142 「野戦病院の視察」
・竜歴二九〇四年九月十日
包囲戦の終わりから1ヶ月経っても後始末に追われている者達は多く、特に幌梅の街から山岳要塞の裾野にかけて多かった。
「こうして遠目に見ると広大な野営地だな」
「はい。ですが、いまだ多くが野戦病院です。本来の捕虜収容区画は、幌梅周辺に集中しています」
赤い肌の大鬼に、互いに分かっている内容を敢えて伝えるのは長く綺麗な耳を持つ天狗の女性。
アキツ軍の総軍司令の大隅大将と参謀長の北上中将だ。
二人は山岳要塞の裾野の辺りから、眼前に広がる整然と並んだ天幕の群れを見る。
「捕虜50万。うち傷病者が10万。口で言えば簡単だが、途方もない数だな」
「はい。ですが、報告にあった通り、この場もこの1ヶ月の間に随分減りました」
「うん。こうして見ると実感も出るな。現状はどうだった?」
「捕虜のうち5万は、各所の鉄道敷設などで労務に従事しています。既に30万の後送が行われ、うち5万は負傷兵です。また軽傷者は、タルタリア軍から鹵獲した物資を用い、タルタリアの医療従事者の捕虜に労務として治療させています。現状は、数字の半分以下の負担となります」
「それでも、だな。依然として前線近くに15万の捕虜がいる。うち3万は負傷で簡単には動かせないか、良くなってきたので後送待ち。術医や看護兵には予想外の負担をかけたし、水薬を随分消耗した。霊薬も随分と使ったんだろ」
「捕虜はレマン条約、戦争協定に則って治療しなければなりません。当然かと。各国の観戦武官と従軍記者も、我が軍の捕虜の待遇を絶賛しています。非常に良い宣伝になりました」
そう諭され、大隅はかなり大きく息を吐く。
愚痴は終わりという合図だ。
「近代戦争の模範たれ、が我が国、我が軍の方針だからな。さて、その模範を示しに行くぞ、北上君」
「私もですか? 司令部を二人共離れるのは反対です。それに司令官が捕虜の負傷兵を視察するから価値があるのであり、参謀長が行っても意味はないかと」
「そうかもしれんが、北上君は観戦武官と従軍記者の人気者だ。それにだ、私一人では捕虜が怯える。行きたくないのも分かるが、同行を頼む」
「了解です」。年長の天狗故に感情も表情も隠せているが、『見せ物』になっている事が不満なのを大隅大将に見抜かれていた北上中将は、内心苦笑しつつ大隅の後に続いた。
「司令官閣下、参謀長、お待ちしていました」
捕虜用の広大な野戦病院の入り口で、途中で何人か従軍記者を連れた二人は、大佐の階級章を付ける軍医将校の挨拶を受ける。
本来なら白衣を着るものだが、まだ気温の高い季節なので夏用軍服に腕章という出立ちになっていた。
そして彼らが出向いた場所は捕虜用なので、一応囲いがされていて出入り口には警備兵が置かれ、詰所の天幕まで設営されていた。
「うん。通知した通り負傷した捕虜の視察だ。前は手隙の者がいないと断られたからな。今度は大丈夫なのだろう、術医長」
「はい。ですが、私の指示には従って下さい」
「分かってる、分かってる。では案内を頼む」
手を上げつつそう言葉を返し、一行は野戦病院の天幕が並ぶ中へと入っていった。
天幕内は、捕虜となったタルタリアの負傷兵が清潔な簡易寝床で横になっている。もっとも大半は、一見する限り健常者と変わらないようにすら見える。
だが、大隅大将を目にすると動揺が広がる。それは大隅大将が、かつての西方で恐れられた大鬼だからだ。
その動揺は、捕虜となってから亜人に慣れてきても小さくなかった。
「あ、悪魔だ」「いや、アキツの総司令官だ」「魔物の国の軍隊の司令官が悪魔なのは道理だな」。
そうしたひそひそ声が聞こえてくるが、大隅大将は咎め立てせず、逆に近寄って大鬼らしい顔に大きな笑顔を向けて「怪我はどうだ?」とタルタリア語で問うていく。
すると大抵は、引きつり笑いを浮かべるか怯えてしまうかのどちらかだった。
だが例外もある。
「手首から先を失いましたが、少しずつ生えてきとります。信じられません」
「じ、自分は破片で失明しましたが、見えるようになりました。神の奇跡です」
といった、主に驚きの言葉だ。
神の奇跡という言葉に、術医長が「アキツでは一般的な再生魔術です」と半ば事務的に告げるも、魔術どころか今まで近代的な医療すら受けた事のない農夫出身の兵士には理解できない。
彼らにしてみれば、得体の知れない魔術や薬で傷口が簡単に塞がる事すら奇跡の発現だった。
「アキツとタルタリアでは医療の隔たりが大きいのだな」
「我々も捕虜の治療をして、最初は呆れすらしました。こちらは西方の近代医療を学び取り入れ公民も理解しているのに、農夫ばかりか貴族の将校ですらとても驚きますからね」
大隅は一通り視察を終え、外を歩きつつ術医長に問う。
別の側に北上中将がいるが、他に話を聞く者はいない。
「さもありなん、だな。それで、もう重傷者はいないのだな?」
「はい。ここにいる捕虜の傷病者は3000名程度になり、それらも殆どが術か薬の経過待ちです。野戦病院の区画も、毎週規模大きく縮小しています。来週には閉鎖も可能です」
「うん。よくやってくれた。この大隅、軍を代表して感謝する」
大隅大将が真摯に語り頭まで下げると、術医長が見るからに恐縮する。
「とんでもありません。任務を果たしたまでです。それに我々には、様々な魔法による治癒方法があります。その上、近代医療も十分に取り入れているので、対応できるだけです」
そこで術医はいったん言葉を切るも、苦笑が浮かんだからだ。
「ただ、今話したように、タルタリアの医療体制と違いすぎて戸惑いました。我々が一から治療する患者は良いのですが、既に処置された患者の治癒、治療には手間取りました。只人の国の医療が我々と違いすぎて、驚きの連続でした」
その言葉に大隅大将は大笑いする。
「ハハハハッ! それは軍隊同士でも同じだ。医療と同じく、タルタリアは魔法に疎すぎるからな。少数の半獣以外、兵士は全員只人な上に、呪具の扱いも稚拙だ。思わず慢心してしまいそうになる」
「医療に慢心はないので、我々の方が気楽ですな」
「まったくだ」
そう返して大隅大将はまた笑った。