134 「大剣豪の代役」
・竜歴二九〇四年八月二十四日
この日から1週間、8月末日まで甲斐と鞍馬は三之御子とアナスタシアの側にいる事となる。
アキツでは8月最後の1週間を残して夏休みが終わるので、今日から新学期だった。
「タルタリアでは9月から新学年なので、春に新学年になるアキツの制度は少し戸惑いました」
まずは二人で三之御子の住む竜宮の門まで行き、その足でアナスタシアの居館へ立ち寄り、そして皇立魔導学園に向かう。
金剛がいれば、金剛は三之御子と共に竜宮に居たので、甲斐達は朝早くに起きて竜宮に赴く分だけ手前だし、二人は早起きしなければならないが仕事と思えば大した事はない。
もっとも、二人は休暇中だし金剛からの私的な頼まれごとでしかないので、私服姿だった。
ただし武器を持つ許可は取ってあった。
「体験された通り、アキツの9月初旬はまだ暑いからかもしれません」
「昔は公教育どころか学年や学期自体がなく、公教育が導入された頃は西方と同じだったそうですよ」
金剛の代わりに同じ馬車に同乗する甲斐と鞍馬がアナスタシアに答える横では、三之御子が訳知り顔をした。
だから甲斐が問いかける。
「御子様はご存知なのですか?」
「金剛がね、もっと年上の大天狗が四月でしょうって、逆に聞き返したのが始まりって言ってたわ」
「アキツは学校の歴史も古いのね。羨ましい」
アナスタシアが心からの言葉を口にすると、三之御子は少し以外そうにする。
「アレ? タルタリアにも学校あるって」
「はい。大学院まで。でも、貴族とお金持ちの男子の為の学校です。女子は家庭教師で、私もそうでした」
「あー、そんな事、前に言ってたね。確か、みんなが通える学校はないんだっけ」
「商人達の私塾と教会の神学校が多少広まっているくらいだと聞きました。農村だとそれすらない場合が殆どだとも」
「学校がないとつまらないよねえ」
子供達が言葉を交わし合うが、大人二人にとってもアナスタシアの話しは新鮮味があった。
同時に別の事を、甲斐は感じざるを得なかった。
(近代を成し遂げるには全ての民の教育が必要不可欠と教えられたが、本当にどちらが近代化していないのかと西方の只人国に問いたくなるな)
そうして馬車は学園へと至り子供達二人は勉学を行うが、大人達は講義室などには入れない。
しかしその点は、既に話してあった。
講義室に二人が入ると示し合わせる。
「それじゃあ最初は僕が残るので、2時間目が終わるまで好きに過ごしていて下さい」
「了解。金剛は暇を暇とも思わないけど、待ってるだけじゃあ芸がないものね。久しぶりに図書館を覗いて来るわ。何かあれば『念話』よろしく」
そう言って鞍馬は歩み去った。
それを見送りつつ、甲斐はのんびりと周囲を伺う。
(学園自体の警備体制もしっかりしているし、不審者が入るのは事実上不可能。その上、アナスタシア様には警護の者がいる)
そう思って見た先には、それぞれの正規の警護が2名ずついて、甲斐よりも真面目に待機していた。
(僕らは金剛様の代役とはいえ、あまり出しゃばるわけにもいかず。意外に難しいな)
内心小さくため息をつくも、講義室から漏れる声を聞きつつ周囲へと意識を集中した。
一方鞍馬は、学園内の図書館に向かう途中、予期せぬ知人に遭遇していた。
「珍しい所で会うわね。エーット、どちらの名前で呼べばいいかしら?」
周囲に人気がないのを確認した鞍馬は、砕けた調子で出会った知人に問いかける。
「誰もいないとはいえ、リーザと呼んでくれると助かるわ。彼はイワン。勿論偽名だけど、ニコライ・ツルゲーネフ。新しくアキツに来た同志の一人よ」
「お初にお目にかかる。タルタリアで学者をしている」
「こちらこそ初めましてツルゲーネフ様。鞍馬とお呼び下さい」
リーザことメグレズが紹介した男は言葉少なく、あまり話し慣れていないと鞍馬は見た。
一見したところは、神経質そうな少し年配の只人の男性だ。
(学者とはいえ教師ではなさそうね。同志という事は、7つの月の何番目の名前なのかしら)
数瞬、鞍馬は相手二人を値踏みするように見たので、メグレズが軽く首を傾ける。
「何をしに来たのかと問いたいのかしら。それだったら、答えは簡単。彼にこの学園の図書館を案内していただけよ。本当に」
「私もそうだけど、偶然ね」
「半分だけね」
「半分?」
「ええ。鞍馬と同僚の男性が、出征前に学園によく来ていたのは知っていたから、もしかしたら会えるかも、くらいには思っていたわ」
「私にだけ?」
鞍馬は少し目を据えてメグレズを見ると、笑顔で返された。
「怖い顔しないで。本当にそれ以上はないわ。鞍馬が懸念している、私達がアナスタシア様や常に一緒と聞くこの国の御子様のお一人に会う気は全くないわよ。だから講義中に移動しているでしょう。それに私はすぐに退散予定。拝謁は、手順も時期も考えて行います。これで満足?」
「拝謁はする予定なのね。でも、学園では何もしないで。今は、学園だけがあの方々にとって安らげる時間なの」
「心得ている」
答えたのはメグレズではなく、連れの男の方だった。
神経質そうな男は、その目も態度も真摯に見えた。タルタリア皇族に対するものか、単に子供に害を及ぼす積もりがないのか鞍馬には分からないが、その態度は信頼置けるように見えた。
だから鞍馬も態度を柔らかくして笑みを返す。
「宜しくお願いします。では、図書館に行きましょうか。ちょうど私も向かう所でした」
そうして2時間目で鞍馬は甲斐と交代したが、一人で限られた時間に行ける場所は限られている。
ただ、鞍馬から図書館にはタルタリアの秘密結社の者がいると聞いていたので、図書館にも近づけない。
(さて、図書館に行けないとなるとどこに行こうか。久しぶりに色々見て回るかな)
そう考えて気の向くままに、広大な敷地内をのんびりと歩き出す。しかし10分も歩くと、自然とある方向に足が向いていた。
(妙に魔力が集まっている場所があるな。僕らの大隊が集結しているのに似ているから、金剛様が話していた大天狗達が沢山集まっていたりするのか? それとも貴族達の師弟が集まっているのか……)
その答えが出る前に、建物内の十字路の横合いから甲斐は懐かしい声が響いてきた。
「甲斐さん」
「? 暁! いつアキツに?」
「本当に久しぶりです。私は2ヶ月ほど前に」
言い合いながら近づき、固く握手する。
アキツではお辞儀が一般的だったが、半世紀前の変革以後は西方の習慣が広がりつつあり、特に本国以外ではそうだった。
そして甲斐と握手を交わした相手は、甲斐と似た年頃の細身の長身で男性。イヌ科の耳を持つ半獣で、アキツ本土にはいないコヨーテの半獣だ。
いでたちはアキツの本土以外の者が身につける夏用軍服で、階級は特務中佐を示している。
もっとも、右目を隠し上品な口髭を蓄えた端正な顔立ちで、極西人特有の褐色の肌も相待って夏の避暑地が似合いそうな雰囲気があった。
その外見に似合うように、口調と声色も華やかな丁寧さがあった。
「そうか。6年ぶりだが、元気そうじゃないか」
「甲斐さんも。極西での紛争事件以来ですね。それより大佐に昇進したそうで、おめでとう」
「暁も特務中佐か。互いに偉くなったな。僕は大隊長をさせられて苦労しっぱなしだ」
「何言っているんです。戦地では大活躍と聞きましたよ」
互いに右手で左の二の腕を軽く叩き合い、互いを称える。もっとも、二人とも声が少し大きいことにすぐに気づいた。
「おっと。ここでは何だな。大食堂で話さないか」
「そうしたいところですが、あまり離れられません」
甲斐の誘いに暁は講義室の一つに視線を向ける。
甲斐も同じ講義室に視線を向けつつ、手で軽く促す。
「じゃあ、近くの外にしよう。あの講義室が見えていればいいか?」
「はい。ですが長時間は無理ですよ」
「それは僕もだ」
話しつつすぐにも移動して、多少話しても大丈夫な校舎の外に出た。