116 「敵の反撃」
・竜歴二九〇四年七月三十一日
「これで何度目だ?」
甲斐は泥と硝煙の煤で薄汚れた顔で、隣の同じような姿ながらそれでも美しさを失っていない鞍馬に問いかける。
しかし目線は常に周囲へと向いている。鞍馬も同様だった。
「散兵での突撃を4回。銃列を敷きつつの100年前のような攻撃を1回。ですが、どれも及び腰です。最初に大規模な波状攻撃を撃退出来たのが大きいでしょう」
「機関銃様様だな。陣地と込みでこんなに効果があるとは、予想を大きく超えていた」
「我々のように銃弾の雨に対応出来ない限り、目の前の有様ですからね。主戦場の要塞でも、似たような報告がありました」
鞍馬がそう言ったように、二人の目の前には二種類の敵が大きく二つに別れて犇いていた。
二人に近い、と言っても2、300メートルほど離れた円周上の一帯には倒れ伏した青鼠色の軍服達。さらに数百メートル離れた円周上には、それを遥かに上回る数の、敵、敵、敵。
何しろ1万以上の歩兵が、所狭しと囲んでいる。
「うん。それにこの堡塁。夜明けまでに頂戴出来て良かった。流石はタルタリア、陣地造りが上手い」
「すぐ奪取できたのは、戦前の調査のお陰ですね。少し古いですが、焼き煉瓦だけでなく混凝土で補強。さらには開戦後に分厚い天蓋付き特火点も追加。良い仕事です」
「タルタリアの工兵に感謝の言葉を伝えたいくらいだな」
下らない冗談だったが鞍馬は妙に面白かったらしく、小さく声まで出して笑う。
「罵詈雑言しか返ってこないでしょうね。ですが、潰し損ねた野砲の集中射撃を受けても崩れないのは本当に有難いです」
「あとは敵に攻城戦用の加濃砲や大型の重砲がない事を祈ろう」
「数分なら私の術で防ぐので、脱出は可能です」
「そうだな。だから君の魔力は、不測の事態に備えて出来るだけ温存しておいてくれ」
「はい。承知しています」
「うん。とにかく夜まで粘るぞ。そしたら嫌がらせだ」
そんな会話をしているのは、ダウリヤの街から少し離れた場所にある、主街道と鉄道駅に攻撃と防御の双方が出来る位置にある、一辺50メートルほどの六角形の構造物。
二人が話す通り、75ミリ口径の主力野砲ではこ揺るぎもしない、焼き煉瓦と混凝土で作られた少し型の古い堡塁だ。
「はい。地下陣地も設備も整っているので、夜までは問題ないでしょう」
「うん。井戸に貯水槽、地下の隧道には司令室から兵舎など諸々の設備。倉庫用の隧道には、備蓄の非常食や毛布まで。神経質なほどだな。そのくせ、半地下の砲座に砲はなし」
「角の特火点に機関銃と大量の銃弾があるだけで十分です。野砲は、あったところで砲手がいません」
「まあな。機関銃が倍の12丁になっただけで満足するか。タルタリア軍もアキツと同じアルビオンの模倣品。おかげで、100名で3万の大軍勢と向き合える。そうだ大隊副長、外にいる無線班から連絡は?」
「『念話』では定時連絡のみ。タルタリア軍による以前のような妨害はありません」
「了解。便りがないのは元気な印か。本当の後方要員だけだから敵が来れば逃げるしかない。連絡だけ取れればそれでいいよ。それと、再度みんなには魔力を温存し防御と治癒以外に使わないよう徹底してくれ。血の気の多いのもいるが、なんだかんだで夜に魔力を使い過ぎているからな」
「はい、徹底します。それにしても、この堡塁も警備が手薄で助かりました」
「全くだな」
この堡塁には、夜が明ける前に各所から隠密に潜入。タルタリア側が念の為の予備陣地程度にしか考えず防衛どころか警備が手薄で、守備兵自体が管理用の1個小隊程度しかいなかった事もあり、簡単に占領できた。
敵を全員殺害する必要すらないほどで、奇襲を前に簡単に降伏した事もあり武装解除の上で朝には外に放り出した。
そして朝になると、タルタリア軍は奇襲攻撃を仕掛けてきたアキツ軍の精鋭部隊が堡塁に篭っていると知り、周辺の捜索を中止して慌てて包囲を開始。
最初の突撃は昼食頃だったが、機関銃の弾幕の前に膨大な犠牲を積み上げると退却。大きく包囲して散発的な銃撃を仕掛けるも、総攻撃はしなくなる。
それでも包囲する兵力が増えると何度か攻撃を行うが、強固な陣地と機関銃という組み合わせの前に攻めあぐねた。砲兵も布陣したが、堡塁相手に攻めあぐねる。
この為、一定距離を挟んでの熱心とは言えない銃撃戦となっていた。
「あとは、朧が近くまで戻っていたな」
「逐一『念話』で情報を伝えてきています。ただ」
「目ざとく見つけては、敵の高級将校を狙撃しているのか。許可は出したが、大丈夫かあいつ?」
思わず素に戻った甲斐だったが、そこには呆れと共に心配する声色もこもっていた。
その声に鞍馬も小さく笑みを浮かべる。
「朧の潜伏は、只人ではまず見つけられません。不知火も、外に出せと『念話』で愚痴を零してました」
「伝令より今は頭数が欲しいから駄目と言ったんだがな」
「『浮舟』共々無線機も後方に配置し、『念話』で各所と連絡が取れるので伝令は不要です。ただ、朧のもたらす包囲の外からの敵の情報は有効です。何度も先手が打てました。それに敵の攻撃が調整が取れていないのは、高級将校の狙撃が影響しているのは間違いありません。不知火の言葉も一理あるかと」
「うん。でもまあ、これ以上は必要ない。もっとも、後は村雨さんを信じるしかないがな」
「はい。それに雷特務大佐なら、今頃こちらに突進してきているのでは?」
「確かにここは、あの人が好きそうな戦場だよなあ。こっちが交代して欲しいくらいだが」
「竜の加護のない場所では、大隊長以外勤まりません」
言い切られたが、甲斐は軽く肩をすくめる。
「とは言え、あれは何度も使えない。それに今回は陛下と三ノ御子様のご助力があったからこうして僕も元気に戦えているが、本来なら名実共に『凡夫』になっているところだ」
「そうですね。それにあの加護は非常に強く、大きな戦果を挙げられました。今でも少し恩恵が残っている程です」
「うん。夜はあれだけ暴れて戦死者なし。負傷者も治癒術か水薬で治癒できて総員戦闘可能。いまだ霊薬の出番すらない。予想より楽なのが怖いくらいだ」
「ですが、それも今までかもしれません」
「うん。気を引き締めていこう。次のお客さんだ」
日も傾いてきたせいか、今度は全周から総攻撃を実施するようだった。