことさら明るい声が店内に響き、力強い笑顔で私のもとへと歩み寄る
几帳面な彼は私の期待を裏切り今日もやって来た
「いらっしゃい、ダンナ」
闇の中でただひとつの光を見つけたように、男達は黙って彼を見つめていた
カウンターの中心、そこが彼の定位置、なにかと人が集まり常に騒々しさの渦中にあった店の中心
「なぜそこなんだ?もっと端に座れば静かに飲めるだろ」
「端だと皆の顔が見れないじゃないか」
あぁ、席の問題ではないな
1人納得して、私は呆れた笑いをこぼした。
「いつものでいいかい?」
「ありがとう」
目の前にだされたテキーラに、しかし手をつけることなく礼だけを返す、今では当たり前のことになったやり取り
酒が飲めないわけではない、むしろ大好きだと思う、皆と一緒になって飲んでいた時の彼は、本当に楽しそうに笑っていたから
いつの頃だろうか、彼が酒をただ眺めるだけになったのは
毎日、毎日、飽きることなく酒場に顔をだし、だされた酒に口をつけることなく金だけを置いては帰って行く
「ダンナ‥やっぱりもうここには『おい!』
静寂につつまれた店内に男の怒号が響いた
「ふぅ」
今日もまた始まるのか、私の溜め息の原因が
「もう来るなと言ったよな、なにヘラヘラと入って来てんだテメェ!」
少しばかり酔いが廻りはじめたのか、顔の赤くなった男が酒の入ったグラスをテーブルへ叩きつけ立ち上がる
「テメェが来ると酒がマズくなるんだよ!おい!聞いてんのか!」
言葉の勢いのままに大股で近づき、彼の座るテーブルをダンっと叩いた
一瞬の静けさのあと、彼は顔を上げる
「やぁ、アンディ、一瞬に飲まないか?」
笑顔で交わされた言葉に、男の酔った顔が怒りでさらに赤く染まった
「ふざけんな!お前自分が何やってるのか分かってんのか!」
笑顔の彼にあびせられた罵声『何を』が意味するところは、この酒場に来ることではない、こうしていつもの席でいつもの酒を飲んでいることでもない
それは、この場にいる全員が理解していた
「何って、テキーラを飲んでいるのさ、あっそうそう、アンディの羊小屋、雨漏りしていただろ?次の休日にでも行って修理を『やめろ!!』」
言葉を切り、彼の胸ぐらを掴んで男は叫ぶ
「そうじゃねぇよ!わかってんだろ!なんで魔王なんかに」
「もうやめな!」
三度目は私が会話を中断させた
目の前の2人は幼なじみだ
毎日毎日、何をそんなに話すことがあるのか
いつもいつも同じ席に座っては、同じ酒を飲み
来る時間は違えど帰りは肩を組み2人してフラフラしながら楽しそうに出て行く姿、つい数ヶ月前までは、それを当たり前のように見送っていた
「‥‥」
男は、彼の胸ぐらを掴んだまま、射殺さんばかりににらみつけている
その視線の先にある彼の顔が、いつも笑顔でなければいけないはずの彼の顔は、その色を失っていた
悲しみを押し殺した表情、ただその目だけは決して揺らぐことなく、男を見据えていた
はじめて見る彼のその表情に、私は2人を止めずにはいられなかった
「もうやめなアンディ、席に戻りな、一杯おごるからさ」
本当は怒鳴ってやるつもりだったのに、口をついて出た言葉の思いのほか優しい自分の口調に少し驚いた
席に戻れと指をさした先、目の前に座る彼とは遠く離れたその距離が私の怒気をうばってしまったのだろうか
視線をぶつけあっている間、沈黙の2人がどのような会話をしていたのかは私には分からない
やがて掴んでいた手を離し、男はうつむいた
「なんでお前なんだよ‥」
ボソリとつぶやいた男は席へと戻って行った
表情は伺い知れない、ただ男の握った拳はわずかに震えていた
「何か飲むかい?」
男の背中に声を掛ける
「‥テキーラ」
その言葉に、カウンターに座る彼は今日はじめて少しだけ笑った




