145 「進軍開始」
・竜歴二九〇四年九月十五日
アキツ軍の前線での総指揮官である大隅大将の積極的な活動は続いていた。
いつものように大黒竜山脈の要塞司令部の司令室では、大隈大将と北上中将が雑談がてらお茶を飲みつつ意見を擦り合わせていた。
「ようやく鉄道工事はひと段落か」
「はい。これで黒竜里まで暫定の複線が開通しました。ダウリヤより東は単線ですが、全軍を前線に進められます。ただし本国待機も多いので、急ぐ必要がありますね」
北上中将は板に乗せた書類をめくりつつ話す。諳んじる事も容易いが、正確さと相手を納得させるために書類を見て話す方が良いからだ。
「まあ、黒竜里からは歩かせればいいだろう。あそこからだと、前線まで100キロもない。3日あれば着く。それぐらい兵隊の仕事だ」
「それがよろしいかと。全軍が展開すれば補給物資の輸送だけでも、単線の鉄道は不足です」
「いっそ、タルタリアのように片道運行するか?」
そう言って片眉を上げて問いかける大隅大将だが、北上中将は軽く首を横に振る。
「それをするには、前線近くに貨車を留め置く場所がありません。タルタリアは各所に引き込み線を作りましたが、全く足りませんでした。線路の外に大量の貨車を放置するという、鉄道省が呆れ返ったような強行手段に出る必要が出てきます」
「そうだな。あれのせいで、貨車の後方移送が遅れているからなあ。しかも傷みが酷いものも少なくないんだろ?」
「はい。まだ正確な数は出ていませんが、2割は覚悟しておいた方が良いと思われます」
「まあ、タダで手に入れたもんだ。気にするまでもない。それで総司令部を前線近くまで進ませて問題ないか?」
それまでと違い、大鬼らしい強面の赤い顔を真剣にして参謀長に問いかける。
参謀長の方は特に強い反応は示さず、質問を待っていたかのように別の誌面を用意する。
「黒竜里まででしたら。タルタリア軍が防衛線を敷くボルジヤ前面への前進は、まだお控え下さい」
「まあ、総司令部より先に部隊の展開だな。タルタリアが突然逆襲でもしてこない限り、俺達は邪魔者だ」
「はい。ですがタルタリア軍が逆襲する可能性は極めて低いでしょう。それに現状で我が軍は前線に6個師団を配備し、陣地を構築し塹壕を掘り防衛体制も敷いています」
「タルタリアは諸々合わせて7個師団ほどだったな」
「はい。タルタリア軍は最大で6個師団。実際は5個師団で、これに騎兵が2個師団。重砲は、先の戦闘で全て失ったので不足しています。周辺では大規模な騎兵による偵察行動は見られますが、開戦当初の我が軍の夜襲戦法の影響か、深くは入り込んできていません。我が軍の騎兵を警戒しています」
「騎兵ではなく、西方人が恐れる悪魔の群れと知ったら、連中どう思うかな」
そう言って皮肉げな笑みの大隅大将に、北上中将は淡々としたままだ。
「特務旅団は、先の戦闘でダウリヤで戦闘を行っています。戦闘力を知っていれば、開戦当初の騎兵への夜襲も彼らと考えるかもしれません」
「だが、やたらと強い精鋭部隊が各所にいると考えないか? そう見せるように、あいつらを東へ西へと行かせただろ」
「はい。ですが捕虜の証言では、初戦の騎兵との戦いは生存者が非常に少なく、タルタリア軍内部では詳細不明。敵の大規模な騎兵部隊もしくは夜襲部隊の可能性あり、とされていました。ダウリヤでの戦いでも、タルタリア軍は混乱が多く情報が錯綜していたので、詳細は掴んでいないと考えられます」
「謎の部隊か。そんな報告もあったな。まあ、謎であってくれた方がこちらとしては都合が良い」
議論に少し飽きたのか、大隅大将は軽く息を吐く。それを了解と見た北上中将は小さく頷いた。
彼女にとっての雑談は終わりという表情だ。
「はい。それで話を続けても?」
「そうだったな。現在の我が軍の大まかな位置はどうだった?」
「最終的には45万の兵力が展開予定です。現在は、ボルジヤ前面に2個軍6個師団。黒竜里に2個師団。大黒竜山脈要塞に3個師団。春浜での待機が1個師団。本国での移動待ちが3個師団。これに独立騎兵を束ねた騎兵旅団が2個と、総軍直轄の重砲兵が4個大隊。その他、工兵、鉄道兵、輜重、輸卒が各所に。後方での移動は既に開始されてます」
「来月半ばまでに、全て展開できるということだったな。15個師団に騎兵が1個師団相当。動員の進んでいた後備歩兵は?」
後備歩兵とは、予備役すら終えた者が軍に復帰したもの。当然年長者が多く、前線に立たせるのは難しい。
このため後方警備に主に使われる。
ただし、亜人の中には長命な種族もあるので一概にはそうとは言えなかった。
「6個旅団。実質的には連隊程度の戦力ですので、全て補給路を中心に後方での警備を行う予定です。また騎兵のうち1個旅団相当は、通信、偵察の魔術兵を増強した上で国境線の各所での警戒と偵察に従事。大規模戦闘への投入は難しいかと」
「我が軍のようにタルタリアが回り込んできたら、恥も良い所だからな。それで5個軍に再編だったな」
説明を受けていたが、大隅大将も既に分かっている事を改めて聞いただけなのは北上中将も知っており、そうした聞き方をされても気にしていない。
「本国から来る第1軍、要塞守備軍は第5軍に。第4軍は春浜の部隊を合流予定。これらが現状前線にいる第2軍、第3軍と合流し、総司令部の前進と共に極東総軍として新たに再編される手筈です」
「うむ。全軍の足並みが揃ったら、一度全体会議を行わないとな」
「はい。既に準備は進めています」
「頼むぞ、北上君」
そしてこの日から、計画に従ってアキツ軍のタルタリア極東への部隊の移動が本格化する。
そんな中、先月まで激戦が行われた山岳要塞の守備兵の移動がすぐにも始まった。
「軍曹殿、ここから前線まで歩くって本当ですか?」
移動を開始したとある歩兵分隊で、一等兵が分隊長の軍曹に問いかける。
「鉄道は敷いたばかりで、まだ本調子じゃない。重装備と物資輸送に使われる。だが安心しろ、タルタリア軍が鉄道敷設の為に建設した宿場町のような拠点が10キロごとにあるそうだ」
「それでも随分な距離なんでしょう。タルタリア軍は国境から2週間歩いたって聞きましたよ」
「只人の足だからな。俺達は前線までタルタリア軍以上に歩く必要があるが、第2軍、第3軍の先鋒は戦いつつでも10日しかかかってない。2週間もあれば、前線まで到着だ」
「それで距離はどれくらいなんですか? 300キロはあると耳にしましたが……」
「そんなものだ。つまり8日ほどだな」
「8日の行軍かあ」
「愚痴るな。今まで要塞に籠っていただけだろ」
「ハッ! 失礼しました」
一等兵なのでもう軍隊にもすっかり慣れていたが、長い行軍は辟易とさせられた。
そうして兵士は愚痴っていればいいが、指揮官となるとそうもいかない。現場の者となると尚更だ。
「行軍距離は黒竜里まで240キロ。さらにボルジヤ前面の我が軍の戦線まで約80キロ。行軍するだけなら8日。そこから所定の位置への展開に半日か」
「少佐殿、その前にこの要塞を出る算段はどうなっておりますか?」
大隊指揮官の少佐に大隊本部付きの年長の下士官が問いかける。それに少佐は見ていた資料と地図から顔を上げる。
顔には「そうだった」と書いてあった。
「昨日から既に動き出してはいる。我が大隊というより連隊もしくは旅団は、今の予定だと今日の昼には動く。それを考えれば、次の配置に付くまで9日だな」
「急ぐのですね。兵の準備を急がせましょう」
「うん、兵の方は任せる。私は中隊長達へもう一度指示しておく。だが前のめりで頼むぞ。もう春浜から汽車の列が続いていて、後ろが詰まっている。それに」
「まだあるのですか?」
「本国待機が3個師団動き出した。大竜と征西の両方の港を全力回転させて、1か月以内に我々と戦列を組む事になる」
「そりゃあ、難儀な話ですな。それに、まるで玉突きだ」
「ハハハ」と少佐は愛想笑いをした後、少しばかり深刻な表情になる。
「その玉を前線で綺麗に横並びにしないといけない。しかもたった一か月でな。爺さん、ではなく中将閣下も愚痴っておられた」
「少佐殿の祖父は、新しい軍の司令官に親補されたのでしたな。ご苦労、お察し致しやす」
この大隊を率いる少佐は犬の獣人。獣人によくある武士の出で、祖父は半世紀前の変革の頃の前から武士であり軍人をしている。
だからだろう、皮肉げな笑みを曹長に返す。
「変革前なら、戦闘経験のある私とその部下を引き抜いて、自分の指揮下に置き補佐させるのにとも愚痴っていた。本国待機の精鋭部隊といえば聞こえがいいが、要は戦闘経験のない新兵も同然だからな」
「そうでしたか。変革前の生まれなら、自分も士分に召し上げられたのやもしれませんなあ」
「ハハハッ」と笑うと、少佐も「私など、家に帰れば今でも若様さ」と笑い返す。
勝ち戦で進軍するのだから、大変ではあっても笑っていられた。
しかも要塞にいた彼らは、既に一度勝利した者達だ。
そして次の勝利を目指しての行動を開始した。