176 「湯上がりの飲み物」
「プハーッ!」
山岳要塞の大浴場に隣接した休憩所で、そんな声が各所で響く。見れば、右手にガラス瓶、左手は腰に当てて勢いよく、ガラス瓶の中を飲み干していた。
しかも体格の良い男ばかりが。
「いやーっ。意外にいけますなあ、この果物牛乳というやつは」
「竜都の銭湯で流行りつつあるらしい」
「自分の家は内風呂なので、帰ったら銭湯に繰り出してみます」
「子供らが喜ぶだろうな」
「ですな」
半裸の緑の肌のゴツい大男に、浴衣を着込んだ中肉中背の青年が答える。磐城と甲斐だ。
周りには甲斐の部下達もそれぞれ湯上がりのひと時を過ごしている。
「よく冷えた麦酒が定番と思っていましたが、自分も良いと思います」
「嵐さんでもそう思うんだ。僕は甘党なので、お酒よりこうした飲み物の方が嬉しいですね。というか、ここって一応前線ですよね」
狼男な嵐に猫耳の不知火が言葉を返した後、空になった瓶を見つつ少し呆れる。
彼らが首都で流行りのものを口にできるほど、アキツ軍の兵站状況は良好な事を伝えているからだ。
そしてそれが全く分からないという者は、甲斐の幹部達にはいない。
甲斐は内心でその事に感心していた。
だが今は、休息の時だと思い直す。
「少し前に珈琲というアルビオンのお茶を飲んだが、砂糖と牛乳を入れても美味しいらしい」
「私も噂に聞いたことありますが、飲まれたのですか?」
問い返してきたのは嵐。他の二人は何か理解していない表情を浮かべている。
「前の休暇の折に鞍馬と飲んだ。何も入れない方が僕は好みだが、この果物牛乳みたいにすれば子供の好みに合うんじゃないかな」
「なるほど。ですが珈琲は高かったですよね」
「うん。こいつくらい気軽に飲めるようになるには、アキツ領内のどこかで大量に原料の豆を栽培するようになってからだろうな。豆は南の土地で栽培すると聞いたが、どこかに栽培に適した土地もあるだろう」
「我が国は広いですからな。ここの酒保にも竜皇国中から届いた品が溢れていますからな」
今度は磐城がそう言って、次の瓶に取り掛かる。大鬼は大柄なので1本では不足だろうが、既にこれで4本目だ。
それを見て甲斐はフッと笑う。
「取り敢えず磐城には、果物牛乳の大瓶が必要そうだな」
「果物牛乳なら私達も飲んだわ。でも、送られてくる物資の量が凄いわね」
「うん。冬営用の防寒具とか諸々を運んでいるのに、この物量ですからね。鉄道が限られるダウリヤとボルジヤには凄い数の馬車もいたから、前線に届いているかも」
「食は士気に直結するものね。甲斐の言葉を借りれば」
「古今東西、どこでも言われていますよ」
甲斐と鞍馬は、割り当てられた大隊本部用の小部屋で過ごしているた。
軍施設内だけに、借り物の浴衣でいられるのは大浴場とその周辺だけなので既に軍服姿だ。
時間は9時。平時ならあと1時間で消灯、就寝なので、部下達は寝室などで思い思いに過ごしている。部下達も、上官達が二人きりの時間を過ごしていると思っていた。
だが二人は軽く明日の打ち合わせの為に、こうして顔を合わせている。
「古今東西ねえ。それで、古今東西の鬼門と言われるタルタリアとの冬の戦いについて、ここの上からは何も?」
「はい。ここは後方司令部だからか、物資、補給、兵站のこと以外だと、邪魔にならないようにしてくれとだけ。冬営の準備で忙しそうですね」
「ここはそうでしょうけど、前線の総軍司令部か本国の参謀本部、それに蛭子衆の長老達からは?」
「さっき、曹長に一応確認は取らせましたが、僕ら宛にはまだ何も。だから曹長らにも、今夜は酒でも飲んでよく寝てろと伝えました」
「よくできた上官だことで。私たちは酒なしなのに」
「後方に下がってすぐに幹部が酒浸りじゃあ、上からは睨まれ下からは呆れられますよ。でも、ちょっと飲みたい気分ですね」
やや諦め顔の甲斐に、表向き少し拗ねて見せた鞍馬は「フフッ」と笑みを浮かべる。
「大隊長と大隊副長は揃って若輩者だものね」
「僕らの年の普通の将校だったら、大尉かせいぜい少佐ですからね。見た目が若い天狗の鞍馬はともかく、僕は大抵変な目で見られますよ」
「蛭子の徽章付けてるのに?」
「まあ、見た目の歳より蛭子って方にまず関心が向くのは間違いないですけど、その次にこんなに若いのかって感じですね。ただでさえそんな感じなのになあ」
そこで甲斐は机に突っ伏す。
見栄を張るのも限界といった感じで、雰囲気もそれまでとかなり違って重いものが漂う。
鞍馬は知ってはいたが、村雨らと別れてから甲斐が部下の前では虚勢を張っていたのだ。
彼の顔を覗き込んだ鞍馬も、からかうのが躊躇われる心底困ったという表情まで浮かべている。
「……やっぱり昇進?」
「春までに、特務部隊の拡大で旅団をもう一つ作りますよね。でも、前線の将校が足りない以上に、高級将校が足りてないんですよ。特務大佐は沢山いるけど、みんな頭の硬い爺さんばかりだって、村雨さんが愚痴ってました」
「それじゃあ雷さんも昇進?」
「雷さんは僕より先任ですからね」
「先任という点なら、私も甲斐より先任なんだけど?」
「じゃあ鞍馬に旅団長と准将閣下はお譲りします。僕は大隊がお似合いなので」
からかおうとした鞍馬に対し、甲斐は凹んだままだ。
それを見て「重症ね」と鞍馬は内心でため息をつく。
「もう内定を貰ったの?」
「いえ、村雨さんとの別れ際に少し話しただけです。でも他にいないと。特に近代戦の実戦経験がある蛭子は、僕らだけですからね」
「もう覚悟しているなら、そんな顔しないの」
「覚悟じゃなくて諦めですよ。だから戦時昇進でまけてくれないかって伝えました」
「答えは?」
「俺なんか、戦時昇進では無理な中将閣下だ。諦めて付き合え、と」
その答えにため息をついた鞍馬だが、すぐに別の思考になる。そして少しばかり表情を改めて甲斐を見る。
「私はどうなりそう? 何も聞いてないけど」
そう聞くと少しだけ口の端を上げた甲斐が、鞍馬に視線だけ向ける。
一見すると道連れを見つけたと取れそうな視線だ。
「大隊副長は廃止だそうです」
「高級将校が足りないからね。それで?」
淡々と聞く鞍馬に面白みを無くしたのか、甲斐は表情を消す。少なくとも凹んでいたさっきより、少し精神が復活した証拠だ。
「大隊副長に元の大隊を率いさせるのが手っ取り早いというのが、村雨さん以外の上の考えのようですよ」
「で、甲斐と雷さんは旅団長か。……でも、旅団本部はどうするの? それに旅団編成なら正式な参謀長が必要でしょう。そっちの高級将校は、後方から頭の硬い年長の蛭子で賄うの?」
無理だと鞍馬の顔に書いてあるのを確認した甲斐は、内心少し安心しつつ口を開く。
「だから僕は、磐城か嵐を大佐にして鞍馬も合わせて准将にしてもらって旅団参謀長にしないと部隊の質が落ちると、強く伝えておきました。悪いですけど、僕に付き合って下さい」
そう言い切った甲斐を、鞍馬は少しの間見つめる。
そして小さく息を吐いて、少しばかり人の悪そうな笑みを浮かべた。
「高くつくわよ」
「分かってますよ。お代はその時に。取り敢えず今は、やっぱりお酒が飲みたいなあ」
「そうだと思ってた。これ、なーんだ?」
「霊薬用の小型薬缶ですね」
「ええ。でも別の万病の薬が入れてあるのよ。しかもタルタリア製の強いヤツで、舌の上に乗せたら蒸発するの」
そう言った鞍馬は、悪戯っぽい表情のまま栓を取って口をつけ、そして甲斐へと金属製の薬缶を差し出す。
それを甲斐は「鹵獲物資をくすねたんですか」と言いつつ手に取り、中のものを一気に呷った。




