133 「代役」
アキツ政府が今後の戦争について様々な動きを見せている一方で、帰国した甲斐たち特務旅団はまだ休暇中だった。
とはいえ5ヶ月の任務で2週間の休暇が長いのか短いのか、当人達にも分からない。とにかく無事に帰った事を喜び、家族を持つ者は休暇を満喫していた。
一方で、甲斐や鞍馬のように独身の者の方がずっと多い。何しろ蛭子は生まれた時から親から切り離された天涯孤独。蛭子の下で働く下士官達も同様だ。
しかも魔力だけでなく体力、運動能力が問われる軍人となると、兵役が決められているので独り身の者が多くなる。
そして独り身の者である2人が、その日の午後も皇立魔導学園に来ていた。
「凱旋休暇中なのに悪いな」
「休暇と言っても、寝る以外にする事もありません。むしろ光栄に思います」
そんな会話を金剛と甲斐が交わすように、この日は金剛が呼び立てたものだった。
「うん。1週間ほど頼む。便りを出しても山を降りない呑気者が多いくてな。声をかけて回ってくる」
「休暇はまだ10日ほどあります。暇な部下も呼ぶから、私達に任せて」
今度は鞍馬が金剛に言葉を返すと、金剛の右隣に並ぶ三之御子が大人三人を順番に見る。
「私は金剛以外にも沢山お付きの人や守ってくれる人はいるから、アナをお願いね」
「私なら大丈夫です。御子こそ、アキツには無くてはならないのです。私などより御子に付いていて下さい」
今度は左隣のアナスタシアが、同じように三人の大人を見る。しかし気丈に振る舞っているだけなのは、大人達から見れば明らか過ぎた。
「学園での御子様には僕が、アナスタシア様のお側には鞍馬が付きます。ご安心下さい。僕は無理ですが、鞍馬ならアナスタシア様がご滞在されている居館にも入れます」
「何か言われるようでしたら、少し魔力を解放して髪をこの様にします。タルタリアの施設でも大天狗は出入りができるとか」
甲斐に続けた鞍馬が少し冗談めかして言うと、彼女の髪の色が淡い魔力を帯びた銀色へと一瞬で変化する。
「見事な虹銀ですね。ですが、幻影の魔術と勘違いするものがいるかもしれません」
「その時は魔力を解放してみせてやります。魔力を持つ者なら、大天狗だと分かって頂けるでしょう」
さらに片目をつぶって茶目っ気を見せると、アナスタシアは小さく微笑んだ。
そこに金剛が笑いつつも少し残念そうに口にする。
「私が幻影で黒くして鞍馬が銀髪になって入れ替わる事も考えたのだが、この案は鞍馬に却下されてしまった。似ているからいけると思うんだがなあ」と。
「短時間ならともかく、必ず見破る者が出てかえって騒動になります」
「だが鞍馬なら私の魔力の波動も真似られるだろう。それに周りは私を置物のようにしか見ていないから、些細な違いは気づかないよ」
「普通の者ならそうかもしれませんが、金剛の声がけで多くの方々がこの竜都に来られているのでしょう」
説教ごしの鞍馬がそう問うと、金剛は机に片肘をつき手の上に顎を乗せる。その表情が少し面白ろそうだ。
「世捨て人と隠居している連中がかなり。呼びかける前に出てきている者も少なくない。苔むす岩のような術者連中によれば、アルビオンの蛭子が物見遊山以外で、竜都と古都に入っているそうだ」
無視できない金剛の言葉に、甲斐と鞍馬双方が無言ながら強い反応を見せる。
だが金剛は、「大した事はない」ともう片方の手を軽く横に振る。
「っ! その事を関係部署には?」
「神祇省と魔法省、それに鞍馬達のご同輩も把握している。もっとも、覗き見目的らしい」
「覗き見? 我々が隙を見せれば大東国の再来を狙うのでは?」
「それを警戒はしたが、向こうの切り札は来ていない。あの国の魔法使い達は、大東国の騒動から立ち直れていないそうだ。だから、アキツが隙を見せたら動くと見せかける為の動きという判断だ」
「金剛が留守の間、私達がお二人に付くのは念の為ではなく、アルビオンのせいですか?」
「白峰や他の者が十分に対処はしている。単に、二人が寂しがるから付いていて欲しいだけだ」
その言葉に心の一部で拍子抜けのような気持ちがあったが、金剛の横で嬉しそうな、そして少し不安げな子供達を見ると笑顔しか出てこなかった。
天涯孤独で世話役や教師しか知らない蛭子である二人は、少し似た境遇の子供に少しでも何かしてあげたいと思ったからだ。
「それで、山を降りてきたり古都などからきた大天狗とはお話しできましたか?」
「はい。多くの方に知己を得る事ができました。中には、金剛様と御子が黒竜に行っている間、側に居て下さった方まで」
「皆、面倒くさがりなだけで暇人が多いだけだ。もっとも、沢山竜都に出てきたので、また子作りするかという者が随分と出ている。こんな事は変革以来だ」
そう結んで金剛は楽しげに笑った。
その後、金剛が甲斐、鞍馬が戦場を経てどう成長したかを見たいということで軽く手合わせし、貸切とした学園内の大浴場で子供達も交えて軽く汗を流していた。
勿論、甲斐は男風呂で一人優雅に寛いでいる。
「でもでも、大天狗ってあんなに沢山いたのね。私、今まで10人くらいしか会った事ないのに、その十倍くらいの人がアナを訪ねてきてくれたんでしょう」
「はい。100人近く。私も、あんなに多くの大天狗の方にお会いして驚き疲れました。それに沢山の天狗の方々も」
言いながら子供二人が笑い合う。
「ですが、竜都を既に発たれた方も多いのでしたっけ?」
「ああ、そうだ。国や同族に請われて国の各所で手を貸している者もいるが、かなりの数が西方を中心に世界中に旅立った。外務省から、大仙の小僧が小言を言いにきたがな」
壁の向こうの甲斐の言葉に、金剛が楽しげに返す。
一方でアナスタシアの表情は真摯だ。
「その方々に、私の手紙を幾つか託させて頂きました。金剛様や大天狗の方々には感謝しかありません」
「呑気で怠け者の私達だけだけでは、何もしなかった。感謝するのはむしろ私達だ。動く動機と理由を、アナがくれたんだ」
「そうだよ。陛下や他の御子も、アナは凄いって言ってた」
「そ、そんな」と金剛と三之御子に照れるアナスタシアだが、壁の向こうの甲斐は会話を聞きつつも楽観とは程遠かった。
(話し合いの芽の一つが動き出したと考えれば良いんだろうけど、天狗の交流網は結局は亜人のものだからなあ。タルタリアにどこまで届くやら……)
そしてその日から1週間、甲斐と鞍馬は金剛から紹介と口添えをされ、三之御子とアナスタシアがそれぞれの住居から出ている間、金剛の代わりを務める事となった。