147 「タルタリアの内情」
・竜歴二九〇四年九月十五日
アキツの各所で様々な動きがあったこの日、アキツ政府が用意したメグレズ達タルタリアの反政府組織である七連月の為のアキツでの拠点の『商館』でも、会合が行われていた。
「帝都より新しい情報が回ってきました」
「ご苦労様です。では、早速」
金髪碧眼の天狗であるメグレズ言葉を返すのは、太政大輔の石見。一見するとアキツのどこにでもいそうな壮年の鬼だが、太政官の補佐を務める優秀な人物だ。
その彼が、情報として出された分厚い封筒の中身をざっと見ていく。そして少しして顔を上げた。
その顔には少し疑問が浮かんでいる。
「いつ送られたものですか?」
「最新は3週間前。8月下旬までの帝都など主要都市での詳細になります」
「それは早い。船便なら2ヶ月はかかろうというのに。どのように送られたのかお聞きしても?」
「ある程度はお察しでしょう。三日月湖までは鉄道で。そこから馬でキタイ経由で黒竜に入り、あとはアキツ支配圏の鉄路と船で」
「それはご苦労様です」
「とんでもありません。もっと早くできないものかと、心苦しいばかりです」
「何千キロも彼方からの便りです。時間がかかるのは当然。電信では情報が足りない事が多いので、とても助かります」
「お心遣い感謝します。2週間後の便では、いただいた写憶機による情報も届く予定です。ところで電信の方は順調でしょうか?」
「勿論」。そう言って石見は彼が持ってきた封筒を渡す。それを「拝見させていただきます」とメグレズは受け取り、ざっと確認する。
その間、石見は半ば独り言のように話す。
「外交官ばかりか商人までが追い出されたタルタリア国内の情報が、これほど詳細に届くのは本当に助かります。タルタリアの帝都の情報が数日で北方妖精連合の湖の国へ。同国内の森の国の我が国の領事館から、暗号化された電信が世界を半周してアキツの竜都へ。最速なら、僅か2日でタルタリア帝都の最新情報が手に入る。近代文明とは便利であると同時に恐ろしさすら感じますな」
「ですが、電信の情報はアルビオンにも渡るのでしょう」
電信の内容を見つつも言葉を返せるのは、一度に幾つもの応対が出来る証拠だが魔法使いによく見られる特徴でもある。
「世界の電信網は、我らアキツとアルビオンで折半。我々もアルビオンの極東情報は筒抜けなので、お互い様です。それに引き換えタルタリアは、アルビオンの電信は使えない。おかげで、我が国の情報を殆ど知る事ができない」
「殆どどころか、大東国の江都の租界で得られる僅かな情報を、友好国の船で東アジアの外に運ぶのが精一杯。友好国の情報の方が正確で多い有様。その友好国も、ガリア、ゲルマンが限定的な電信網を持つだけで、暗黒大陸か中東まで行かないと彼らの電信は使えず。情報戦では、アキツが圧倒的に有利ですわね」
「ええ。大陸国家は情報と物流の重要性を分かってないので、やり易くて助かります。ですが、タルタリアの情報が得られるのは、あなた方のお陰です。あなた方との繋がりがなければ、アルビオンなどから情報を高値で買うしかなかった」
「代わりに私どもの情報を極めて高価に買って頂いておりますわね」
誌面から顔を上げたメグレズが、その美貌に満面の笑みを浮かべる。
対する石見の無個性な顔は、いつものように無表情なままだ。だがよく見れば、ほんの少しだけ口の右端が上向いていた。
互いの笑みは、情報提供が無事に済んだ証だ。
そしてここからは、互いに伏せた情報を駆け引きで引き出す場となる。
「それにしても、タルタリアは悠長に戦争を続けている場合ではないようですな」
「常備軍の2割、鉄道の1割が装備、物資、それに人員ごと消滅。特に鉄道は敷設する技師、職人が一気に消えたので、スタニアでの敷設工事が完全に止まりました。しかも今は、極東へ向かう鉄道の維持、整備、可能なら拡張をせねばなりませんものね」
「しかも資料が確かなら、タルタリア全土での鉄道による物流の混乱が各所で起きている。不作と合わせれば、来年に入れば飢饉が起きますな」
「ええ。しかも大飢饉が。加えて政府は、本格的な戦争増税を開始。戦争の長期化と兵力減少に伴い、兵士の動員と人員の徴用も大幅に強化。民の不満は急速に高まりつつあります」
メグレズは悪い笑みを浮かべるも、石見は乗って来ずに資料の幾つかを手に取る。
「なかなか良い写真もありましたね。これを外に出しても?」
「お渡しした以上、扱いはお任せします。ですが、出来るのならタルタリアの出す戦争債が、国際市場で売れないように使っていただければと」
「常套手段ですな。随分散財した上に、これからはもっと散財する。講和を結ぶなら、取った物を全部返せと言いたくもなるでしょうな」
「ハハハ」と平坦で乾いた笑いをする石見を、メグレズは付き合いで笑みを浮かべつつこれ以上は難しいと判断する。
(かといって、資料で渡した軍事の話をこの人としても仕方ないわね)
そう思うも石見の考えは別だった。
「ところで、現状で物資不足、兵力不足に悩んでいるタルタリアの新しい指揮官が、正式に決まったようです」
「前線からですか?」
「ええ。タルタリア軍にいる観戦武官、従軍記者向けの発表が。恐らく今頃は、タルタリア本国の帝都でも」
「どなたが? やはり第二軍指揮官だったフョードル・ウダロイ上級大将でしょうか?」
「はい。戦争積極派と言われるウダロイ上級大将です。何しろ、カーラ元帥は敗軍の将。今は帝都で謹慎中で、軍事法廷すら考えられる状況とここには書かれていますからね」
そこで石見は言葉を一旦切るも、「ところで」と続ける。
「タルタリア人としての意見をお聞きして宜しいでしょうか。それとも、最近入国された別の同志の方にお聞きした方が宜しいでしょうか?」
「軍事の事でしたら、彼より私の方がマシでしょう。彼は学者ですが、軍事が専門ではありません」
「なるほど。では、タルタリア軍は西方正面から主力の一部を動かすと思いますか? 現状タルタリア陸軍は全軍で70個師団のうち半数はゲルマンへの備えが基本で、さらに北方妖精連合も警戒しなければならない。スタニア方面も、アルビオンとの対立が深まり、現地の治安も不安定で安易には動かせない。動かせる兵力は最大で全軍の3割程度」
「そしてアキツは、その計算で攻め寄せた軍勢を包囲殲滅すれば、タルタリアは短期間で戦争の幕を引かねばならないと考えた。実に見事な戦争芸術ですわね」
「皮肉を仰られるな。終わらなかったら間抜けなだけ。その証拠に、次の戦いをする羽目になった。そしてタルタリアは常備軍だけでの戦争を諦め、一部であるが動員を開始した」
「ですが極東は遠い上に、戦略輸送に使える鉄道は途中から単線が1本あるだけで設備も十分ではない。往路のみという無茶をして軍と物資を注ぎ込んでいるが、1ヶ月で5個師団の移動が限界。ただ、ここに皮肉な事実がございます」
「というと?」
「1ヶ月で5個師団なら、一部動員による兵力増強と同じくらい、という事です。私どもの同志が算定、予測では、10月中ばで10個師団と騎兵3個師団を中核として30万の兵力が極東に出現します」
「ふむ」。言葉を聞いて石見は少し考え込む。
だが長い時間ではなかった。
「我が軍の参謀本部の予測とほぼ同じですな。これで答え合わせが出来たも同然」
そしてこの日初めて、石見は大きな笑みを浮かべた。




