146 「再出征に向けて」
・竜歴二九〇四年九月十五日
新たな動きはアキツ政府の中枢でも見られた。
もっとも最初に命じる側なので、報告を受け結果を知るという形になる。
太政官邸の庭の一角の小さく質素な建物の中で、報告し合う二人の銀髪と長い耳の持ち主がお茶をたてていた。
「前線への軍の移動が本格化したそうですね」
「あそこの鉄道が開通したからやな。うちも、兵部卿と鉄道卿から話は聞いとるで」
作法通り出されたお茶を飲み干して湯呑みを戻した後、短い銀髪の客人の言葉に長い銀髪のこの茶室の主人が返す。
外務卿の大仙と太政官の白峰だ。
その白峰が続ける。
「まあ、内地は1週間前から部隊の移動準備が始まっとる。向こう向けの港は、もう部隊でいっぱいやそうや」
「物資の方は、既に続々と前線に向かっていましたね」
「兵部卿は、秋のうちにタルタリアに会戦を強要して勝負を決める言うてるからなあ。そっちはどないや?」
専門家ではない二人が軍事の話をしてもとばかりに、白峰が何か言っているようで何も言っていない質問を向ける。
しかし大仙は何を聞かれたのかを理解していた。
「外務省はこの1ヶ月の間、タルタリアと話す為の下地作りに尽力してきました。アルビオンなどにも協力を仰ぎ、捕虜の様子を様々な手段で記録し、伝えました」
「様々なあ。写憶機もか?」
「はい。写真、写憶機、まだ目新しい映写機。捕虜の書いた手紙も多数。また、国内の各国大使館、我が国が大使館を置く西方各国にも正確な情報を伝えました」
「50万の捕虜を得たが国際法、戦争協定に則り扱っている、か。軍や他の省も協力したからなあ。せやけど、タルタリア国内には伝わっとらんのか?」
「左様です」。頷きつつの大仙の声は低く弱い。
徒労に終わりそうだと言いたげだ。
「どうもタルタリアの中枢では外務省の力が弱く、内務省が国内向けに情報統制をしている為と見られます。主な理由は、タルタリアの中枢は戦争捕虜どころではない事態が起きつつある為です」
「この夏、タルタリア西方はえろう寒かった、ちゅうやつやな」
「はい。近年稀に見る不作で、民の大半を占める農民の不満、不安は秋の収穫を前に非常に高まっています。今はまだいいが冬をどうやって越えるのか、という声が巷に溢れているとか。だからかもしれませんが、水面下で接触もありました」
そこで一旦言葉を切って、横に置いてあった書類鞄から一枚の書類を差し出す。
「貴族将校を捕虜交換の形で解放できないかと。ただ、我が方でタルタリアの捕虜となった将兵の数は非常に少なく、アキツ人1人に対してタルタリア人100人という有様です。そこで外務省としては、タルタリアに亜人の待遇改善を条件に出せないかと考案中です」
「貴族将校だけで、そんなに数の差があるんか?」
「はい。軍人の捕虜は約30万で、うち1割は将校。タルタリアでは、将校のかなりが貴族もしくは騎士の血筋です。向こうが求めるある程度の身分の将校だけでも1000人を下りません」
「こっちはそもそも捕虜が少ない上に、包囲戦で大半を救出したからなあ」
「はい。しかも彼らは亜人が生み出す勾玉の獲得が目的なので、戦争協定に調印していなくとも魔人でなければ無為に殺害もしない。貴族将校で済むなら、救出するべきです」
「救出やない、捕虜交換や。それに水面下はアカンで。悪い前例を作ってまう」
目を細めた白峰に、大仙も強めに頷き返す。
「はい。外務省も、外交上の正式な話として進める手筈です。まあ、戦争が秋で済むのなら、講和会議で簡単に決着がつくのですけどね」
「辺境での戦争で敗北に加えて大不作とくれば、普通は矛を収めるやろうけどなあ」
白峰はその先の言葉の先を濁したが、話を聞く大仙は内容が分かっているので聞くことはなかった。
口にしたのは別のことだった。
「その関連で、一つお聞きしたい事があるのですが、構いませんか」
「そんな聞き方やと何が聞きたいんか分からんけど、とりあえず言うてみ」
「軍は次の大規模な会戦で決着をつけるべく、御子の御出座を求めているとか」
「まあな。うちとしても、次の戦でケリが付くならとは思うとる」
御子の御出座という聞きにくい事を聞かれたせいか、白峰の言葉は曖昧だ。そして聞いた以上、大仙の質問は深まっていく。
「ですが次の戦場は完全な敵国領内。準国内と言える黒竜国とは話が違います」
「せやから軍は、護衛に万全を期すとは言うとる。が、前線の兵力は割きとうはない。それに御子様を襲う者がおるとするなら強い兵どもで、普通の兵隊では意味あらへん」
「ええ。ですから護衛に蛭子、いや特務の派遣を求めているのではありませんか?」
「そこはまだ話されへん。堪忍やで」
白峰にしては捻りのない言葉に、大仙は一瞬言葉を失う。
だがそれも一瞬だった。
「いえ、こちらこそ答えられない事をお聞きしました」
そこで少し長めに頭を下げて表情を隠した大仙だが、今のやり取りでおおよそ察せてしまった。
(御子を前線に出すとなると、蛭子の護衛を付けないわけにはいかない。軍だけでなく神祇省も蛭子の派兵側だろう。陛下も御心を痛められる筈だ。だが、蛭子を一度引き揚げさせた太政官としては、簡単に首を縦に振れない。蛭子を前線に出さない、という辺りが妥協点かな)
政府の長達がそんな話をしている頃、当事者達も同じ話をしていた。
「悪いな、呼び出して」
「村雨さんが悪いとは、相当悪い事なんでしょうな」
そう言って豪傑笑いをするのは、熊の獣人の雷特務大佐。第2大隊を率いる特務部隊の幹部だ。
そして雷の横に並ぶのは、同じく特務大佐の甲斐と鞍馬、それに第4大隊を率いる男性の天狗。茶色い髪に天狗にしては老けた印象を受ける。
木曽という名の熟練の術師だが、甲斐たちと違って生粋の戦闘部隊所属ではない。
それともう一人、怜悧な印象を放つおでこに大きな痣がある鬼が、他より少し離れて立っている。名を鈴木という。
この6人には共通する事が二つあった。
一つは、全員が蛭子の戦闘部隊である特務旅団に属すること。もう一つは、特務大佐以上の階級にあるということだ。
だから全員が、特務大佐以上にしか話せない内容の話があると察しはついていた。
「この面子だからある程度察しているとは思うが、まだ内密の話だ。表に出るまで話すなよ」
そう言って全員を見回す。頷き返したりする者はいないが、言われるまでもないという雰囲気がある。
「次の戦場は、ひと月ほど前に我々も行った場所だ。既に陸軍は総力を上げて進軍、布陣しつつある。だが戦場は、竜の加護の外だ。勝利をより確かなものとする為、軍は御子の御出座を求めている」
「その警護ですか」
また雷が言ったが、誰もがそうだろう考えていた。
だが甲斐は少し違う意見があった。
「村雨さんは、軍は御子の護衛を口実にして我々を派兵させ、なし崩しに特務旅団を前線に送り込むとお考えですか?」
皮肉げな表情で言われ、全員が苦笑を浮かべる。だが皮肉げに笑ってばかりもいられないので、鞍馬が小さく挙手した。
「旅団長、我々はともかく各地の蛭子はまだ前線に出せませんし、指揮官が不足していると聞き及びます。未編成の兵力について、軍はどう考えているのでしょうか」
「参謀総長は、現状の部隊のみ護衛に派兵し、各地の蛭子は数名を警護に当てるという腹案をお持ちだ。だが、参謀本部の頭でっかちは、強い駒が増えたとしか考えていない。今回の勝利で、地に足が付いていないと閣下も嘆かれていた」
「で、どうされるのですか?」
静かにそう問いかけたのは、第4大隊を率いる木曽。彼は動員された術士をまとめる立場なので、警護任務はお門違いという気持ちが少し声に乗っていた。
「特務旅団は御子の警護に限る、というお言葉を陛下より賜るというのが一案だ。太政官の言葉を拡大解釈して俺達をこき使うような連中だ。それくらい必要だろう、とな」
その言葉と共に参謀の鈴木特務大佐が、小さくため息をつく。旅団長の言葉が過ぎるという、お小言がわりのため息だ。
だから村雨は参謀に小さく笑みを返してから全員を見る。
「まあ、まだ水面下の話だ。とはいえ、最短で2週間ほどで派兵が決まる。それまで部隊の再編、訓練と並行して、警護任務を想定した訓練と配置を考えておくように」
「各地から来た蛭子達は?」
甲斐が問うと全員もその答えに注目する。
「本決まりになってからだ」
「子供は? 今うちで2人預かってます」
「二つ名持ちだったな。二つ名持ちは、年齢問わず全員派遣、いや派兵だ。お前らだってそうだっただろ」
甲斐が食い下がったので、やや憮然として村雨が答える。そしてそう言われてしまうと、他の者も反論はできなかった。
だからでもないが村雨は、少し表情を崩して言葉を続ける。
「まあ、お前らが現場で何とかしろ。俺も一応、上には掛け合う。戦争は子供がするものではない事くらい、アキツでは誰でも理解している」