138 「再始動」
・竜歴二九〇四年九月一日
9月に入ると、アキツ各所は落ち着きを取り戻していた。
前線ではこう着状態とも言えるが、アキツ、タルタリア双方が一定の部隊を配置して戦線は安定した。
以前の前線付近だった大黒竜山脈の山岳要塞周辺にひしめいていたタルタリア軍の後方やアキツ本国への移送も、軌道に乗っていた。
そしてアキツ本国からの往路の船と汽車は、兵と物資を満載して安定した前線へと送り込まれていた。
当然だが、アキツ本国もそうした動きとは無縁ではなかった。
「僕が昇進するかもしれない?」
竜宮の近くにある蛭子の屯所の司令室で、甲斐は思わず上官に聞き返す。上官とは中年狸の獣人の村雨で、座ったまま甲斐へ皮肉げな笑みを返す。
「といっても戦時昇進だし、まだ可能性だ。何故かは、ある程度分かるだろ」
「各地から蛭子が続々と送り込まれているから、ですよね」
「そうだ。そして軍へと編入するのはいいが、高級将校が足りん。勿論、前線任務に耐えうる能力を持つ者がな。俺も中将の可能性が出てきている」
「中将って、つまり特務部隊の規模を旅団から師団か軍へ拡大すると? 本気ですか」
少し呆れて聞き返すが、村雨の狸顔に真意は浮かんでいない。その言葉もどこか事務的だ。
「参謀本部はその前提で動いている。だが、太政官が軍の荒っぽい蛭子の運用に激怒したので、今は棚上げだ。だから下っ端は、訓練と新装備の受領と完熟でもしておけばいい」
「当面の僕たちはそのまま、という事ですか」
「当面はな。だが参謀本部は、次の会戦までに増えた蛭子を再編成し、2個旅団の『軍』編成として大規模な後方活動をさせる積もりだ」
「旅団をもう一つは難しいでしょう。下士官はともかく、現状で蛭子は約150名。各地から来ているのは、候補生を含めて精々80名。半分ですよ」
「だが、ほぼ全員が地方で言うところの戦士。歩兵だから2個大隊は編成できる。足りない術師は、本国でまだ動員強化中で2、30名なら集まる。年長と候補生を動員すれば、さらに2、30名も追加可能だ」
「そう皮算用している訳ですか?」
「そうだ。それに、前線で威力が確認された機関銃部隊を各旅団に増強し、軍直轄で砲兵大隊も付ける。工兵や輜重も相応に強化する。ないのは騎兵くらいだ。勿論だが、移動は全部『浮舟』を使う」
「優遇されてますね」
「ろくに検証もしていないのに、今回の戦果が余程お気に召したようだ」
皮肉げな甲斐の返しに、村雨も皮肉げな笑みを返す。互いに全く好意的な笑みではなく、甲斐はさらに負の感情が湧き上がるのを自覚する。
「僕個人としては、周防閣下はともかく参謀本部の秀才の指揮下は御免被りたいですね」
「参謀総長も組織人だから、気をつけておけ。それに太政官も、対抗して色々している。どっちもどっちだ。ただし、俺たちの非公式の陛下への謁見は別だ」
「勿論理解しています。ですが戦争は継続中。加えて各地から蛭子が来ているとなると、何もしないというわけにもいかないでしょうね」
「蛭子を送り出した方々の面子もあるからな。だが、太政官が太い釘を刺された以上、次の出征があるとしても御子様の護衛程度になる筈だ。話は以上」
言葉の最後で一言一言強めに言いつつ、村雨は甲斐を見る。
「まずは全員集合だ。行くぞ」
「ハッ」
甲斐は帽子を脱いでいるので一礼して、席を立って歩き出した村雨の後に続いた。
二人が部屋から廊下へ、そして建物の外へと出ると運動場と言える広場には、特務将校達が既に集まっていた。
当然だが将校は全員が蛭子で、種族は様々だが首から上のどこかに蛭子の痣を持っていた。
集団は大きく2つ。本国と本国以外の集団だ。本国の方が、下士官の数は随分と多い。さらに本国は、旅団本部や各大隊ごとにある程度分かれていた。
そのまま整列するだろうと、皆が考えていたからだ。
そして二つの集団は、そこで違いが出た。
本国の者達は手慣れた様子で短時間のうちに整列するが、本国以外の者達は出身別や未成年者で隊列を作るも統一性に欠けていた。
その行列に甲斐も加わり、村雨だけが全員を前にする壇上へと上がる。
村雨の側には、壇上の裾に10名ほどの戦闘部隊を引退した古参の蛭子達が出席している。
「まずは参集ご苦労。休暇の者は英気を養えた事と思う。また、遠路1万キロ彼方から駆けつけてくれた者が多くいる事、蛭子の実戦部隊である特務部隊を預かる者として非常に心強く思う。だが、現在特務部隊は、白峰太政官閣下の御命令により本国待機を命じられている。当面は部隊の錬成、訓練を、候補生諸君は勉学、鍛錬に励んでもらう」
そこで言葉を一度切り全員を見渡す。
「しかしそれは本日午後からだ。こうして集まったので、親睦を深めてもらう。何しろ蛭子がこれほど参集するのは、アキツ本国の変革以来だ。そして今は戦時。来るべき戦いに備え、互いの親睦を深め絆を強めてほしい。簡単な席を用意しているので、それぞれに分かれるよう。以上」
そうして村雨が壇上を降りると、号令をかけた旅団特務曹長が、将校、下士官それぞれの向かうべき場所を号令。200名以上の蛭子の将校達は講堂へ、500名ほどの蛭子衆に属する下士官達は運動場脇の天幕に机が並べられた場所へと移っていく。
場所が別々なのは、将校には面子があるし、下士官は堅苦しい上官達の話し相手をしないで済むようにという、蛭子衆というより軍隊らしい配慮だった。
そしてそれぞれの場所で、軽食をしつつ本国の者と本国以外の者の挨拶などが交わされていった。
「村雨旅団長と何を話していたの?」
「ここでは話せない話」
「あっそ。じゃあ今晩にでも話して」
「話せない事もありますよ」
講堂内に設けられた立食会場で、甲斐と鞍馬はとりあえず第1大隊として挨拶をしてまわりつつ、空いた時間は雑談に興じる。
他の者も似たような様子だが、特に二つ名持ち、もしくは特務少佐以上の者との挨拶をする為、会場内を歩いて回る。
「これだけ蛭子の精鋭がいると、話せない内容もある程度察せてしまうわね」
「まあ、そうですよねえ。さあ、次の相手ですよ」
「ええ。大隊長殿は口調に気をつけて」
「大隊副長もね」
そう言い合いつつ、次の蛭子の将校へと歩みを進めていった。