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第11話:加藤甚五郎

 清三郎が曳く牛車——泉水覚然を拾った牛車は四両立ての一隊のうち、最後尾に位置していた。 先頭の牛車を引くのは、加藤甚五郎である。

 加藤甚五郎は、もとが紀州の人間である。 織田信長が紀州征伐(雑賀攻め)を行うのは天正5年(1577年)であり、白井河原の戦い(1571年)の時点では、雑賀衆と信長は決定的な対立には至っていない。 加藤甚五郎が中川清秀軍にいるのは、雑賀衆の事情に起因する。 雑賀衆は決して一枚岩ではなかった。彼らは「雑賀荘・十ヶ郷・中郷・宮郷・南郷」の「雑賀五組」と呼ばれる地域連合体であった。特に後に織田信長との関係を巡り、親織田派となる雑賀孫一(鈴木重秀)ら十ヶ郷と、抗戦派・独自路線をとろうとした太田左近ら中郷・宮郷などで何かと対立していた。

 加藤甚五郎は、本人が言ったものではないが、豪腕な孫一らの下に強引に組み込まれるのを嫌い、また太田左近が頭となって進める派閥抗争に嫌気がさし、鉄砲と硝薬の腕一本を持って堺の水運ネットワーク経由で北摂へ逃れてきたようである。 最初、加藤甚五郎の噂を聞きつけ、先に目を付けたのは荒木村重であったため、荒木方に出入りしていた時期も短期間あったようである。 しかし、本人曰く「分が悪い方に身を置きたくなる性格」もあり、中川軍の本田とつるむようになったかと思えば、そのまま中川軍に入ることを望んできたのである。

 いわゆる流れてきた傭兵であり、他国の隠密である可能性も捨てきれないため、今は山脇源太夫宅の離れで生活している。 甚五郎は古土法による硝煙の製造技術も持っており、他人の家の軒下、厠をしょっちゅう見てまわっているせいか、人間よりも野良猫の知り合いの方が多いといわれているが、山脇はそんな職人肌の加藤を気に入っているのか、飯時には自邸に呼んで飯を食わせてやっているようである。

 その甚五郎、鉄砲の扱いや腕前は確かであり、この度の白井河原の合戦でも、池田軍の鉄砲隊二百丁を指揮した。 甚五郎によると、鉄砲の生産地は今は九州と堺が二大産地であるが、北摂の鍛冶屋集団は刀鍛冶の技術があり、刀鍛冶については堺とそん色ないそうである。そのため、中川領内の鍛冶屋集団に鉄砲を製造させたいと考えているようである。

 新たに手に入れた鉄砲も、そのまま武器庫に入れておくことはできない。この時代の鉄砲は産地や製造時期によって品質に違いがあり、鍛冶技術が特に筒の製造技術に追いついていなかったり、度重なる使用によって筒が変形などしている場合は、暴発の危険性があり、運が悪ければ頭半分が吹き飛ぶという。今後、使えるかどうかを点検するために、中川領内に移動しようとしているのである。

 北摂の山と川、白井河原の激闘を経て、茨木城という新たな拠点を手にした中川清秀と仲間たちの物語は、時代の荒波へとさらに深く漕ぎ出していくのだった。


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