149 「夕食会」
・竜歴二九〇四年九月二十日
「お疲れ様」
「ほんと、お疲れよ。今度は甲斐が回ってきてよね」
「上の方は僕が周りますよ。でも、今日行ってもらったところは、鞍馬の方が顔が効くから」
「まあ、そうだけど……」
甲斐の官舎の居間で鞍馬は突っ伏しながら、少し膨れっ面になる。その顔のまま甲斐の方を見るも、甲斐は割烹着に三角巾の完全武装で台所で忙しそうにしている。
魔力の恩恵で高い知覚力があるので、多少離れていても大声でなくとも普通の会話は十分になり立つ。
しかし、鞍馬の愚痴に何か声をかけるであろう甲斐の返答はない。鞍馬は、単に甲斐が料理に集中しているのだと思ったが、違っていた。
「今、朧から『念話』がありました。あと30分ほどで来るって」
「ああ、ご飯食べさせる約束したんだっけ。甲斐も甘いわね」
「それで機嫌よく危険な事も引き受けてくれるんですから、安いものですよ。ただ、子供たちを連れてくると」
「え? そんな急に。どうするの? 手伝いましょうか」
「出来ればお願いします」
甲斐が返答するまでに、鞍馬は台所の脇にかけてあった前掛けを手に取り、髪をまとめて三角巾を手早く身につける。
甲斐の官舎にいると任せきりで怠惰になりがちだが、必要となるとすぐに動き出せるのが鞍馬だった。
そして甲斐は、料理自体は苦にもならないし趣味みたいなものながら、二人で料理をするという事に満足感を覚えていた。
「何、にやけてるの」
「良いなあ、って思って」
「あっそ。これ、上がったわよ。次は?」
「ありがとうございます。次は……」
そうして忙しく二人で夕食の準備をしていると玄関の呼び鈴が鳴り、「こんばんわ〜!」と三人三様の元気な声が3つ。
ちょうど手が離せなかった甲斐に変わり、鞍馬が軽く手を洗ってから玄関へと向かう。
「アレ? 今日は鞍馬の料理?」
「お二人は結婚されていたんですか?」
「そうかもって思ってた」
朧の残念そうな声と表情はあえて無視した鞍馬は、子供二人に右手を軽く左右に振る。
「違うわよ。甲斐一人じゃあ間に合わないから手伝っていただけ」
その横で「良かった。イテッ」と声に出す朧を少し強めに小突いてから、「さあ上がってちょうだい」と3人を促す。
そして居間に入ると、台所から完全装備の甲斐が大きな皿を抱えて入ってくるところだった。
「ほんとに、大隊長さんが料理するんだ」
そんな甲斐に、陽炎が感心するような呆れるような声と表情で反応し、霞もウンウンと強めに同意している。
「男が台所に立つのは珍しいか? そういえば、極西だと蛭子も養父母の元で育てられるんだったな」
「あ、はい。あ、このハイは養父母の方で。男が台所に立つのは珍しい方だと思います」
「南天は元はお武家さんが多くて、男は台所に入るなって言ってた」
「南天大陸も家で暮らすんだよね。僕は黒竜の東の端だったけど、アキツに近いからか蛭子だけの共同生活だったなあ」
年少組が口々に育った土地のこと言うのを目を細めて聞きつつ、甲斐は「とりあえず座ってくれ」と促した。
そうして用意された夕食の席は、人数分にしては分量が多かった。また膳ではなく、折りたたみの丸机を二つ並べてその上に料理皿を並べている。
丸机は、アキツでは最近になって使われるようになった家具の一つだ。
「椅子と机とはいかないがな、二人は膳よりこっちの方がいいだろ」
「あ、はい。お気遣い、ありがとうございます。椅子と机は大陸の東の国から移住してきた天狗や多々羅が広めたって聞いた事あります。でも、随分ありますね。屯所のご飯より多い」
「それに見た事ない料理も」
「二人は食べ盛りだろ。それに料理は僕の趣味みたいなもんなんだ」
「僕もまだまだ食べ盛りっ、イテッ」
早速、中央の皿に箸を伸ばした手を朧を甲斐が素早く手ではたく。
「朧は僕が呼んだが、二人を連れてきたのは朧だろ。少しは遠慮しろ」
「はーい。でも、お菓子買ってきたから、ちょっとくらいいいでしょ」
「お菓子は二人が何か言ってくれたからだろ。まあいい。食べるか。二人は遠慮せずに食べてくれ」
「バレたか。いただきまーす!」
朧は小さく舌を出したその次の瞬間には犬歯がよく見えるくらいに大きく口を開け、料理をその中へと放り込んだ。
子供二人もそれを合図に食べようとするも、甲斐と鞍馬が丁寧に手を合わせて「頂きます」としたので、それに続いてから食事を始めた。
「アレレ、おひつが空だよ」
「半分は朧、あなたがよそっていたわよ」
「ハハハ、米は一升炊いたのに足りなかったな」
「私はもう食べられませーん」
「僕もー」
朧がおひつの底をしゃもじでコンコンと叩いたのが、実質的に夕食終了の合図となった。その証拠とばかり、子供二人はお腹をさすりつつ仰向けになっている。
陽気に笑った甲斐は人数分のお茶を入れ終わると、次の算段を始めていた。
「食器洗いは私がしましょうか」
「手洗いでなら。魔術は控えて下さい」
「調理には色々と呪具を使っているのに、多少の魔術は構わないでしょう。水洗いするくらいにしか使わないのに」
「そう言いつつ、調理でも火や熱を出してたでしょ」
「呪具じゃないんだ。特級術師は違うなあ」
陽炎が半身を起こして感心し、その隣では霞が寝転がったまま乾いた笑いを浮かべる。
「僕らも一応魔術は仕込まれてるでしょ」
「いやあ、私魔術苦手だし」
「アハハハ、僕も」
「僕もー」
「でも、若い頃に習得しておく方が楽よ。大隊長殿みたいに、後で苦労する事になるから」
朧も横になったので、その上から食器を沢山持った鞍馬が一度見下ろしてから台所へと消える。
食べ終わった食器を、水を張ったタライに漬けるためだ。
そしてしばらくして戻ってくると、甲斐が拭き終わった机の上に色々と載せたお盆が置かれる。
「ヨシッ! 甘味は別腹。食後のお茶だ!」
既に匂いで察知していた朧が真っ先に起き上がると、次々に子供達も半身を起こす。
朧たちが来る途中に買ってきた、かなり高級な羊羹や最中など数種類のお菓子が広げられていく。
その中には、アキツの竜都でも珍しいものがあった。
「西方のお菓子なんて珍しいわね。お茶じゃなくて珈琲の方が良かったかしら」
「お茶で十分。北の妖精の国のお菓子だってさ。ねえ」
「あ、はい。朧さんと合流する前に、二人で買ってきました」
陽炎の言葉に霞が反応するも、あまり関心はなさそうだ。その目は、お菓子よりも人数分の湯呑みにお茶が注がれるのを見ていた。
「それはありがとう。で、これを見て、朧も何か手土産をって考えたわけだな」
「お察しの通りです、大隊ちょーどの。食べていい?」
「子供優先だ」
「子供じゃありません」
「子供だと思うなあ」
朧が言葉を返すより早く、陽炎が半目を甲斐に送り込む。一方の霞は、言葉の最後に口を開けたまま買ってきたお菓子を頬張った。




