180 「冬営にむけて」
竜都の中枢の別の中心では、先のことより当面の問題で頭を抱えている者たちがいた。
軍の上層部と、軍を切り盛りする参謀本部だ。
「これが、二匹目のドジョウはいなかった、というやつだな」
「先史文明の古典からとは、また古い引用ですな」
狼頭の獣人である叢雲兵部卿の言葉に、周防陸軍大将が青い肌の美丈夫の大鬼が苦笑する。
ただどちらも、顔と雰囲気に疲れがあった。
周防の参謀総長の執務室にいたが、彼の机の上には書類が山積みされていた。
しかし彼は参謀総長、陸軍で最も高い役職にあるので、基本的には決済の為の書類だ。
彼の部下である参謀たち、特に兵站業務、補給、輸送、その他の諸々の支援活動を行う部署の参謀や課員達は、連日徹夜一歩手前の忙しさで忙殺されていた。
倒れた者の為に霊薬が用意されていると言われるほどの忙しさだった。
その忙しさの結晶の一端が、彼の机の書類の山だった。
その山に二人して視線を向け内心でため息をつく。
「二匹目が逃げただけなら、こんなに書類は必要ないんですけがね」
「冬営を急がないといけないからな。タルタリア軍が戦いもそこそこに撤退してくれて、むしろ感謝したくらいだ」
ため息の次に、二人に皮肉な笑みが浮かんだ。
「確かに。前線では砲弾はまだ余裕があり、追撃戦で随分と活躍したようです」
「秩序だった撤退を一部であれ壊乱させ、さらに鉄道の徹底破壊をさせなかったわけだからな。しかも、それをしてもまだ砲弾には余裕がある」
「皮肉ですな。ですが、タルタリアの冬営はどうなんでしょうね。詳細な情報がないのが惜しい」
「周防君なら、蛭子に偵察させようと言うのかと思ったが、させないのか?」
「前、白峰さんに怒られましたからね。ですが」
そこで周防は笑みを浮かべる。
「ですが、蛭子を後方に置いたままだったのが今回の戦闘に悪い影響を与えた、と考え直してくれる事を期待しています」
「そういう趣旨の報告書をあげるんだろ。それに御子様の護衛に蛭子は有効だった。タルタリアがゲルマン製の化け物を持ち出してくるとはな」
「合成獣すら持ち出すほど、御子様のお力を脅威と認識しているだけでしょう。だがそれを蛭子が完全に封じたのですから、タルタリアよりもゲルマンやガリアが焦っているでしょうね。50匹も投入して成果なしでは、費用対効果以前に兵器として疑問を持つ筈です」
「そうかもな。それよりも冬営の話だ。蛭子も白峰様も、タルタリアの様子もあとでいい。今は1日でも早く冬営を急がないと。今年の冬は早い」
「はい。そうですね」
愚痴と雑談が終わったので、二人は真剣に当面の課題に取り組み直した。
当面の課題とは冬営の準備。
予備的な準備は、本国では備蓄物資の確認などは戦争前からそれなりに行われていた。山岳要塞でタルタリア軍を包囲殲滅した時に一時的にその作業は停滞したが、タルタリアが安易に停戦しないと分かると万が一に備えて準備を急がせた。
そして10月8日から始まった「ボルジヤ会戦」で、タルタリア軍が早々に計画的な後退を始めたという情報がもたらされると、アキツ本国の陸軍は混乱状態に陥る。
戦争が秋で終わらないのなら、急いで冬に備えなければならない。
そうでなくとも、前線にいる50万の将兵と十数万頭の馬を食べさせなくてはならなかった。
そしてこれからは、冬営の為に必要な物資、衣服を運びつつ、依然として50万の大軍団の為の補給も維持しなくてはならない。
その上、戦闘には勝利して大軍団が前進するので、その分の負担も考えなくてはならない。
鉄道の復旧、伸びた分だけの汽車と貨車の手配、考えなければならない事は数多ある。
ボルジヤ前面に展開していたアキツ軍から、次のチハ前面のダラスンまで約150キロメートル。
その間のタルタリア軍が破壊した鉄道復旧をしつつ、前線の兵士に物資を届けなくてはならない。さらに、可能ならダラスンまで複線化工事も実施したい。
タルタリアは単線でしか敷設していなかったので、山岳要塞を巡る戦いでは片道運行を延々と続け、結果として膨大な数の汽車と貨車を前線近くに放置し、そして失う結果となった。
その愚をアキツは避けたかったからだ。
「いっそ、1個軍か2個軍を幌梅や要塞までとは言わない、ダウリヤまで下げられないか?」
「あそこなら線路も複線になったし、何と言ってもタルタリアが作った巨大な基地施設が使えるからな。だがそんな事は、我らが参謀総長も考えているだろう」
周防たちのいる同じ建物内の広い部屋で、参謀達が書類の山を前に頭を抱えていた。
そこは参謀本部内で主に補給、兵站を担当する兵站部の中枢だった。
「そうだな。タルタリアが冬籠りするか冬将軍に乗じるか見定めるまで、安易に兵力は下げられない」
「情報部の情報では、大陸横断鉄道を東に向かう列車本数は変わらないそうだ。このままだと本格的な冬に入る前に、5個師団、10万の兵が上積みされる」
「そうなると我が軍とほぼ五分だな」
「だが今度の前線は半ば山の中。両軍ともに、全軍を横に並べて展開できる広さはない。回り込むのも一苦労らしい」
「大隅大将は、1個軍をだけもう10キロほど進め、チハで冬籠りするタル公を圧迫したいんじゃないかって、作戦部の連中が言ってたぞ」
「相変わらずの猛将だな。迷惑な限りだ」
その愚痴に、周りの参謀達も賛同する。
彼らは補給や兵站を担当するだけに、前進したがる将軍に好意的ではいられなかった。
一歩前に進めばそれだけ補給が大変になると知っており、さらに今回の戦争でそれを痛感させられていたからだ。
しかも夏には派手な包囲殲滅戦を全軍を挙げて行うという、補給の面から見れば暴挙と言える事を行い、さらに自分達の全軍を超えるほどの捕虜を得た。
さらにそのまま全軍は進撃を続け、わずか2ヶ月で二度目の大決戦に及んでいた。
そして今回の冬営準備だ。
もはや悪夢を通り越えている、というのが彼らの偽らざる心境だった。
「何にせよ、できる限りの事をするしかないだろう。前線の将兵を飢えさ、凍死させては、我々の恥だ」
その言葉にも参謀達も賛同した。
それが彼らの任務ではあるが、信念でもあるからだ。




