118 「退却」
・竜歴二九〇四年八月一日
時間が少し戻るが、特務旅団第1大隊の戦いは続いていた。
「まともに夜襲させてもらえなかったのは痛かったな」
「敵が何度も同じ手は食わないに過ぎないのも当然かと」
「だからこっちも手は変えたが、それでも駄目だった。舐めすぎていたな」
「兵家の常とでも思いましょう」
昨日よりさらに泥と硝煙の煤で薄汚れた顔で、甲斐と鞍馬が敵を遠望しつつ淡々と話し合う。今は敵の攻撃が小康状態なので、こうして多少の無駄話もできていた。
そして二人が話しているように、ダウリヤにある敵の堡塁に篭った日の夜の襲撃は失敗した。
包囲するタルタリア軍は夜になると様々な照明で辺りを照らし、さらには大型臼砲で落下傘付きの星弾(照明弾)まで使ってきた。
加えて、呪具の類もかなりの数があり、数は少ないながら支配領域の半獣も動員されていた。この為、幻影の魔術などで姿を消し、魔力を抑えての接近も限界があった。
一度、潜む事を得意とする第3中隊の選抜兵が接近を試みたが、白兵戦を挑む距離に近づくまでに気付かれ、めくら撃ちのような激しい弾幕の銃撃を浴びて這々の体で退却するしかなかった。
「結局、敵が警戒厳重で潜んでの接近は無理。力押しの『黒母衣』が一番効果があったのは皮肉だな。昼間と変わらない」
「ですが『黒母衣』は、やはり魔力の消耗が欠点です。勾玉の使用も出来ませんし、長時間の激しい戦闘は無理があります」
「その上、武器は手持ちの刀剣のみ。当たるを幸に斬るだけでは倒せる敵の数は知れている。怯えさせて壊乱させるしかないが、単独で戦うわけにもいかず。今後の教訓だな」
そう言って甲斐は軽く肩を落とす。
かなり期待していた証拠だと鞍馬は感じるが、原因は明らかだとも分かっていた。
「後続の歩兵や他の支援が欠かせませんね」
「磐城も愚痴ってたな。4体では頭数が少なすぎて、敵を逃してばかり。後ろから自分らごと機関銃で掃射してくれてよかったのにと」
「それは流石に出来ません」
「わかってるって。まあ、今後の課題だ。一番効果があった夜襲が、孤軍奮闘の朧が砲兵陣地の弾薬を一部吹き飛ばしたくらい。今日も厳しくなるぞ」
「はい。ですから大隊長が、皆を鼓舞してください。一人で突っ込もうとするより、余程大隊長らしい仕事です」
半目がちな鞍馬の視線に、甲斐は苦笑いを返す。
上手くいかない夜襲を前に、甲斐がしようとした事への非難だからだ。
「はーい」
そして日が明けると、互いに近代的装備を用いた攻防戦が再開された。しかし昨日と違い、包囲するタルタリア軍は積極的だった。
この場には囲んでいる敵しかいないという心理、早く倒さなければ何をされるのか分からないという恐怖、そして他の友軍がどうなっているのか分からない不安などが、積極的な攻撃となって現れていた。
このため、基本的には機関銃と薄いながらも小銃弾幕で対処するしかない甲斐達だったが、徐々に劣勢に立たされていた。
堡塁の周囲はさらに多くの戦死者が倒れていたが、タルタリア兵は友軍の屍すら利用して積極的に攻め寄せた。
砲撃も、まるで後先を考えない様に激しさを増した。
そして包囲の輪が狭まり距離が縮まると、甲斐達も負傷者が続出していく。それでも戦死者を出さないのは、軍服、鉢金は魔力が続く限り高い防弾効果を発揮するし、防御の魔術を使える者が多い。
さらに治癒の魔術、水薬、霊薬があるので、ごく短時間で息絶えてしまう致命傷でない限り戦死者が出る事はない。
それでも負傷者は続出し、術医の魔力は危険な段階にまで減り、治癒をしてなお全力で戦える者の数は徐々に減っていった。
魔力豊富な幹部達は流石に無事だが、圧倒的という以上の数の差を前にジリ貧なのは間違いなかった。
「日没まであと2時間。とにかく、日が落ちるまで耐え凌ぐ。いっそのこと、敵を引き入れて白兵戦に持ち込むか?」
「はい。それに状況がさらに不利なら、そのまま包囲網を突破してしまうのも手です。第2大隊が接近中ですので、全力で撤退すれば夜のうちに合流出来る筈です。そして合流後に、再び攻勢に出るのです」
「雷さん、こっちに向かって飛ばしているからなあ」
「はい。それと私ですが、一度ならある程度の烈風は喚べます」
その言葉に甲斐は、鞍馬に強めの視線を向ける。
否定の視線だと、鞍馬はすぐに察せる視線だ。
「魔力を消耗しすぎては、その後で対応が難しくなる。本当にそれしか手がない時には頼むが、『天賦』の場合は夜戦で式神と舞刃札で撹乱する方が有効だろう」
「場合によると考えます」
鞍馬の言葉短い返答には、否定の声色がのっていた。
(公私混同。無理をさせろと言いたいんだろうけど、真面目すぎるんだよなあ)
甲斐はそう思ったが、口にしたのは指揮官として、大隊長としてだった。
「そうだな。その時が来たらデカイのを頼む」
「はい。お任せを」
そうして小さく笑みを交わしたところで、別の場所で魔術による支援をしていた吉野が姿を現す。
その表情は明るい。
「その必要はないかもしれません。いや、むしろ派手なのが必要なのかも」
「雷さん達がもう来たのか?」
「はい。今、連絡がありました。まだ少し距離がありますが、ヒトナナマルマルには到着予定です。『浮舟』で急いでいると。既に朧が第2大隊の先鋒の斥候とも接触しました。そして第2大隊は、こちらに合わせて逆襲に転じるようにとの要請です」
「こっちに合わせろ、だろ」
「雷特務大佐ですからね」
甲斐の軽口に言葉を添えた鞍馬だけでなく、吉野も小さく笑みを浮かべた。そして二人の笑みを見て、苦境にも目処がついた事を甲斐は強く感じ取った。
「とにかく第2大隊と連携するぞ。無線と『念話』様様だな。これが軍記物や三文小説なら、まだ没しない太陽を恨めしく見つつ、僕らは悲壮な決意で包囲陣突破を決意するか突撃して来た敵に絶望したところで、雷さん達が援軍で駆けつけて奇跡の逆転劇、なんだがな」
「便利な時代になったものです。ですが、お陰でより成功確率の高い作戦を立てられます」
「そうだな。吉野、大隊全員にヒトナナマルマルまでの徹底固守と、可能な限り魔力は温存。機関銃、小銃の弾は出し惜しみするなと伝えろ」
「了解しました」
「ですが、この状況だとあと30分といえど、耐え凌ぐのは一苦労ですね」
「この調子なら何とかなるだろ」
そして17時より10分ほど前のこと。
第1大隊を包囲していたタルタリア軍の東側が俄かに騒がしくなる。それに呼応し、第1大隊は残る魔力全開で打って出る。
先頭はもちろん『黒母衣』。
加えて、脱出ギリギリまで1つの方面に集中した機関銃を乱射。敵が身動きできないところに、『黒母衣』を先頭にした蛭子達が突撃した。
そして、前と後ろから少数ながら圧倒的な戦闘力による攻撃を受け、東側のタルタリア軍は瞬時に壊乱していく。
しかも敵の包囲の輪の後方から攻撃する第2大隊は、曲射弾道を描く小型の大砲、多数の派手な攻撃魔法による援護も行い、背後から攻撃を受けた事と重なって呆気なくタルタリア軍の包囲は崩れた。
その後は、2個大隊が半ば並んで敵を側面から攻撃。
円形に布陣していたタルタリア軍は、陣形を変更して応戦するよりも早く部隊が次々に混乱、そして壊乱していった。
そして致命的だったのは、最初の夜襲で無事だった師団の司令部が第2大隊の攻撃を受けて全滅した事だった。
この師団司令部は、ダウリアにいるタルタリア軍の全ての代理指揮も行なっていたので、命令系統は崩壊し混乱は全軍に及んだ。
そしてこれで、タルタリア兵達は一部の兵が逃げ出したのを見て後退もしくは退却を開始。しかも大半が、壊乱した状態で逃げた為、秩序を保っていた部隊も混乱に巻き込まれていった。
指揮系統が無事なら混乱も収拾できたのかもしれないが、その場を統制できる指揮官が不在となった事で、一斉に敵のいない西へ、国の奥地へと逃げ始めた。
「何故逃げる? これからだろっ! 戻って戦え!!」
数十メートル離れても大声が響いてくる。
逃げるタルタリア軍に向かって獅子吼するのは、第2大隊を率いて来援した雷特務大佐。
同じ情景を見る甲斐と鞍馬だったが、その声に思わず笑みが溢れる。そんな二人を尻目に、雷は部下に大きな腕を振りつつ矢継ぎ早に指示を出す。
「『浮舟』を用意しろ! 追撃するぞ。簡易臼砲と魔術兵も乗れ!」
そしてそこまで指示したところで、甲斐の方へと顔だけ向けてきた。
「甲斐! この場の制圧は任せる。それくらい出来るだろ」
「了解」と甲斐の返事を聞くこともなく、雷は側を通りかかった『浮舟』に飛び乗りその場を後にした。
なお、雷達第2大隊は、100キロメートル近い距離での警備部隊への攻撃で、終始機関銃を搭載した兵員輸送用の『浮舟』による襲撃を行なった。
しかも時速20から30キロメートルという素早い進撃で機関銃を乱射し、近づいたところで蛭子達が蹴散らしておしまい、という荒っぽい戦闘を2日間で10回もこなしていた。
だから第2大隊の将兵達は雷ほど元気はないのだが、それでも3万の敵に囲まれ続けた甲斐達に比べればマシに見えた。
そんな事を思って雷らを見送っていると、少し脇から軽快な歩みで近寄ってくる朧の姿があった。
そして甲斐の前で敬礼を決める。
もっとも、その口には褐色の麦餅が咥えられていた。
「任務ご苦労。包囲の外からの援護は本当に助かった。ただ、せめて口に咥えているものを何とかしてから敬礼してくれ。褒めるに褒めきれない」
答礼しつつ甲斐が半ば愚痴ると、朧は一瞬だけキョトンとして自身の状況を察し、敬礼を解いた手で麦餅を掴む。
しかし謝罪の雰囲気はない。
「丸3日を非常食と特配だけでは全然足りません。それにタルタリア軍の物資の中は、麦と芋ばっかり。やっとの事で炊事車と麦餅を見つけたのに、ボソボソで美味しくないし。追加の特配か手当を求めます」
「分かった。年金付きの勲章を申請してやる」
「そんなのいらないから、ご飯! お肉! 出来れば今すぐ!」
「第4中隊の後方部隊が到着しているから、そこで何かもらいなさい」
「僕のお墨付きだと言え」
鞍馬の助け舟に甲斐が一言添えると、ようやく朧の機嫌が少し治る。そしてもう一度敬礼をすると、「特配頂いて参りまーす」と足早に二人のもとを去っていった。
二人としては苦笑するしかない。
そんな景色が甲斐と鞍馬にとってのダウリア戦の終幕だった。