124 「閣議後の茶席」
内閣の中でも中心となる閣議が行われた後も、閣僚達の個々の話し合い、根回し、情報交換などが個人宅、料亭などで頻繁に行われる。
しかも翌日には全体閣議が行われる予定で、この日の閣議はその前段階の根回しの一環とすら言えた。
太政官、内務、外務、兵部、大蔵、神祇以外の中央官庁も、司法、文部、農務、商務、逓信(郵政)、鉄道(交通)、拓殖、それに魔法省がある。加えて海外には、各地の総督府、自治政府、保護国もある。
さらに内務省は内政の多く、地方自治、警察、土木、衛生といくつもの大きな局を抱えている。
安全保障会議と言える閣議を少数の大臣と軍の長と行うのは、全体閣議の人数が大きくなり過ぎるからでもあった。
だが、戦争が長引けば国内への影響も大きく、蚊帳の外というわけにもいかない。
「それで、内務卿は他をまとめてきそうか?」
「あなたの後を狙うには、あの人はあまり時間が残っていません。戦争が早期に終わっては、あまり目立たないままです。今回の勝利を引き時ではなく、押し時として閣僚達をまとめて来るでしょう」
小さく質素でいて落ち着いた雰囲気のある茶室で、二人の銀髪の持ち主が話す。
茶室の主人は太政官の白峰で、太政官邸の庭にある茶室は彼の隠れ家であり密談の場でもあった。
相手は同じ大天狗で外務卿の大仙。
二人は飛び抜けて年齢を重ねているのもあり、話をする事が多い。
「太政大輔も同じ事言うてたわ。話し聞いてた兵部卿は、えろう迷惑そうにしてたけどなあ」
「彼は非戦派ですからね。それに本国だけでも大変なのに、義勇や志願で本国以外の兵隊が押し掛けてこられても困るのは道理でしょう。拓殖卿も、各地の自治政府や保護国の相手に困っているご様子でした」
「拓殖卿はまだマシやろ。神祇卿なんか、各地の竜公が直接話しかけてきてるそうやで。飛んで来はった方もいはるしな。閣議の前にも、竜公の蛭子だけでも相手をしてくれて、あの白狐に頼まれたわ。傑作やろ」
カラカラと笑う白峰だが、茶碗を置いた大仙は少し目を細める。
「それを軍は?」
「利用する気やろな。しかも、もうこっちに来とる蛭子もおる。取り敢えず、今後は蛭子でもガキと年寄りは役に立たん。兵として使えるやつに絞ってくれって、竜公に知らせを出した」
「そうでしたか。参考までに、集まったとして最終的にどれくらいの数になりそうですか?」
「外務卿のあんたが聞いてどないすんねん」
その口調は平素のままだが、政治家としての目線が大仙に注がれていた。管轄外だと。
「今回、彼らは活躍しすぎました。アルビオンからは、既にあの国の蛭子の間諜が現地に送り込まれている可能性が高く、他にも高い関心を寄せている国があります。外務省は千客万来ですよ」
「兵部卿も外国の武官連中が、軍事常識が覆ったとかうるさいって。むしろ時代逆行やのにな。とにかく、あいつらを引き揚げさせて正解や。タルタリアは?」
「私の預かり知る範囲だと、例の秘密結社以外は低調です。軍の方は、兵部卿か参謀総長にでもお聞き下さい」
「そうするわ。それより数やったな。推測込みやと100人に迫る。けど、多少歯止めかけたから、その7、8割くらいや」
「随分多いですね。総数だと本国の方が多い筈。術者込みの数ですか?」
「兵隊ばっかりや。せやけど、軍人としては再訓練がいるって聞いてる。すぐには前線には出されへん。下手に死なせたら竜公の顔を潰すし、こっちも顔向けでけへん」
「強いと言っても、意外に扱いが難しいですね」
「ホンマにな。今回戦ってくれた『幻惑』と……確か『凡夫』やったか。あいつらは、ようやってくれた。何割か死ぬと思ったけど、まさかの全員帰還やからな」
「だからこそ軍は、さらに使いたがるでしょうね」
「あいつら、単に強い駒としか思ってへんからな。難儀な奴らや。蛭子は竜をお守りする為のもんやのになあ」
「戦争に勝つことこそが陛下をお守りする事につながる、でしたか。近代においては、そちらの方が正しいでしょう。タルタリアは勿論、西方列強は貪欲過ぎます。世界を全て飲み込んだら、今度は自分たちで争う事でしょう」
「金持ち喧嘩せずやろ。アホやなあ。まあ、アホやから戦争したくもなるんか」
そう言って、次に入れたお茶をそのまま自分で口にした。
当然、礼に反するのだが、大仙は笑いかける。
「私の二杯目ではなかったんですね」
「茶でも飲まなやってられへんわ」
「全くです。私ももう一杯頂けますか」
「茶席で注文するとか礼儀知らずやなあ」
「自分で入れた茶を飲まれる方の前ですから」
そのように国の長が酒席ではなく茶席を立てていたように、軍の長も別の場所で、別のお茶の席を設けていた。
蒼肌と直毛の大鬼にしては細身な参謀総長の周防と、閣議から直接参謀本部へと足を運んできた叢雲だ。
「良い匂いだな」
「兵部省が兵士の慰撫の為に大量に仕入れてくれたお陰で、私も気兼ねなく飲めます」
言い合って、二人して取手付きの湯飲みに満たされた珈琲を、香りを楽しんでから口にする。
「意見具申したのは、随分前の周防君だったと記憶しているけどね。それに納品したのは南鳳財閥で、自力栽培だから今後流通量は増える一方だと聞いている」
「はい。大隅も戦地に大量に持って行きました。ただ大隅は、どうやって焙煎前の豆を手に入れて、さらにはアルビオンに内緒で育てたのかと首を傾げてました」
「問題が起きていないという事は、苗木なり買ったんだろう。あそこは、天狗同士の交流網を持っている。大隅は南鳳と親しいから沢山買えたんだろう」
「あいつは、戦争が終わったら金儲けに精を出すようですからね」
そう言い合って、二人して笑みを交わす。
そしてそれは、雑談はここまでという合図だった。
「それで、珈琲以外はどうですか? 大隅からは、国際法、戦争協定を杓子定規に守っていたら捕虜に押し潰されると、半ば悲鳴が毎日のように来ています」
「こっちにもだ。内務省にも、術医や看護士、水薬、霊薬、医薬品を送り込んで欲しいと強く願い出てもいる」
周防の皮肉げな声に、叢雲はうんざりげに返した。
それに周防は、湯飲みに一口つけてから軽く肩を竦める。
「40万の侵攻軍を後方ごと包囲殲滅したはいいが、50万の捕虜に負傷者10万。軍人以外の10万を早々に送り返したとしても、現状でこの数は動きませんからね」
「捕虜に関しては、参謀本部より兵部省の領分だ。前線は現状を我慢してもらうしかないが、参謀本部に極力負担はかけないようにする。その代わり」
「分かっています。妙な作戦を立てたり、兵を動かしたりはしません。それに捕虜を後方に運ぶだけで輸送網、輸送計画共に破綻状態なのに、何も出来ませんよ」
睨むのではないが、少し目力の強い視線の叢雲に周防は少し戯けるような仕草を見せる。だが叢雲は合格点とは言えない表情を返した。
「いや、してもらう。タルタリア語が出来る者を、将校、兵士問わずに急ぎ送り込んで欲しい。捕虜を扱うにも、言葉が通じずに難儀している。この件では、大隅だけでなく兵部省も外務省に頭を下げている状況だ」
「種族問題ではなく言語? 言葉の問題は想定済みで、双方向けの会話用の小冊子を作ったでしょう」
不思議そうな周防の表情を前に、叢雲は右の掌をひらひらと横に振る。
「我が軍はそれで事足りたが、問題はタルタリア軍だ。将校はともかく、下士官すら文字が読める者が少ない。読み書きができるのは、商人出身の下士官が多い主計くらいだ」
「タルタリア語が読めないという事ですか。そう言えば、あの国ではまだ公教育が行われていないんでしたね」
「しかも兵士のなり手は大半が農民だ」
「確か、貴族・騎士が1割、都市住民や商人が1割5分。残りが農民で、農民の2割が制度上では解放された農奴でしたか」
「うん。そして軍全体の半数以上を占める兵卒は、無学な農民と農奴、それに辺境民だ。ある程度覚悟はしていたが、ここまで無学とはな。だから、絵の冊子を準備しようかという話まで出てきている始末だ」
「……我が国の相手は、魔法を否定したくせに未だ前近代に生きているようですな」
ため息まじりの周防返しに、叢雲はさらに深いため息で答える。
そして叢雲からは言葉が出ないので周防がさらに続けた。
「今、愚痴っても仕方ありません。我が軍は20万の捕虜受け入れ態勢を準備したが、実際は50万。30万も足りていない。当座の衣食住は問題ないと私は報告を受けていますが、足りないのは医薬品だけですか?」
「向こう1ヶ月ならそうだな。だが、負傷兵は軽傷者を含めて10万人だ。こっちも現地は酷い有様だ。10万の戦死者、死者については捕虜に現地で埋葬させたと報告が上がっているし、鹵獲した物資の中にかなりの医薬品があったが、さっぱり足りてない」
「そうですか。他は大丈夫なんですね」
「最低限はな。しかし、捕獲の食い物は量以外は最低限。鹵獲物資は小麦と塩、あと酒しかない。現地での当座の捕虜収容所も、連中の持っている資材を用いた天幕と柵だけだ。我が軍の予備物資を一部回しているのが現状だ。タルタリア軍の意図が、膨大な捕虜で我が方の進軍を止める事にあるのなら大成功だな」
温厚な叢雲が多弁な上に感情を高ぶらせて愚痴る姿に、周防は捕虜に関する状況の厳しさを痛感させられていた。
(叢雲さんの話次第では大きく動けないにしても、前線の状況を調べる為に特務の再投入を持ちかけるつもりだったが、またの機会だな……)
「ん? どうかしたか?」
「いえ。そこまでとは参謀本部は掴めていませんでした。とにかく、捕虜の移送と前線への物資の輸送に、参謀本部及び陸軍全体としても今以上に努力を傾けます」
「勝ったというのに悪いが、そうしてくれるか。私は内務卿と外務卿と話をつけて、次の全体閣議で捕虜の話をもっと具体化させ、急がせる。特に負傷兵についてな」
「政治は頼みます」
「うん。それでは行くよ。珈琲美味かった。今度私も豆を買ってみるとしよう」
「是非そうして下さい」と声をかけて客人である叢雲を送り出した周防だが、思いもよらない事態への対処に早くも頭を悩ませていた。