130 「夕食での雑談」
「非公式の謁見かあ。無理矢理にでも付いていけば良かった」
竜宮での謁見時間は短かかった。
甲斐が早めに官舎に戻り夕食の準備をしていると、『念話』でそっちに行くと連絡した鞍馬が、甲斐が何があったの最初の一言に対してそう愚痴った。
「そうもいかないでしょう。とりあえず、この小鉢で先に飲んでいて下さい」
「あっ、タコの酢の物。前線だとまず食べられないわよね」
一瞬で機嫌を直した鞍馬だが、彼女にはおまけもいた。
「おっ、僕のぶんもちゃんとある。流石は大隊長」
「ホント。甲斐って無駄にマメだから、指揮官よりも参謀向きなのよ。考えるのも好きだし」
「その考える役職の人が何言ってるんですか。それと、二人ともまずは手洗い。蛭子でも軍でも清潔さは仕込まれているでしょう」
「はーい」
二人して答えた。
そしてしばらくして、三人で膳を囲む。
3つの膳の上は、なかなかに充実していた。
最初に出たタコの酢の物以外に、豚肉の生姜焼き、かぼちゃの煮物、冷奴、具材豊かなみそ汁。
特に豚肉の生姜焼きは、朧が「おにくーっ!」と歓声を上げたように大皿に別盛りで用意してあった。
「『念話』で話を聞いて意外だったが、どうして朧を秘密結社の人との商談に? 護衛じゃあないよな」
甲斐も自分で作った料理に箸をつけつつ問うと、鞍馬が大きく口を開き大きな犬歯を見せつつ肉を口へと放り込む朧に視線を向ける。
もっとも、当人も肉の攻略中だ。
軍人で野外活動も多いせいか、鞍馬もなかなかに気持ちよく食べる。
そうした二人を見て、甲斐は内心で大いに満足していた。
「かなりの取引だから、私一人だと箔がつかないでしょ。かといって、軍、政府関係者は借りたくないし、平日だから友達は無理。だから万が一の護衛も兼ねて朧を誘ったの。甲斐の夕食を餌に」
「昼間はブラブラしているだけだし、食事もどこかのお店に入るか買い食いで終わるから、僕としては願ったり叶ったり。やっぱり、甲斐さんの料理は美味しいね。いつも食べられる鞍馬が羨ましいよ」
「そりゃどうも。それといつもじゃないぞ。話は変わるが、なんで僕だけさん付けなんだ? 鞍馬も上官だろ」
唐突感があるが、それを甲斐の照れ隠しだと分かるのは鞍馬だけ。朧は気にもせずに、口に食べ物を放り込みつつ視線を上に向け、少しだけ考える。
「いつだったか、鞍馬が呼び捨てでいいって。甲斐さんが甲斐さんなのは、たまにご飯食べさせてくれるからかなあ」
「磐城もか?」
「うん。公の時以外は気軽に呼べってさ」
「そうか。僕も別に呼び捨てでもいいぞ」
そう言って甲斐にしては珍しく爽やかな笑みを浮かべる。
それを鞍馬は、甲斐が指揮官ぶって格好つけたなと視線だけ向けて思うも、朧は自然な笑顔を返す。
「ありがとう。でも、さん付けがいいかな。ご飯が美味しいし」
「ええ。これだけは、自分の先物買いの才を感じたわ」
「うん、間違いないね。僕、甲斐さんの養女にしてもらおうかなあ」
「じゃあ、将来は私の娘にもなるの? 厳しいわよ」
「ウッ。妾はダメと思ったけど、そっちもちょっと考えさせて」
「考える以前の問題だろ」
そこに「そんな事ないわよ」鞍馬が割り込むと、朧の頭を軽く小突いていた甲斐は軽い驚きで彼女を見る。
「蛭子の法規書の中に蛭子同士の養子縁組はあるから、親子にはなれるわ」
「そうでしたか。でも、よく知ってましたね。古文書みたいで読みづらい文も多い上に、あの分厚さなのに」
「随分前に、端から端まで調べた事があったの。大抵は古い古い時代のものばかりで、意味がない決め事ばかりだったけどね」
「古い時代って? やっぱり3000年前?」
「いいえ、一番古い決め事で2500年ほど前みたいね。それより昔は生きるだけで精一杯の時代だし、蛭子を国や政府が癒して活用する余裕や技術が無かったんじゃないかしら」
ゆっくりと首を横に振った鞍馬は、そう言った後で美味しそうに料理を口にするのでどこまで本当なのかと疑ってしまいそうになる。
「蛭子についても色々と分かってませんからね」
「と言うよりも、古い文献や記録が残ってないの。先史文明が崩壊したのは3000年も昔よ。しかも人も滅びに瀕し、その後も長く厳しい時代が続いた。竜や大天狗と同じように蛭子も先史文明の時代にはいたという話もあるけど、真実は全部おとぎ話の中よ」
「金剛様でも知らないんですよね」
「金剛は、自分より年嵩の大天狗も知らなかったって言ってたわね」
「年嵩か。あの南鳳財閥の総支配人ならどうでしょう。先史文明の知識や技術も知ってましたし」
「あの華やかというか派手な人ね。どうかしら。随分長寿の蛭子みたいだけど、単に知識だけかもしれないし。アッ!」
鞍馬が言葉の最後に声をあげる。
それは朧が次々に大皿の中を食べて、残り僅かとなっているのを目に留めたからだ。
「ご飯は温かいうちに食べないとね。冷めたら味が落ちるよ」
何の罪悪感もない朧の態度と言葉に箸が空を切る鞍馬をみて、甲斐が「よっこらせ」と腰をあげる。
そしてご飯を入れたおひつの中をそのまま覗き見た。その中は、最初の2割ほどしか残っていない。
「5合炊いた筈なんだけどなあ」
「獣人と半獣は、大鬼ほどじゃないけど鬼より食べるのくらい常識でしょ」
「それでも食べ過ぎだ。お前、従軍中も吉野からもご飯分けてもらってる時があるだろ」
「僕はまだ育ち盛りなんでーす」
「兵役につく年で何言ってる。ハァ。鞍馬、他で保たせて下さい。何かもう一つ、簡単なものを作ります。何がいいですか?」
朧の悪びれぬ態度と甲斐の軽いため息に、鞍馬も苦笑気味だ。
「まあ、私はこれだけでも構わないけど、お酒のアテはもう少し欲しいかしら」
「あ、僕もー」
勢いよく腕を上げる朧だが、甲斐は華麗に無視して段取りに思考を向ける。
「飲むだけなら塩辛や漬物がありますけど、卵焼きでも作りましょうか」
「明日の朝の卵は大丈夫?」
「朧が泊まらない限り、十分ありますよ」
「あ、だいじょーぶ。僕は食べたら退散します。朝ごはんは魅力的だけど、二人の邪魔はしないから」
「是非そうしてくれ」
そう言いつつ甲斐は、一度は外した割烹着と三角巾を手に取り台所へと姿を消した。