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126 「捕虜の治療(2)」

「なんだ、この惨状は」


 別の場所、軍用の大型天幕が大量に張られた野戦病院へと案内された者たちは、目の前の惨状というより、感情的にはこの世の地獄に大きな衝撃を受けた。

 非常に雨が少ない地域の夏場とはいえ、地面に毛布を敷いただけの状態で大量の傷病者が大勢並べられていた。

 天幕の中だが、野晒しよりはマシという程度だ。


 しかも傷病者の状態は、一目見て酷いと分かる。それでいて、看護兵の数も見るからに少ないし衛生環境も悪い。

 血が酷く滲んだ包帯や布を当てている負傷兵が非常に多く、衛生品、医薬品が足りていないようだった。包帯に付いた血の色で、何日も交換していないのも簡単に分かる。

 アキツでは有り得ない情景だ。


 少し遠くからでも多数のうめき声や臭いからある程度は察していたが、目の前の状況は悲惨の一言だった。

 しかも隣の天幕から断末魔のような悲鳴が響き渡ってくる。


「伍長、隣では何が?」


「ハッ。手術中です」


 案内を担当したタルタリア看護兵の伍長は、一瞥しただけで特に驚く様子を見せていない。

 しかし言葉は不足していた。


「具体的に分かるかね?」


「はい。足が壊死した傷病兵が発生。ノコギリで腐った足を切断しております。ご案内致しましょうか?」


「いや、担当軍医とは後で話そう。それより、他の状態の悪い傷病兵の元へ案内してくれ」


 そこで看護兵の伍長が少しばかり考え、悩む。

 もっとも、そこに深刻さはない。目の前の惨状は彼にとっては慣れきった状況だと、それだけでも雄弁に語っていた。


「軍医大尉殿は、明日には死ぬような負傷者を治す事はできるのでしょうか。自分は魔法の素養は一切なく、そこが分かりかねます」


「そ、そうだな。とにかく、まずは案内してくれ。診察をする。皆もそれぞれかかってくれ」


 連れてきた部下達にも命じ、軍医は彼の人生において経験したこともない過酷な医療現場へと足を踏み入れた。



悪魔(デーモン)だ!」


「これから天幕の者を全て治癒する。君、ついでに私は無害だと説明してくれ。まったく、これで何度目だ」


 タルタリアの傷病兵たちの恐怖に凍りついた顔を前に、中佐の階級章をつけたアキツの軍医がたまらずため息をつく。

 しかしタルタリア人にとって畏怖の象徴なので、軍医の方は最初から諦めはしていた。

 叫んだ者たちだけでなく、その天幕の中の案内人を除くすべてのタルタリア人が何らかの怯えや恐怖を示していた。


 なにしろ彼は、叫ばれたように緑の肌の大鬼。西方では悪魔と恐れられ、今でも他国に不用意に入ると最低でも逮捕、場合によってはそのまま死刑となる。

 だが彼は、様々な知識と技術を得た優れた治癒魔術の使い手で、さらには長い寿命を活かして近代医療にも精通した熟練の医者だった。


 だから彼は周りの悲鳴と恐れを無視する。

 そしておもむろに何枚もの札を手にして術を行使。

 彼の魔術は当然治癒術だが、大鬼特有の大きな魔力を活かした大規模な術で、一度に何人もの負傷を癒す事が出来る。

 そして手早く術を終えると、すぐにその場を後にした。


 残されたタルタリアの傷病者は、自身の傷が全快でないにしても大きく改善している事に気づくのは、彼が去って数分を必要とした。



 一方、別の場所では医療行為以前の問題も起きていた。


「そこの耳長っ! そんな農夫より先に私を治療しろ。魔術が使えるんだろう!」


 見るからに軽傷の将校が、悲惨な医療現場で奮闘しているアキツの軍医のいるところまで来て怒鳴りつける。

 軍医は怒鳴りつけた将校を一瞥することもなく治療に専念する。


「無視するか! 耳長風情が!」


「これでよし。とはいえ、只人だから傷口がすぐには塞がらないか。兵長、傷口に綿紗(めんしゃ)を当てて包帯を。……さて中尉、私が見る限り貴官は既に治療済みで、そうして歩く事も可能だ。緊急に治癒する必要性は低いと判断する。さ、次を」


「なっ、何だと耳長っ!」


「国は違えど私は君より上官だ。それ以上何かを言うようなら、憲兵に報告しなければならない。……これは酷い、壊死が始まっている。周辺部ごと切除後、霊薬を使う」


 怒り心頭なタルタリアの将校に冷たく言い放ち、次の傷病者の元に座る。

 しかし罵声を浴びせた将校の怒りはさらに高まり、何か言葉にならない言葉を発すると駆け出した。

 だが彼は、アキツの軍医に飛びかかる事は出来なかった。


「ガハッ!」


「兵長、一応彼も患者だ。あまり手荒な事はしないように。だが憲兵を呼ぶから少し押さえておいてくれ」


 騒ぐタルタリア軍中尉を一瞬で押さえつけた部下を一瞥してそう言うと、『念話』の札を取り出して手早く術を構築する。

 このように、主にタルタリア側の種族差別による問題も、言語の壁と共にタルタリア軍の膨大な捕虜の傷病者の治療の障害の一つとなった。


 しかもこの事例はまだマシな方で、貴族将校による問題は各所で起きていた。

 自軍の兵士、下士官を「農奴」「辺境民」「異民族」と自覚もなく蔑むのは当たり前だった。

 アキツ側との種族の違いも問題で、捕虜にも関わらず自覚なく怒鳴りつけるなど日常で、盲目的に恐れる方がまだマシと言われた。


 最初から、タルタリアの捕虜の中に女性の術医や看護兵、看護師を入れる事を避けたアキツ側だが、予想通りだと納得するだけだった。

 勿論、節度ある将校の方が多かったが、今後もアキツ側を悩ませ続ける事となる。


 一方で蔑まれる側のタルタリアの兵士、下士官は、アキツ側の魔法を驚きはするが、それ以上に予想外の反応を見せた。

 「お、オラをお医者様が見てくれるだか?」「オラ、医者に診てもらうのは生まれて初めてだ」などという、アキツ人にとって耳を疑うような言葉を聞く事も一度や二度ではなかった。


 一方で、微笑ましいと言える逸話もあり、最初は恐れられた獣人の術医が「熊のお医者様」などと親しまれたりもした。



「何なんだ、タルタリア軍の医療体制は? 亜人差別の問題以前だ。そもそも将校向け以外の医者が異常に少ない。医薬品の量も、傷病者に対して十分ではない。何より貴族とそれ以外の格差が酷い。連中、中世に生きているのか?」


「そうですね。タルタリア帝国は、とても西方列強の近代化した国家の軍隊の医療体制とは思えません。近代医療だけで比べても、我が国に劣るとは予想外です」


「まったくだな」


 現場を担当した軍医長とその副長の軍医は、タルタリア人の聞いていない場所で深いため息をつかざるを得なかった。

 彼らの苦労は始まったばかりで、これから10万もの捕虜の傷病者への対応をしなければならないからだ。


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― 新着の感想 ―
タルタリアの負傷兵の中には、「帰国したくない(戻ったらまた戦争に駆り出されるから)」とか「この暖かなベッドで終わりたい」なんていう理由で治療を拒む兵士も居そうですな。 あとはアキツへの亡命を望むとか…
熊のお医者様か… 実は極端に身体が大きくゴツいだけで、たぬきあたりの獣人だったらしてw
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