第2章「墜落現場と、壊れた常識」
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キャラ紹介
林道を全力で走りながら、私はまだ心臓の音を持て余していた。
美咲の背中を追いかけながら、他の部員たちの荒い息遣いが周りから聞こえてくる。誰も口を利かない。さっきまでの、のんびりとした調査の空気は完全に消えていた。
「アリス! 集合場所、こっちだよ!」
先を行く先生の声に、私は「はい」と答えながらも、視線だけは何度も右手の稜線に吸い寄せられていた。黒煙は、もう見えなくなっていた。木々に遮られているだけなのか、それとも――
(もう鎮火した? それとも、まだ燃えてる?)
考えても仕方のないことだと分かっていても、頭の中はその一点でいっぱいだった。
集合場所に着くと、バスの周りにはすでに部員のほとんどが集まっていた。先生二人が険しい顔で話し合っている。
「――いや、市の防災無線にも情報が回ってきてない。とにかく子どもたちを先にバスに戻す」
「先生」私は思わず声をかけていた。「さっきの、何だったんですか」
「わからない。今、確認してもらってる。とにかく今日はもう調査を切り上げて、学校に戻る」
その言葉に、部員たちからは安堵とも落胆ともつかないため息が漏れた。誰もが早く安全な場所に戻りたいという気持ちと、あの光の正体を知りたいという好奇心の間で揺れている。私も、たぶん同じだった。
「人数確認するぞ。返事した奴から乗車」
名前を呼ばれ、次々とバスに乗り込んでいく部員たち。私も列の中程で名前を呼ばれるのを待っていた。
そのときだった。
「あれ……アリスは?」
誰かの声。私は反射的に顔を上げる。
「え、私ここにいるよ」
「ごめん、人数間違えた」
安堵の空気が流れる中、私はふと、自分のリュックのポケットに入れていたはずのノートがないことに気づいた。土壌調査の記録――今日一日、丁寧に書き溜めたノートだ。
「……あ」
「どうしたの、アリス」美咲が振り返る。
「ノート、さっき休憩したところに置き忘れたかも」
「え、今から?」
「ちょっとだけ、すぐ戻ってくる。あそこ、すぐ近くだったし」
自分でも、なぜそんなことを言ったのか分からない。ノートなんて、後で先生に頼んで別の日に取りに来てもらえばいい。それなのに、私の足はもう、来た道を戻り始めていた。
「アリス! 待って、危ないって!」
美咲の声が背中から聞こえる。でも、私は止まらなかった。ノートを取りに行きたいという気持ちは、たぶん半分は本当で、半分は――あの黒煙の正体を、もう一度この目で確かめたいという、抑えきれない衝動だった。
***
林道を外れ、休憩した開けた場所に着く頃には、すでに夕暮れの色が濃くなっていた。ノートは、水筒を置いた岩の近くにそのまま落ちていた。それを拾い上げながら、私は無意識に、煙の上がっていた方角へ視線を向けていた。
木々の隙間から、遠くにまだ薄く煙が立ち上っているのが見える。距離にして、たぶん数百メートル。歩いて行ける範囲だ。
行くべきじゃない。頭の中で、真面目な優等生の自分がそう囁く。でも、足はすでにそちらへ向かい始めていた。
林の中を進むにつれ、焦げた匂いが濃くなっていく。金属と、何か化学的なものが混ざったような、嗅いだことのない匂い。木々の枝が不自然にへし折れている箇所がいくつもあり、地面には黒く焼け焦げた土の帯が続いていた。
そして、木立が開けた瞬間――私は、その光景に息を呑んだ。
斜面の中腹に、巨大な金属の塊が横たわっていた。翼のようなもの、あるいは羽のようなもの――言葉では説明しづらい、見たこともない形をした乗り物。表面のあちこちが焼け爛れ、煙を上げている。飛行機とは明らかに違う、もっと滑らかで、それでいてどこか有機的な曲線を持つ機体。
(何、これ……)
心臓が早鐘のように鳴っている。それでも、私は一歩、また一歩と近づいてしまう。恐怖よりも、目の前の光景に対する説明のつかない引力のほうが強かった。
機体のそばまで来たとき、うめき声のようなものが聞こえた。
人の声だ。
「……っ、誰か……」
私は弾かれたように音のするほうへ駆け寄る。機体から少し離れた草むらの中に、一人の男性が倒れていた。パイロットスーツのようなものを着ているが、あちこちが焼け焦げ、肩から腕にかけて痛々しい火傷と、額から流れる血で顔の半分が赤く染まっている。歳は二十代半ばくらいだろうか。茶色い髪、彫りの深い顔立ち。
「大丈夫ですか!」
私は膝をつき、彼の肩に手をかける。男性はうっすらと目を開け、焦点の合わない瞳で私を見た。
「……ここ、は……」
「動かないでください、今、助けを呼びますから――」
言いながら、私はリュックからスマホを取り出す。でも、電波は圏外。無線を持っている先生たちのところまで戻るしかない。それでも、この人をこのまま放っておくわけにはいかなかった。
救急の授業で習った通り、まず出血箇所を確認する。腕の火傷は深そうだが、幸い大きな動脈が傷ついているようには見えない。私は自分のシャツの袖を破り、傷口に当てて圧迫した。
「痛……っ」
「ごめんなさい、我慢してください」
男性は苦悶の表情を浮かべながらも、私の手を振り払おうとはしなかった。それどころか、朦朧とした意識の中で、何かを確かめるように私の顔をじっと見つめてくる。
「……子ども、が……なんで、こんな、とこ……」
「フィールドワークで来てたんです。それより、名前は言えますか? 意識、しっかりしてください」
「……ジョン……いや……」
言葉の途中で、男性は激しく咳き込んだ。口の端から血が滲む。私は焦りながらも、記憶にある応急処置の手順を必死に思い出す。気道確保、体位、保温。バスに戻れば救急セットがある。とにかく、今は彼をこの場に安定させて、助けを呼ばなければ。
「動かないで。すぐ人を呼んできます、絶対戻ってきますから」
立ち上がろうとした私の腕を、男性が弱々しく掴んだ。
「……待て……お前……見た、のか……これ……」
彼の視線が、燃え続ける機体のほうへ向く。私も釣られてそちらを見る。焼け焦げた機体の表面に、見慣れない文字――アルファベットとも記号ともつかない刻印が、かろうじて読み取れた。
「……これは、まずい……お前、見ちゃ、いけない……もんを……」
男性の声は掠れていて、ほとんど聞き取れないくらいだった。でも、その言葉の切迫感だけは、はっきりと伝わってきた。
「大丈夫です、後で説明してください。今は治療が先です!」
私はそう言い切って、彼の手を優しく振りほどき、来た道を全力で駆け戻った。
――関わってしまった。
走りながら、頭のどこか冷静な部分がそう囁いていた。でも、今さら引き返す気にはなれなかった。
***
**――俺は、目を覚ましたくなかった。**
意識が浮上するたびに、体中を焼けるような痛みが襲ってくる。それなら、いっそこのまま闇の中にいたほうがマシだと、頭のどこかで思っていた。
それでも、意識は少しずつ戻ってくる。
最初に感じたのは、誰かの体温だった。誰かが俺の腕に何かを押し当てている。次に、声。若い、女の子の声。
「大丈夫ですか!」
(――子ども?)
霞む視界の中に、心配そうにこちらを覗き込む少女の顔が映った。黒い髪、心配そうに歪んだ眉。俺はその顔を見ながら、状況を理解しようと必死に頭を働かせる。
墜落した。
そうだ、俺は――観測任務中に、機体トラブルで墜落した。高度を落としながら、必死に緊急脱出プロトコルを試みたが、間に合わなかった。
俺の名前は、ジョン・英二・ウェーバー。所属は、表向きには民間の航空観測会社。だが実態は、NASAの名を借りた、もっと別の組織――「観測部隊」の末端要員だ。
俺たち観測部隊の仕事は単純だ。世界の各地に配置された監視装置の点検、異常のないことの確認、そして万が一の「漏洩」の兆候があれば、即座に本部へ報告すること。
俺たちのような末端の人間が知らされている「事実」は、たった一つだけだった。
――この世界は、丸くない。
球体だと信じられているこの世界は、実際には巨大な円盤状の構造をしている。外周には壁があり、その先には誰も知らない何かがある。俺たち観測部隊の仕事は、その事実を守り、決して外に漏れないようにすること。理由や経緯までは、俺のような末端には知らされていない。ただ、「守れ」という命令だけが与えられている。
入隊時に叩き込まれた規則が、朦朧とする頭の中で自動的に再生される。
――一般人がこの事実、あるいはその痕跡に接触した場合、速やかに保護し、然るべき処置(記憶の改ざん、あるいは収容)を施すこと。
(この子は、機体を見た。俺の口から、余計なことも言った気がする)
規則に従うなら、今すぐこの少女の記憶を消さなければならない。それが、俺に課せられた義務だ。
でも、体が動かない。手も、足も、思うように力が入らない。腕には、この子が――俺を助けようとした人間が、自分のシャツを引き裂いてまで作った止血帯が巻かれている。
(……なんで、助けようとするんだ)
規則には、こう書かれている。一般人との接触は最小限に、感情的な関わりは持つな、と。だが、目の前の少女は、俺の正体も、この状況の異常さも知らないまま、ただ必死に俺を助けようとしている。
「動かないで。すぐ人を呼んできます、絶対戻ってきますから」
少女がそう言って立ち上がろうとした瞬間、俺は反射的にその腕を掴んでいた。
「……待て……お前……見た、のか……これ……」
自分でも、なぜそんなことを口走ったのか分からない。規則に従うなら、余計なことを言うべきではない。それでも、朦朧とした頭の中で、何かがブレーキを利かせられずにいた。
少女は、焼け焦げた機体のほうを見て、それから俺のほうに視線を戻した。怖がる様子もなく、ただまっすぐに俺の目を見ている。
「……これは、まずい……お前、見ちゃ、いけない……もんを……」
「大丈夫です、後で説明してください。今は治療が先です!」
そう言い切って、少女は俺の手を振りほどき、林の奥へと走り去っていった。
俺はその背中を、霞む視界の中で見送りながら、自分の中に生まれた矛盾に戸惑っていた。
規則に従うなら、あの子が戻ってくる前に、この場から立ち去るべきだ。あるいは、意識があるうちに、少しでも記憶操作の下地を作っておくべきだ――簡単な暗示や誘導なら、道具がなくてもある程度はできる。訓練でそう習った。
でも、俺の体は、指先ひとつ動かせなかった。
命を助けられたばかりの人間に対して、規則を優先しろというのは、あまりにも――酷な話だった。
***
俺は、痛みに耐えながら、少しずつ意識を取り戻していく自分を感じていた。
視界の端に、燃え続ける機体が映る。あれはもう、修復不可能だろう。回収班が来るまで、このままここに放置されるはずだ。回収班――規則に従って動く連中。仲間であるはずの彼らのことを思うと、なぜか胸の奥がざらついた。
俺は、この仕事に誇りを持っていたはずだった。世界の秩序を守るという、大きな使命の一端を担っているという実感。だが、こうして地面に転がり、見ず知らずの少女に助けられている今、その誇りとやらは、驚くほど薄っぺらく感じられた。
(俺は、何を守ろうとしてるんだ)
答えの出ないまま、俺は再び薄れていく意識の中で、遠くから近づいてくる足音を聞いた。複数人分の足音。少女が助けを呼びに戻ってきたのか――そう思った直後、俺の耳は、その足音の中に、明らかに異質なものを聞き分けていた。
規則正しく、迷いのない、訓練された足取り。
あれは、少女たちの足音じゃない。
(――まさか、もう来たのか)
俺は霞む視界の中で、木立の向こうにちらつく、黒い人影の輪郭を捉えた。
視界は、そこで完全に暗転した。
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挿絵 墜落現場




