137 「天狗達の外交(2)」
「……政府と軍の長達は、既に最悪のさらに上を想定されているのかしら?」
最初に回答に行き着いたのは鳳凰院だった。そしてその目には、確信があった。
その目を見たロドニー大使は、それで多くを悟った。
そして大仙は頷かざるを得なかった。
「まだ誰も口にはしていません。ですが、太政官、私、それに最も否戦派であろう兵部卿は、頭に思い描いています。そして恐らくは、陸軍参謀本部の長と作戦参謀の一部も」
「そ、それを私どもに話して宜しいのか?」
外交官としての分厚い仮面にヒビが入ったロドニー大使が、滅多に見せない狼狽の姿を晒す。
それほどの事を大仙は、一見平静なまま口にしたのも同じだった。
「ええ。あなたのお国を半ば脅す為ですから、構いません」
「脅し、ですか。どこまでおやりに?」
「最悪ですから、最悪です。最悪の場合、我が国はあの帝国を倒します。そうしなければ戦争が終わらないのであれば、やる以外に道がありません。世界中に大きな混乱が起きようとも、必ずします。ですが、そうなる前に何とかする事こそが、外交と海外交渉を預かる我々です」
普段の温和な外交人の顔を捨て決然とした表情の大山に、二人は本気なのだと理解せざるを得なかった。
「わたくしどもとしては、より大きな商いの出来る戦争はむしろ望むところではありますが、戦後の商売相手まで潰してしまうのは下品ですわね」
やはりというべきか、すぐに反応したのは鳳凰院だった。その言葉と態度を見聞きしつつ、ロドニー大使は目の前の黒髪の天狗が年齢不詳どころではないという噂が噂ではないと認識せざるを得なかった。
(魔物の国中でも最上級の魔物、いやモンスターの一人と言われるだけの胆力、それに判断の速さだ。外交の上での最悪とは、約100年前の西方全土を巻き込んだ英雄戦争と同じかそれ以上という事だぞ)
次に湯呑みに口をつけつつ大仙を伺う。
(それにこの国は、華麗な戦争芸術を見せたばかりなのに、既にそこまで考えているとは。やはりこの国は底が知れない。だが、手立てが見えない。正面からの戦闘だけであの帝国を倒すのが不可能なのは、それこそ100年前に実証されたではないか……)
「大使だけでお言葉が出せないのは承知しております。ただこの件、もしお伝えするなら電信はお控え願いたく」
「勿論です。手紙でのみ、使者を立てて直接運ばせます」
大仙の念を押すような言葉に強く頷き返しつつも、思考の最後のところの答えが見えないので、歯切れが良いとは言い切れなかった。
そこまで見透かしたのか、大仙が笑みを浮かべる。
「国を滅ぼすのが正面からでは無理なのは、あなたのお国が我が国よりご存知でしょう」
「つまり、内と外から。だが内とは? 失礼ながら、純然たる亜人国家の貴国が只人の国家へ介入するのは、最も不得意とする事の一つではありませんか?」
「全くその通り。ですが敵は内にあり、というのも国家には良くある話ではありませんか?」
「ましてやあの北の大国は、周りを飲み込んできた歴史がありますのものねえ」
鳳凰院の多くを察した上での半ば呆れるような言葉に、ロドニーもようやくある程度得心した。
しかし簡単に何かを語るのは難しかった。
そして大仙も鳳凰院もそのことは理解していた。
「この件で、何もおっしゃらなくて大丈夫です。それに貴国の陰の円卓達が、今の話の情報の一端なりは掴んでいる事でしょう。だからこそ話したとも言えます。それに我々がなすべきは、何度でも言いますが「極東戦争」を出来る限り早く終わらせる事です」
「そうでしたな。今のお話も、我が国への前払いと考えましょう。そしてそれに応えるべく、最大限の努力を傾けるとお約束しましょう」
「是非に。正直なところ、次に起きる会戦で我が国が大勝したら、タルタリアが力を失いすぎて、西方列強がいらぬ事を考え始めるでしょうからね」
大仙は力強く頷くも、すぐに皮肉げな笑みに変わる。
「おっしゃる通り。西方は右手で握手し背中の左手に短剣を持つ世界。いっそ、貴国のように他国と剣を向け合っている方が気楽なのでは、と思えてしまいます」
「ハハハッ。常に刀を構えるのは疲れますよ。もっとも、そうしないと話すら聞いてはもらえないのが、魔物の国の辛いところです」
「アラ、お金には皆さん正直ですわよ。売らない、かも知れないと呟いただけで、素直になられますわ」
武ばった表現の話に、鳳凰院が女性らしい柔らかさで入ってくる。しかし、ロドニー大使の目は少し厳しかった。
「だが、かも知れないではなく、実行された事も過去におありでしょう」
「魔物相手だと大金を踏み倒した方々が悪いのです。商売は互いの信頼が基本ですわ」
そう返したロドニー大使に、鳳凰院は品よく笑う。
だが目は笑っていなかった。
そしてそれをロドニー大使も受けてたつ。
「確かにそうなのでしょう。ですがあの時は他の国にも手を回したせいで、最終的には隣国に併合されて国ごと消え去っている」
(このモンスターから何か聞ければ、同席させた価値があるというもの)と思いつつ、正面からの言葉を投げかける。
「亜人は全て滅ぼせという野蛮な教えを持つ方々ですし、因果応報でしょう。それに多くの亜人を害していたので、世界中の亜人の方々が賛同してくださいました」
「そうでしたな。だが、今回も似たような事をされるのではありませんか。既に手を伸ばし始めていると、我が国の目ざとい者達は不安がっております」
その言葉と共に目に力を込めるも、鳳凰院はそれを真正面から受け、しかも全く感情は動いていなかった。
「わたくしどもは、タルタリアとは対話は十分可能と考えております。貿易も今は戦争で止まっているだけ。問題が皆無ではありませんが、問題ないと考えおります。話に上ったあの国の時は、話し合いどころか使者を害しすらしましたから」
「確かにそうでしたな。我々も、あの国だけでなく周辺地域での対応には常に苦慮しております。つまらない昔話をしてしまいました。申し訳ない」
そう結んでロドニー大使は軽くだが頭まで下げる。
非公式の場だからこそ出来る芸当で、公式の場であったなら国を代表する大使がする事ではない。
それを二人も十分に理解している。
「いいえ。他の種族では遠い過去でも、天狗にとっては少し前の事でしかありません」
「特にお二人にとってはそうでしょうな。そういえば、最近貴国の大天狗の方々が活発に動き始めたという話を耳にしましたが、お二人が関係されているのでしょうか」
「わたくしは、少しばかり知己に手紙をしたためましたが、他の多くの方もそうではないでしょうか」
「ええ、私や太政官の白峰も同じです。我が国でも古参の方が、少女の願いを叶えようと動き始められたご様子。今も、我が国の山野を駆け回っているとか」
「少女の願い、ですか。何やら物語の一節を聞くようなお話ですな。ですが、後ろ暗い話よりよほど良い。これは良い土産話しを聞けました」
ドロニー大使が、少し大きな仕草と共に大きな笑顔と明るい雰囲気を見せると、同席する二人も笑みを返す。
しかし、さらに話を続けてからその場を後にしたロドニー大使は、帰りの馬車の中で苦悩を余儀なくされた。
(南鳳財閥総帥を呼ぶというから化けの皮の一つでも見ようと思っていたが、酷い話を聞かされた。竜の魔王が何を考えているのかはともかく、この魔物の国は全面戦争も辞さないつもりだ。そしてそうなれば、西方でも大乱は必至。我らアルビオンが求める平穏と調和が大きく乱れてしまう。何としても、タルタリアとアキツの和平を図らねば。全く、大天狗どころか、とんだ狸と狐だ!)