121 「一時帰国」
・竜歴二九〇四年八月十七日
「七連月があんなに低く」
「本土を見るよりも、帰ってきたって気がするわね。5ヶ月ほど空けていただけなのに」
「本当ですね」
「うん」
平凡な外見の鬼の甲斐と黒髪の大天狗の鞍馬が、船の上の甲板上で感慨深げに空の低い位置を眺める。
彼らの祖国は船の反対側に位置していて、そちらには主に甲斐の部下達が鈴なりになって祖国の大地を眺めている。
だから二人きりになる為に反対側に来ていた。
同じ側での少し離れたところでは、甲斐と鞍馬のように二人で過ごしている者達がいる。特務旅団というよりも、所属するのが蛭子だからこそこうした情景が見られた。
彼ら蛭子と呼ばれる者たちは、生まれる時に自らの膨大な魔力の影響で異形の姿に生まれる『忌み子』で、基本的には時の政府が治療し保護する。
だが魔力豊富なので、魔法に関する様々な分野での活躍が期待され、中でも戦闘力に秀で軍人としての素養が高い者が、彼らのように特殊な軍人となる。
そこに男女の差はない。
もっとも、亜人と魔人だけが住み、魔力が高い者が重んじられるアキツでは、男尊女卑の考え自体が他国に比べて弱い。
特に治癒魔術を使う術医など魔力を用いた職種で顕著で、蛭子以外に女性軍人を見る事ができる。
だから、男女二人の将校がいても船員たちも気にせず、二人きりの時間を過ごす事も普通にできる事だった。
「本当に。でも、またすぐに高い空で見る事になりますよ」
「甲斐のそういう分析、当たるから嫌い」
半目がちに見る鞍馬に、甲斐は素に見える視線を返す。
「鞍馬も同じ考えしてるくせに」
「それでも今くらい言わないものよ。さあ、戦地の事は忘れて祖国の大地を見に行きましょう」
「はい。部下達のところに行きましょうか」
「二人きりはもういいの?」
「いつも気遣いありがとう」
甲板の舷側ぞいの手すりに群がる黒に銀糸の少し派手めの軍服の群れの中に、鞍馬も入っていく。
その時、白い虎の半獣朧が鞍馬に寄り添ってじゃれつく。
別の場所では甲斐も、緑肌の大鬼の磐城たちと軽く敬礼を交わし、部下達に混ざっていった。
「大隊長、何か一言」
「いらないだろ。戦争が終わったわけでもなし」
「ですが祖国ですよ」
磐城の念を押すような言葉を受けたかのように、周囲にいた彼の部下達、特務旅団第1大隊の主な面々、特に蛭子で構成された将校達の視線が甲斐へと集まる。
「そんなに見るな。戦争もまだ序盤も序盤。ただの褒美の帰国と休暇だ。だがまあ、僕達蛭子でも顔を合わしたい人はいるだろう。所帯を持っている者も。せっかくもらった褒美の休暇だ。そういう人に顔でも見せてこい。ただ、羽目を外しすぎるな。僕達は妙に注目されているらしいからな」
「言葉が長いなあ」
「大隊長って結構言葉が多いですよね」
「素直じゃないですなあ」
「で、一言で言えば?」
真面目に敬礼などを返す者、「はい」と返事する者も多いが、各中隊長など幹部を中心に混ぜかえす。
そして最後の言葉で、甲斐はさらに注目された。
「そうだなあ……大隊諸君、まずはご苦労様でした」
そう結んで敬礼する。
そうすると、その場の全員がそれに答礼した。
ただ、甲斐の言葉通りタルタリアとの戦争はまだ序盤。彼らの帰国も一時的なものだろうと当事者達は思っていた。
それでも戦争の最中に帰国できることは、激しい戦いを経たあとだけに全員にとって感慨深いものがあった。
もっとも、帰国の船が彼らの祖国に着くと、全員にとって予想外の状況が待っていた。
「『凡夫』特務大佐並びに特務旅団第1大隊の将兵諸君の格別の活躍に対し、軍はここにその功を称えるものである」
国旗と軍旗を始めとして沢山の旗、登りが立ち並び、多くの軍人を中心とした列席者が整列する中、名前を呼ばれた『凡夫』特務大佐こと甲斐と第1大隊の面々は、船を降りるなり簡単に伝えられていただけの軍の歓迎式典に強制的に参加させられていた。
出発時とはまるで違う情景だ。
しかも主役の扱いだった。
他にも第2大隊と特務旅団全体も式典に参加していたが、旅団長の村雨特務少将が第1大隊が一番活躍したと報告をあげていたので、特務旅団全体へのお褒めの言葉が終わったあと、本題とばかりに第1大隊が持ち上げられていた。
ただし場所は、軍港の一角に設けられた臨時式典会場。出迎えたのは軍人か軍の関係者ばかり。あとは軍が呼んだであろう新聞の報道員。
蛭子たちを始めとして特務旅団の将兵は政府が抱える身寄りのない者なので、成人してから結婚し家庭を持つ者以外に家族や血縁者はいないに等しく、一般の参加者の姿は殆ど見られなかった。
『勲章とかないんだよね?』
『何せ蛭子だからねえ』
『なんか、白々しいなあ』
『見え見えって言うんだよ』
朧のいつもの歯に衣着せぬ物言いに、それが気に入った糸目な山猫の半獣の不知火が面白そうに混ぜっ返す。
だが声は出ていない。近距離用の周囲の者が感じ取れる『念話』で雑談しているので、見た目には真面目に式典に参加しているようにしか見えない。
使用魔力が非常に少ない近距離用の『念話』でも、魔力を持つ者ばかりの中で使うと露見してしまう事が多いが、隠密行動に慣れている彼らにとって露見せずに行う事は造作もない。
勿論、魔術の一種なので小さな札を手にしているが、それも上手く隠しているので見咎める者がいるとしたら余程の術者か、隠密を生業としている者くらい。
そしてそのどちらもが、彼らの同僚だった。
『私語も程々に』
やんわりとたしなめたのも、大隊副長にして『天賦』と二つ名をもらうほど魔術の才に秀でた鞍馬だった。
そして『念話』で忍び笑いをする『声』が軽く響き、『はーい』『了解でーす』と言う軽口の返答が返ってくる。
彼ら自身が式典の主役というのは非常に珍しいが、式典の警備、要人警護などで公の場自体は慣れているので緊張のかけらもない。
それに近距離用の『念話』は、警備や警護など任務の際の連絡手段としても使い慣れている術だった。
戦場では互いの距離がある場合が殆どなので使う機会は少ないが、彼らが戦場に、しかも多数で出動する事自体が今まで殆ど無かったので、距離を開けた展開の訓練と教訓を得られたと、特務旅団としてではなく、『蛭子衆』としても今回の動員と出征に一定の価値を認めてはいた。
しかし彼らにとって、このような賞賛と式典は予想外だった。
「そもそも蛭子は、生まれる時から持つ大きな魔力の影響で化け物のような姿で生まれる『忌み子』、日陰者だ。それを軍が公で認めて称えるのには、何かしらの政治的意図があると見え見えだな」
特務旅団長の村雨特務少将は、式典を伝えた時に甲斐にそうも伝えていた。
甲斐らも同意見で多少の警戒をしてはいたが、問答無用で船が陸に着いた途端に式典なので逃れるすべもなく、こうしてダラダラと式典の主役を務めさせられていた。
(参列者は軍人、軍官僚ばかりで、政府関係者はなし。政治家も地元の人すらおらず。財界は……大物はいないようだけど、恐らくは軍と関係の深いところばかりでしょうね)
壇上で偉い軍人からご高説を賜っている甲斐と違い、鞍馬は部隊をまとめる側として大隊の最前列で気取られる事なく周囲を観察する。
(軍は兵部大輔に、参謀次長。流石に兵部卿と参謀総長はお出ましにならず。場所を貸した海軍は、鎮守府長官だけでお付き合い程度。でも私達から見れば全員雲の上……軍はよほど私達を取り込みたいのね)
そして大隊の幹部達がこっそり雑談していた通りなのを再確認した最後に、壇上の甲斐がこっそりと、そして一瞬だけウンザリとした視線を鞍馬にむけてきたので、彼女は視線だけでそれに「諦めなさい」と返事を返した。
そして諦めるのは甲斐だけでなく、彼女達第1大隊の面々も同じだった。