154 「鉄道渋滞」
・竜歴二九〇四年十月一日
前線に配備されたタルタリア帝国陸軍極東防衛軍で新たな命令が出された頃、対陣する秋津竜皇国陸軍のタルタリア極東遠征軍でも、新たな命令が出されようとしていた。
もっとも、こちらも簡単に命令が出されたわけではない。
その前に、深刻な問題が前線以外で起きていた。
「鉄道と物資が渋滞しているだと?」
既に前線に司令部を置いた大隅大将は、兵站幕僚に思わずおうむ返しした。
だが、それ以上不用意な発言はせず、「それで状況は?」となるべく平静に問い返す。
それに鬼の兵站参謀が「ハッ」と返事をしてから、彼にとっての言葉を続けた。
「現在我が軍は、本国各所を発った船が大竜と征西の港へと至り、そこから各鉄道路線へ乗ります」
「そこまで元から話さんでもいいぞ。だがまあ、言いたい事は分かった。二つの路線が春浜で合流するからか」
「はい。いいえ、違います」
軍隊的なまずは「はい」と答える返答の後、さらに兵站参謀は続ける。
「春浜は、これを予期して十分な対策は講じていました。問題はその先です。春浜より本来の路線と北の迂回路の二つを用いて前線へと路線が伸びていますが、合流点となる幌梅で滞りました」
「タルタリア軍が、苦労して集積地や引き込み線を随分作っていたからいける、というのが実は違っていたと?」
「はい。タルタリアは、全てを軽便鉄道基準で作っていたのですが、重い貨車を大量に扱うには強度が足りていませんでした。今から必要最小限の改修工事を開始すれば、3日以内に解消すると見込まれます。ですが」
「まだあるのか。いや、言わんでも分かるぞ。作業員が幌梅に取られて、国境までタルタリアが敷いた軽便鉄道の路線改修工事がその間止まるわけだな」
大隅大将が少しウンザリげにすると、兵站参謀も申し訳なさそうにする。だが同時に、どうにもならないと顔に書いてあった。
「一部ですが、止まります。当然ですが復路も滞り、数日後に前線付近で大量の列車が渋滞する可能性があります」
「ダウリヤの集積駅を修復したが、そこに溜め込むにしても足りんというわけか」
「はい。現在我が軍は、大量の鉄道を前線に向けて運行しており、計画のずれによりダウリヤの集積所は許容量を超える可能性が非常に高いと考えられます」
「かといって、二つの港町からこの最前線まで、どこもかしこも輸送列車だらけ。確か、各地の駅や引き込み線も列車だらけで既に一杯だったな。しかも本国からは続々と船が到着しつつある。で、解決策は?」
一気に言ってから軽く息を吐いた大隅大将に、何かを決意した表情を兵站参謀は向ける。
それに自然と兵站参謀が頷く。
「閣下のご決断次第です。解決策は、船からの荷下ろしを一時的に止める。往路の鉄道の一部を強引に線路から外してしまう。各所で止めるのは、事実上最も困難を伴います」
「タルタリアと同じ事をするか、港を積み下ろし待ちの船で溢れ返させるかのか。だが、港の荷揚げ能力にも限界がある。待たせた後の荷下ろしが遅れれれば、前線への到着も当然遅れる」
そこまで言った大隅大将は一息つくと、その強面の顔に男性的な笑顔を浮かべる。
「持って来させろ。機関車はともかく、貨車は最終的に破棄しても構わん。兵と物資が前線に来なければ会戦が遅れ、最悪冬が来てしまう。幸い、貨車はタルタリアから呆れるほど分捕ったところだ。多少無駄にしても構わんだろう」
もっとも、実行する者達は命令を簡単に実行できるわけではない。
奪回された幌梅の物資集積駅で、兵站将校の上官と部下がゆっくりと進む列車を見つつ会話していた。
「ハ? 総司令部は何を考えている?」
「『復路の考慮必要なし。前線への部隊の集結及び物資輸送を第一とせよ』これが命令です」
「もう一度聞いたんじゃない。総司令部はタルタリア軍と同じ事をするつもりか?」
「まあ、そうでしょうね。鉄道連隊の連中の話では、タルタリアの作った軽便鉄道が思ったより安普請な上に、各所の設備も不十分。こちらは手が足りず。一度全部止めるか、どこかで無茶をするしかないそうです」
色々と顔が利くらしい部下の将校が肩を竦め、上官の将校は諦め顔になった。
「それで総司令部は、無茶な命令を出したのか」
「現にここ幌梅は、この惨状です。まあ、決断が早くて助かりました。復路は空荷だから軽いだろうと軽便鉄道の上を大量の列車を走らせなくて良かったですよ。貨車は軽くとも、客車の重さは人が乗らなくとも大して変わらないし、機関車の重さは変わりませんからね」
「ああ。前線の連中には悪いが、俺達は今まで通り来る列車を前線に進ませれば済むからな」
上官の言葉に声を出して愛想笑いした部下だが、その視線は東の前線へと向けられた。
一方、その前線に近いダウリアは、混乱の波が早くも押し寄せようとしていた。
「第229号列車はそのまま主路線を進み、前線の集積駅で次の指示を受けろ」
「第1059号列車は5番引き込み線に入れ!」
「違う! そっちは4番だ! 切り替えを間違えるな!」
「総員下車!」
「大隊整列!」
「近衛師団は順次徒歩にて進発」
「第1軍司令部より各部隊へ伝令! 集結地点に変更なし。各輜重隊、弾薬隊のみ街道を進むよう」
様々な怒号と命令が飛び交い、騎馬や徒歩の伝令、それに『念話』による命令が交わされる。
命令を出しているダウリアの鉄道連隊の司令部は許容量を超えており、列車を降りた兵士の統制には憲兵隊も駆り出されていた。
しかし問題は兵士と物資ではない。
乗せてきた列車にあった。
「今はまだいいですが、今日から3日、復路の線路改修は止まり、幌梅の集積駅は改修工事。明日辺りから、線路に乗り切らない列車が出てきますよ」
「心配するな。それを何とかする人員は既に確保してあるそうだ」
「人員?」
鉄道運行の現場の軍曹と伍長が話すが、伍長の方が首を傾ける。軍曹が兵員ではなく人員と言ったが、どこも荷役をする人夫の余剰はない事を知っているからだ。
しかも心配するなと言った軍曹の顔は冴えがない。
「分からんか? 捕虜を使う。明日には幌梅からくる列車に乗せて続々と到着するそうだ。さっき、大尉殿から通達があった」
「捕虜ですか。幌梅にまだ大勢いる?」
「そうだ。幌梅でも、残っている捕虜を労役に従事させるらしい。しかも万単位で」
「線路の突貫工事にでも駆り出すんですかね? でも、幌梅と違ってこっちは、線路の拡張工事をするにしても資材がありませんよ。それも運んでくるんで?」
「いいや、そんな事はさせない。捕虜には、空になった鉄道を線路の外に動かさせる。機関車はともかく、貨車は事実上破棄してもいいらしい。大量に鹵獲したからとはいえ、贅沢な話だ」
軍曹の話に、伍長は驚くよりも呆れた。
「えぇっと、我らが赤鬼の総大将も思い切った事を考えましたね。それで、捕虜の指示と統制は? 連中の将校に任せるんで?」
「ここの司令部が指示だけして、最低限の憲兵が捕虜の監視につくそうだ」
「なるほど。自分らはあまり関係なさそうですね」
「そうもいかないぞ。俺達になるかどうかはともかく、なるべく壊さないようにさせる指示役も付けるそうだ。間に合えば後方から通訳とかの人を回すとは言っていたが、黒竜のどこもかしこも列車で一杯だ。期待はせんほうがいいだろうな」
「ですね。了解です。忙しくなる前に、兵たちには交代で休ませておきましょう」
「その辺は頼む。我らが赤鬼の総大将は、何としてもこの秋に、タルタリアと決戦に及ぶそうだからな」
「ここの冬は早いですからねえ」
「そうだな」
二人して北の空を見る。
その空は、アキツ本国の者にとっては夏の雨季とも呼べない雨季が終わり、澄み渡っていた。
そして早くも、アキツの者にとって冬を思わせる風が吹いてもいた。