117 「包囲と潰走」
甲斐達第1大隊が後方を夜襲した日、前日から大きく戦線が動いたのに連動して各所で激しい戦闘が繰り広げられていた。
後方のダウリアも例外ではなく、前線と本国の結節点を絶たれた形のタルタリア軍は、どこからともなく出現した敵の排除に躍起になった。
しかしダウリヤと前線をつなぐ主街道と軽便鉄道でも、戦闘が行われていた。この為、境界線をまたいですぐの黒竜里のタルタリア軍は安易に動けず仕舞い。
その東には各所に分散配置された部隊があり、鉄道を使えば数時間で連隊規模がどこにでも集まる手筈になっていたが、多数の鉄道を次々に東に送り込んでいたツケで一度止まると完全停滞状態となっていた。
徒歩での移動となると、1日の行軍距離は24キロメートル。多少無理をしても30キロメートル程度。騎兵でその二倍。ダウリヤへの移動を電信や野戦電話で伝えても、徒歩だと1日で2個大隊の集結がやっと。
それに敵の動きが分からない以上、安易に動かせない。加えてダウリヤでは深夜の攻撃による混乱が続き、明確な命令を出せずにいた。
一方の東の主戦場方面だが、タルタリア軍にとって悲報が相次いでいた。幌梅から西に30キロメートルより東とは電信、野戦電話は不通、鉄道が来る様子もなしでは、本国との通信も途絶していた。
この為、急ぎ幌梅に師団司令部を置く警備師団が偵察をしたところ、アキツ軍が防御陣地を構えているのが確認された。
警備師団は、騎兵の伝令を大回りさせる形でダウリヤに出したが、馬を無理して急がせても往復で4日かかる。
辺境で鉄道と電信が途切れてしまうと途端に100年前の状況に陥るのを、現地のタルタリア軍は痛感させられただけだった。
一方で鉄道工事は大半が完成していた。幌梅の東10キロメートルにある川にかかる橋が完成すれば、取り敢えず軽便鉄道は開通といえる状況で、その間に敵の存在は確認されず。
この為、撤退を決意したタルタリア軍主力は、とにかく列車を全て逆向きに幌梅を目指させた。
要塞前面のしんがりは、キンダ大将が直接指揮するサハ第1軍に属する1個師団。この師団に砲弾の残りを全て持たせ、また他の師団も相手に付け入る隙を見せないようにしつつ、後方にいた師団から順に移動を開始。
だが、要塞攻略のためにどっしりと腰を下ろしていた10個師団と支援部隊の移動は難渋を極めた。
遺棄する兵器や物資を焼いて破壊する作業すら殆ど行われず、とにかく移動が最優先された。
その移動も、街道だけを使っていたら長い隊列になり何日もかかるので、徒歩の将兵は出来る限り平原や荒地を歩かせた。
それでも、事前に1個師団ずつを後方の南北に配置していたので、幌梅までは大半の兵力が撤退可能だとカーラ元帥の司令部は目算していた。
後方に出現した敵が軍団規模でも、1個師団が防御に徹すれば1日や2日で突破できるものではない。例え要塞ではないにしても、守りに徹すれば防御側は3倍の敵を押し留められるからだ。
だが、包囲を急ぐアキツ軍も、ある程度迎撃態勢を取られている可能性は予測していた。
そしてその為の兵器も用意していた。
「この戦いは、『黒母衣衆』の初陣である! 各員の奮闘に期待する」
「我ら『赤備え』の初陣だ。遅れをとるな!」
多少時代がかった言葉に相応しい、同じ丸い物を背負った大きな鎧達が敬礼ではなく「オオッ!」と勇ましい声で応える。
鎧の中は、大鬼の子弟達。数は合わせて30体と決して多くはないが、その効果は絶大だった。
幻影魔術の支援で姿を消して可能な限り敵陣に近づくと、そこから一気に重い甲冑とは思えない素早さで突進。
小銃ではなく緋鋼の赤い刃の大きな刀や槍で、当たるを幸いに敵兵士を蹴散らし、戦線を突破というより破壊。鎧が散兵の戦列を横に進むだけで、多少の遮蔽はあっても塹壕はないので戦線が崩れていく。
そこに後続の歩兵部隊が続いて突入。
異形の甲冑達はそのまま突進を続け、一部は切り開いた戦線の横を後方から襲撃。また一部は奥に突進。目についた司令部を殲滅、さらに一部はさらに奥まで進んで、なけなしの砲弾で支援するべく砲列を敷いている野砲陣地を蹂躙した。
中には、後方支援部隊にまで到達する甲冑もいた。
異形の甲冑達の戦闘時間は実質15分程度と短いものだったが、その効果は絶大だった。
異形の甲冑は、タルタリア兵が気がつけば最前線から姿を消していたが、この時代の戦闘で崩れた戦線を立て直すのは非常に難しい。
しかも弾幕射撃を主軸とした戦闘手段が崩れると、亜人全体の身体能力の高さがものを言う。過去数百年の戦いで、数限りなく再現されてきた状況だ。
それどころか、世界中で数千年前から繰り広げられてきた、亜人と只人の戦いだった。
何しろ白兵戦では最低でも2倍の格差がある。筋力や俊敏性など身体能力が2倍という訳ではないが、それでも亜人達が大きく勝る。
駆け足でも、時速10キロではなく15キロほどで進んで来る。白兵戦になれば、短時間なら体内の魔力を使って身体能力を上げ、互いに銃を用いない戦いなら2人ぶんの働きが出来る。
さらに一部の兵士は防御や簡単な幻影など、様々な魔術で翻弄する。
加えて一部には、魔人が圧倒的な白兵戦能力を見せつけて、悪鬼のごとく闘う姿で敵兵の士気を挫き萎えさせる。
そして士気が挫ければ、軍隊は瓦解してしまう。
タルタリア軍としては、戦線を作り弾幕射撃という近代的な戦闘方法で互角の戦いを行う筈が、弾幕をものともしない兵器で一時的に無効化され、突入を許し、白兵戦が各所で発生すると、もはや近代戦より昔の戦いとなっていた。
しかもタルタリア軍は、要塞戦で砲弾を殆ど使い切っていたので、砲撃による攻撃、支援が出来なかった。
またこの時不幸だったのは、タルタリア軍全体として野戦での機関銃の使い方が十分に確立しておらず、期待したほどの効果を発揮出来なかった。
タルタリア軍は、後方から退いてきた部隊もすぐに包囲して来るアキツ軍に向けたが、アキツ軍は今度は近代戦で対応してきた。
包囲の輪が南北それぞれ数キロメートル前進したのもあって、それぞれ1個軍団の砲兵、さらには北に布陣した強力な野戦重砲が砲列を敷いた。
そして砲弾は、防戦する部隊だけでなく主街道を西へと撤退を急ぐタルタリア軍の頭上にも降り注ぐ。
アキツ軍の砲弾は間断なく、しかも徐々に主街道に近づきつつ続いた。この為、防戦に当たっていた部隊はさらに後退。そして後退ではなく、撤退や潰走という悪い状態に陥る部隊が各所で出た。
それでも辛うじて幅数キロメートルで戦線を維持していたが、もはや主街道に小銃すら届く距離。
当初は秩序立って撤退していたタルタリア軍だったが、砲弾の落下で隊列が崩れ始め、軍隊に必須の秩序が徐々に崩壊。
さらに包囲の輪が閉じられるのが目に見えて分かると、焦りが全軍に波及。いつしか撤退は潰走、果ては軍隊の体をなさず個人での逃走へと変化。
一度集団心理として恐怖が蔓延すると、指揮系統が無事でも収拾が付かなくなる。
そして撤退、退却が不可能だと判断した兵士達は、このままでは殺されるだけだと考え、両手を上げ、白旗を掲げるようになる。
しんがりは、主に要塞南側から逆襲に転じたアキツ軍によく耐えたが、要塞全体から砲弾を雨霰と受けつつの防戦は辛酸を極め、全軍を逃がす前に壊滅状態に陥った。
それでもしんがりの指揮官と司令部は、包囲網が完全に閉じられるまで戦闘を続け、その戦いぶりはアキツ軍からも賞賛された。
だが、日をまたいで続いた包囲網はついに完成。
各部隊がバラバラに進撃して一箇所を目指す分進合撃に近い形だったが、7月31日には南北4個師団ずつ合計6個師団がタルタリア軍の後方を遮断し、要塞側からは5個師団が要塞を出て追撃して包囲の輪を完成させる。
包囲の中には、黒竜地域の北西部に侵攻したタルタリア軍の約半分がいた。そのうち幾らかは戦いで戦死したが、膨大な数の将兵が降伏した。
一方、平原に展開していた騎兵の先導、牽制などで離脱したタルタリア軍だが、鉄道がまともに使えないので、主に徒歩と馬での後退となる。
移動距離は無理をして1日30キロメートルとしても、鉄道なら3時間のところを3日かかる。
そうして、8月1日には包囲の輪は完全に閉じ、一方でアキツ軍の一部が逃した敵の追撃を開始。次々に秩序を半ば失ったタルタリア軍を撃破し、降伏させ、タルタリア軍は信じられない勢いで数を減らしていった。
結局、幌梅まで撤退できたタルタリア軍は、8月4日の時点で要塞近辺に展開していた総数40万名のうち10万名に届かなかった。
後退中に多くの兵が失われるという戦争での実例が、ここでも証明された形だった。
しかも、幌梅でも悲報が待っていた。
電信も野戦電話も通じないのでかなり確度の低い未確認情報だったが、国境の町ダウリヤにもアキツ軍が襲来し、現地部隊は大きな損害を受けてダウリヤから撤退。
しかも潰走状態で、国境を離れて西に向けて後退を続けているというものだった。
「これで取り敢えずは一区切りだな」
「はい。ですが、大量の捕虜の移送と収容、当面の衣食住の手当、捕虜の負傷者の治療など、頭の痛い問題が山積です。しばらくは大きく動けないかと」
「ハハハッ」。自らも前進した総軍司令部で、大隅大将が大笑いする。しかし笑いをすぐに収めると、隣で用箋挟に挟んだ書類に目を通している参謀長の北上中将の方の片眉をあげる。
「参謀長らしいな。まあ、頼む」
「はい。捕虜の扱いで国際評価も問われますし、逆に我が国の宣伝ともなります」
「軍の宣伝は北上君一人でも十分に思えるがな」
「私などより、最も先鋒で戦っている者達をまずは賞賛してください。兵の士気も上がりましょう」
「全くだ。だが先にいるのは特務だ。周防や叢雲さんと相談だな」
「はい」
北上は短く返したが、二人して遠く彼方の空を見ていた。
昼間の空にはぼんやりと浮かぶ七つの月が見えたが、先にいる者達も同じように呑気に同じ空と月を眺めているのだろうかと。




