152 「再度の出征に向けて」
・竜歴二九〇四年九月末日
「御子のこと、よろしくお願いいたします」
「はい、お任せ下さい」
「皆も健やかでな」
「アナスタシア様、金剛もね」
出征前の最後の休日、甲斐と鞍馬は金剛とアナスタシアと会っていた。この場に三之御子の姿はないが、それは場所がアナスタシアが居館としている屋敷だからだ。
甲斐と鞍馬がこの屋敷に入れたのはアナスタシアが内々に呼んだからだが、既に戦前からの接触が方々に知れていたからでもあった。
「申し訳ありません。皆様、私の為に」
「アナは悪くない。覗き見している、他国の無礼者達が悪いだけだ」
しょげるアナスタシアの頭を金剛が優しく撫でる。
普通ならアナスタシアは一人で座り、付き人や護衛は後ろか最低でも横に控えるものだが、西方世界でも尊い存在とされる大天狗なので僅かに残るアナスタシアのお付きも自由にさせている。
ただ、金剛の言葉は無視できないものがある。とはいえ、アナスタシアの前で聞くのも憚られた。
「そんな顔をしなくても構わない。アナには、少なくとも私が気づいた事は話してある。それに敵意は感じないから、覗き見以上はないだろう」
「そうでしたか。まあ、普通ならこの竜都で事件を起こすような国はまずないでしょうね」
甲斐の言葉に頷く金剛だが、アナスタシアの方が甲斐と鞍馬を真剣な眼差しで見る。
「でも、御子は戦地に行くと聞きました。それに前回の大きな戦いで力を示したので、タルタリア軍が黙って見ているのかとても心配です」
「その為に鞍馬達が行く。私は一人だが、鞍馬達は150人以上だそうだ。元からの護衛もいるし、移動中も軍艦や軍用の特別列車だ。聞いただろう」
「三之御子様の護衛は我々にお任せください。それに前線と言っても、互いに大軍が布陣しあった状況。少数であっても、敵の後ろに回り込むのは不可能。護衛も万が一の為です」
「そうなのですね。甲斐様達でも難しいのですか?」
金剛に続いて甲斐も言葉を重ねると、アナスタシアも小さく頷き返した。それに少し安心したのか、最後には小さな笑みまで。
強がっているのだと感じられたが、甲斐はおどけるように両手を軽く上げて肩を竦めて見せる。
「両軍合わせて何十万の大軍が犇いていては、それこそ空を飛ぶしかありません」
「フフフ」。小さいが声を出して微笑んだアナスタシアに、大人たち3人も目を細める。
「そうですか。では、いつ出立されるのですか? 御子は知らないとしか言わなくて」
「本当にご存知ないと思われます。準備は進めていますが、我々も詳しい日程は決まっていません。恐らくは前線の状況次第ですが、秋が深まるまでに戦う必要があるので移動は遅くとも10月の半ば。早ければ今日明日にでも決まると考えられます」
「なるほど。御子は大きな戦艦と装甲列車に乗れるとはしゃいでいるだけで、本当の事は隠しているのかと。私の祖国との戦いですから」
「優しい子だからな。だがまあ、純粋に外に行くのが楽しみなのもあるだろう」
「そうですね。私もアキツに行くと決まった時は、外の世界が見られると興奮しました」
アナスタシアが微笑み、金剛が彼女の頭を撫でる。アナスタシアはとても金剛に心を許しているのが見てとれ、金剛が残って正解なのだと理解できた。
と、そこで甲斐はふと疑問が頭をよぎる。
「あの金剛様、前回の戦闘の時に黒竜の都に、三之御子様と共に行かれていたのですよね」
「ああ、そうだ。あの時はアナの周りは今より静かで、私が側にいなくともと思った。だが、随分と寂しい思いをさせていたみたいでな」
「そ、そんな事ありません」
金剛の言葉の後半は茶目っ気を含んだ語りだったのもあり、アナスタシアが顔を少し赤めながら反論する。
それを微笑ましく見る甲斐と鞍馬だが、言葉の外にある理由はすぐに察せられた。
(アキツが諸外国の予想以上に勝ちすぎたという事か。次の戦闘で勝って、戦争に幕が降ろせなければ単なる二国間戦争で済まないのかもな)
甲斐はそう思わざるを得なかった。
だが、アナスタシアの恥ずかしげな表情はすぐに改まり、戦場ばかりが戦争でないと甲斐に思い至らせた。
「ですが、自身の無力さは改めて実感しました。ですから、御子や皆様が戦場に行かなくても済むよう、私も精一杯したいと思います」
「そうだな。まずは、他の私の同族達と話し合おう。何人かは根回しのために西方へ旅立つ。アナにしか出来ない事をしよう」
「はい」
その後しばらくして甲斐と鞍馬はアナスタシアの居館を辞して、次の目的地へと向かう。
と言っても、二人にとっての趣味と言える食べ歩きだ。
「実質2ヶ月で前線に蜻蛉返りね」
「それでも戦争中に国に戻れて、こうして遊べるんですから有難いですよ」
「そうね。私たち独り身はともかく、磐城たち年長は家族もいるし」
「ええ。あ、そういえば、鞍馬は友達と壮行会はいいんですか?」
甲斐が不意に思い出したので口にしたが、鞍馬は言葉を聞いた途端に苦笑いを浮かべていた。
「春にしてもらって、半年ほどでまた壮行会なんて締らないでしょ。するなら暁達にしてあげても良いんじゃない? 今回は蛭子衆も軍も何もしないでしょうし」
「そうですね。でも外地の蛭子は、それぞれの国で壮行会してきているんじゃあないかな。二重にしたら、それはそれで締まらないかも」
「確かに。でも、飲みに行ったりはしたいかも」
「暁とは、それに学園で話しは随分したじゃないですか。それに、外地組との交流や人間関係作るのが忙しいって。これ以上忙しくさせない方が良いのかも」
「……甲斐、そういうのだから友達少ないのよ」
甲斐の言葉に、強い視線の半目で鞍馬がそう言い切る。語気も強い。
そしておもむろに普段から持ち歩いている札を1枚取り出す。
『念話』の札で、甲斐が何かを言う前に術を構築する。
『…………』
そうしてしばらく、鞍馬は歩きつつ念話を行う。
歩きながらでも術が使えるのは、鞍馬が熟練した術者な証だ。
そして終わると、甲斐の方へと顔ごと向ける。
「暁と連絡が付いたわ。付き合いは昼間にあって、今夜はどこかの店に入って一人酒だったそうよ」
「で、誘ったんですか?」
「食事だけね。どうせ店も決めてないし、構わないわよね」
鞍馬は言葉の最後を強めの語気と表情で甲斐に念を押す。
そうする必要があると思ったから。
それに甲斐は、半ば誤魔化すような笑いで返すしかなかった。
そしてその後、甲斐と鞍馬は暁と落ち合って飲み明かしたが、再度の出征を目前にした他の面々もそれぞれの休日を過ごした。
そして週明けの朝、10月1日の出征が正式に通達される事となる。