153 「極東タルタリア軍の動き」
・竜歴二九〇四年十月一日
10月が近づく頃から、最前線が動き始めていた。
タルタリア軍はボルジヤという停車駅を中心にして布陣と陣地構築を進め、アキツ軍はボルジヤより少し南に戦線を作りあげ、続々と兵力と物資を集結させつつあった。
基本的にアキツ軍が攻める形なので、戦場はボルジヤ前面で行われる事になる。
既に一部では、「次のボルジヤ会戦では」などというように、「ボルジヤ会戦」の言葉が使われ始めていた。
アキツは9月半ばにタルタリア国境までの鉄道敷設を完成させ、兵力の大半は既に国境近くにいたので主に徒歩や馬車で進ませた。
進んだ先での大軍の補給が出来るようになったという事だ。
タルタリアは、主に使う輸送路と補給路がタルタリアを東西に横断する大陸横断鉄道だけ。しかも、本国と辺境もしくは実質的には植民地の極東との境界線となる山脈から、東に3000キロメートル以上が単線なので、輸送力が大幅に制限される。
さらに言えば、本国の中枢からだと5000キロメートルも彼方で、鉄道路による優位は依然としてアキツ側にあった。
勿論、タルタリアも不利は自覚していた。
だからこそ、鉄道の片道運行という非常手段を取った。だがそれでも、膨大な戦力となった近代における輸送力は、補給物資を考えると1ヶ月で5個師団が限界。
9月のうちは、前線の兵力が殆ど消えて前線への補給はあまり考えなくても良いので、戦闘部隊の移動に専念できた。だが兵力が増えた10月に入ると、そうもいかない。
さらに問題なのは、開戦前から国境線近くに備蓄していた膨大な物資は、それまでの戦争で使うか、燃やされるか、もしくはアキツ軍に全て奪われてしまっていた。
一方のアキツは、捕虜を含めた必要とする膨大な物資を、当初からある程度準備していた。勝つ可能性が非常に高いと考え、戦争を計画していたからだ。
その上、鹵獲した大量の物資を転用して補い、さらには捕虜を迅速に後方へと移送していった。
その傍らで鉄道輸送路の建設を総力を上げて実施し、9月半ばの開通と同時に戦力の前線への移動を開始したのだった。
戦闘後の1ヶ月は、アキツにとってある意味正面から敵と戦うよりも重要な戦いだった。
そしてアキツ軍が積極的に動き始めてから半月、前線の状況は主にタルタリア軍にとって抜き差しならない事態へと傾きつつあった。
「今の段階で魔物の軍勢が攻めてこないのは、前線への物資の備蓄を待っているからだと言うのだな、参謀長?」
フョードル・ウダロイ上級大将が、参謀長のナストーイチヴイ大将に問いかける。
彼らの周りには、多くの幕僚たちが様々な地図が置かれた大きな机を囲んでいる。
場所は、ボルジヤの線路側にある駅舎を根城としているタルタリア軍の司令部。
しかし、この駅の周りに一般住民は住んでいない。
ボルジヤ自体が今回の戦争の為に作られた停車駅と軍事用の施設だけしかない場所なので、臨時に軍司令部に出来る駅舎は意外に立派で大きい。
ウダロイ上級大将は、開戦してから要塞戦の途中で編成された極東第二軍の司令官だった。
もっとも、第一軍のキンダ大将はしんがりを引き受けて捕虜となり、カーラ元帥ら総司令部の幕僚は本国に戻ってから音沙汰がない。
失点が少なく残ったウダロイ上級大将が、極東に陣取るタルタリア陸軍を率いるしかなかった。
その彼は戦争積極派だが、戦況は甚だ不本意なので終始機嫌が悪い。
しかし参謀長と幕僚も同じ極東第二軍だったので、ウダロイ上級大将の扱いには既に慣れていた。
「はい。アキツ軍の動きから見て間違いありません。加えて、本国からの増援を待っているとも考えられます」
「また我が軍は、7個師団に騎兵3個師団が既に展開。1個師団が到着しつつあります」
「さらに本国からは、年内は部隊の増強が同じ密度で実施されます」
「騎兵師団は右翼に展開すると共に、積極的な偵察などで動き、敵を大きく牽制。敵の行動を制約しています」
参謀長以下が、口々に優位な点を並べていく。
しかしウダロイ上級大将の機嫌は治りそうになかった。
「その通りだ。では、魔物の軍勢の現状を言ってみろ。そこの君」
「ハッ。アキツ軍は既に前線に11個師団が到着。友好国からの情報では、さらに最低でも1個師団が前線に移動中。騎兵部隊もかなりの数が各所に展開。重砲兵も到着しつつあります」
「そして、魔物どもの白兵戦の強さと魔法を加味すれば、攻勢を開始してもおかしくはないのではないかね」
そのまま言葉を継いだようなウダロイ上級大将の発言に、参謀長と幕僚たちは一瞬返答が遅れる。
だからウダロイ上級大将はそのまま続ける。
「だからこそ諸君らは、魔物の軍勢は物資が溜まるのを、特に砲弾が溜まるのを待っていると言いたいのだろう」
「はい、左様です。一方で我が軍は、築城と言える野戦陣地の構築に非常に力を入れています。8月の屈辱を敵に味わわせることも、不可能ではないかと」
「野戦築城は順調に進んでおり、左翼の高地には重砲陣地が多数建設中です」
「だが、敵の司令部からこのボルジヤ中心まで12キロと報告はしているが、実際の敵の前線は既に数キロ先だ。騎兵のブールヌイ少将が、既に危険だと報告してきたではないか」
「ですが、敵の大きな動きは見られません」
そう強く言い返したのは、参謀長のナストーイチヴイ大将。最初の言葉に戻ったとも言えるが、語気が強かったためウダロイ上級大将もすぐには言葉が出ない。
その隙にナストーイチヴイ大将は言葉を続けた。
「敵、アキツ陸軍は、砲弾不足で戦闘を開始する可能性は極めて低いでしょう。今回のアキツ軍の動きを見る限り、彼らは慎重です」
「あれ程の戦争芸術を見せたというのにかね?」
「では、慎重かつ大胆と訂正いたしましょう。ですが、敵が慎重な点は動きません。今回も、可能な限り準備してから攻勢を開始する可能性が高いと我々参謀団は考えています。そして彼らは、十分な物資と共に本国の精鋭の第1軍の到着を待っています」
「魔物の中でも、最も凶暴な魔人を多く含むというあれか」
「はい。魔人の多くを占める大鬼、鬼は、アキツでは古くから支配階級です。近代国家を建てて以後も、多くが貴族や騎士に当たる階級にあります。そしてそのかなりが属する近衛師団を含んだ本国部隊です。これがアキツ本国の外に出るのは初めてで、各国も注目しています」
「各国か。まあ、その辺は今はいい。それで諸君らの予測はどうかね。確か2週間後だったな」
「はい。2週間後の10月半ばの双方の予測戦力は、我がタルタリア帝国陸軍は、10個師団。騎兵3個師団を基幹とした約30万名。アキツ陸軍は15個師団。騎兵1個師団を基幹とした45万名。ただし、兵員数は後方配置の支援要員を含みます」
改めて現実を突きつけられ、ウダロイ上級大将だけでなく幕僚達も軽く息を呑む。
「防戦以外は無理な戦力差だな。だが、これ以上遅れればここ寒い極東は冬になる。そして現時点では、防戦に努める我が方に対して、魔物の軍勢の方が優位だ。動く可能性の方が高いのではないか?」
言葉は疑問系だが、その雰囲気には肯定を超えて司令官としての命令の雰囲気が強く出ていた。
(参謀長として言うべき事は言った)
と一瞬思い、そして判断したナストーイチヴイ大将は、彼の職の範囲での言葉を選ぶことにする。
「それでは、どうされますか?」
東方では実質的には部下が決めたことを司令官が承認する事もあるが、西方では司令官が決断する。
極端な言い方をすれば、参謀長や幕僚は司令官の知恵袋や決めた事を実行する手足でしかない。
もっとも、ウダロイ上級大将を言い負かしたり論破するつもりではなかったらしく、決断を迫られ一瞬の間が開く。
しかしその場の全員からの注目を感じたウダロイ上級大将が、軽く咳払いをした。
「騎兵を中心として偵察の強化だ。また亜人どもを使い、後方撹乱が可能なら実施。他は陣地構築に努めよ。手隙の全ての兵を投じて構わない」
「ハッ。文書にして命令を発します。ただ、後方撹乱については意見具申があります」
「実りある意見なら聞こう」
「ありがとうございます。本国よりゲルマンから購入した化け物の兵器が到着しました」
「確か、1体で兵士100人に匹敵するも随分高い買い物だったと聞いているが、あれを投じるのか?」
少し訝しげなウダロイ上級大将だが、参謀長は強く頷き返す。
「私は、少数の兵力に対する投入では、非常に有効と判断します。またアキツ軍は、王族が前線近くで何かしらの力を用い、兵士の能力を向上させると言われます」
「前の戦いでも、何かしらの力を発揮して敵兵の士気を高めたという未確認情報もあったな。で、力を使ったであろう御子とか呼ばれる化物を、ゲルマンの化け物で襲撃するというのだな」
「はい。勿論、警備は厳重でしょうから、偵察を行なった後に可能ならという事になります」
「そういう言い方はやめたまえ。効果があると判断したのだろう。ならば出し惜しみはするな。偵察と牽制で騎兵も投入しろ。捨て駒で良いから亜人も使え。他に必要なら、私の権限内で本国から必要なものを取り寄せさせる。かかりたまえ」
最後にウダロイ上級大将は、少し上機嫌でそう命じた。
それを見たナストーイチヴイ大将や参謀達は、アキツとの戦争に積極的というより亜人や魔人に、特に悪感情を有しているのだと感じたが何も言わなかった。