115 「後方への夜襲(2)」
二度の大規模な魔法警報は、ダウリヤのタルタリア軍にとって予想外のものだった。
一度目も何が起きたのかまだ不明な事もあり、呪具の故障ではないかと考えられたほどだ。そしてそう考えたように、二度目の警報の初期でも何が起きたのか分からなかった。
「何の音?」
「風か。強いな」
「戦闘音じゃないのか?」
一部でそうした言葉が飛び交うも、直面するまで分からなかった。
しかも時間が悪かった。
月は出ていて相応の光を地表に注いではいたが、何しろ日付が変わったばかりの深夜零時。
既に一度目の警報後に各所で多数の魔力反応が検知され、各所で詳細不明の侵入者が破壊工作や攻撃を仕掛けられていた。
そして何も出来ないまま、強い風がダウリヤの一部に吹き始める。夜の闇に溶けて見えないので、暴力的な風の音で気がつけただけだ。
風は広大な敷地の一部で強く吹いていたが、ただでさえ夜の闇があるのにさらに視界を奪い、さらには音も遮断する。何より、一部の野戦電話以外は情報伝達網が寸断された為、まともな軍事的行動が取れなくなっていた。
風が激しく吹いているのは、巨大な物資集積所。大規模な魔力反応と魔力の光がその少し外で確認されたので、目的は明白だった。
だが、深夜で人気のない場所なので、気づけたのはごく一部だけ。しかも現地から他への連絡手段は伝令くらいしかなく、何より自然の猛威と言える現象を前に何かが出来るわけではなかった。
しかも烈風は、ただの烈風ではなかった。
風が起きる前に各所で爆発や火災が一斉に発生し、一部では大きく燃え始めていたからだ。そしてその火災を、風が煽った。
猛烈な風の少し外側の各所で爆ぜる光が見え、物資に火がつき、風に煽られて燃え広がり、そして風に煽られ巨大な火災へと瞬く間に発展。
タルタリア軍はただでさえ詳細不明の敵襲を受けている上に、夜中の物資集積所は人が少なく、烈風によってさらに確認や連絡が遅れた。
そして現地司令部がかろうじて事態を把握した時には、物資集積所は大火災が起き、熱と風による炎の竜巻が何本もそそり立つ姿が視認できた。
「予想より燃えすぎていません? 穀物の粉塵の燃え方とも違うし。何かしました、鞍馬?」
火事に風を吹き込む為、まだ術を継続中で長い髪を虹銀に輝かせた鞍馬に、甲斐が双眼鏡で観測しつつ問いかける。
「いいえ。それより普段言葉です、大隊長」
「あ。それで、これは偶然か?」
「恐らくは。作戦通り大隊各員が火薬や油、それに魔法で火をつけ、私が風を喚んだだけ。予測したより可燃物が多かったんでしょう」
「それにしてもこの炎、物資の中に随分と油があるみたいだな。照明や整備用の油だと多すぎるが……」
二人して大火災を眺めるその顔は、炎の照り返しを受けて赤く染まる。だが炎の一部は、普通とは違う可燃物が見えていた。
「油ではなく酒では? タルタリア人は随分と酒精の強い火酒を好み、兵士の不満を鎮めるために随分と火酒を持ち込んでいると、友軍からの報告にもありました」
「つまりこれは酒の炎か……。勿体無い」
「本音が出てる。同感だけど」
甲斐と鞍馬は、半ば呆れつつ鞍馬が喚んだ猛烈な烈風、いや、火炎竜巻を見る。
数十万の将兵と数十万の軍馬の為の大量の物資、つまり可燃物があるので、火災は延焼に継ぐ延焼を続け、鞍馬の術の制御を完全に外れてしまう。
だが風も火災も、そして火炎竜巻も勢いを維持したまま、待機中の戦闘部隊の後方支援部隊が駐留する辺りへと伸びていく。しかも、風で舞い上がった大量の火の粉が風下に降り注いだ。
結果、タルタリア軍が設けた巨大な物資集積所の大半と、軍部隊の一部が灰燼に帰す。これは仕掛けた当人達にとっても予想を大きく上回る結果だった。
だが黒装束の兵士達は、巨大な火炎竜巻を照明代わりに駆け回り、破壊と殺戮、そして混乱を振りまいた。
磐城特務中佐が率いる第1中隊は『黒母衣』4体全てを与えられていた事もあり、夜でも警戒配置についていた警備部隊に強襲を仕掛けた。
もっとも、戦線を形成するような事はなく、騎兵のように敵陣の間を駆け抜け、相対した敵を蹂躙し、そしてまた別の敵陣へと突撃し、騎兵が遊撃戦を行うように敵を翻弄した。
その襲撃の中で銃撃を全く受け付けない『黒母衣』は真価を発揮し、友軍の半ば盾となりつつ同時に殺戮も振りまいた。
「第1中隊、もっと目立て! もっと暴れろ! 混乱を広げろっ!」
念話と声の両方で部下をけしかける磐城は、隊長自ら『黒母衣』を着用し暴れまわっていた。敵兵を何名相手にしたのか把握すらできないほど、とにかく敵の多い場所を目指した。
何しろ彼は元々が防御に秀でているのに、それを『黒母衣』でさらに強固にしたとあっては、当人の感覚では銃弾は鎧の外側で弾く音がするだけだった。
しかも高い機動力も得ているので、機関銃の射撃を受けた時も1発2発受けただけで容易く回避し、その後で蹂躙した。
彼の部下達も同様で、タルタリアの兵士達が化け物に遭遇したと逃げ回る中、敵を翻弄し、蹂躙し続けた。
「磐城さんも頑張るなぁ」
そう呑気な声をあげるのは、第3中隊を率いる不知火特務中佐。
しかし彼の足元を見れば、彼こそが呑気すぎる誰もが思っただろう。
何しろ足元は血の海。両手に持つ二振りの小ぶりの刀は緋鋼の赤い刀身なので血糊は分からず、返り血一つ浴びていないが、誰がその血の池を作り出したのかを雄弁に物語っていた。
「中隊長、師団長及び参謀長の遺体を確認。他もこの師団の参謀や幕僚が大半と考えられます」
「確認ご苦労さん。じゃあ、もう一つの師団の司令部も覗きに行こうか」
真面目そうな鬼の副官に、糸目のまま柔らかい口調で返す。ただ、言っている事は全く柔らかくない。副官も顔が少し強張っていた。
「中隊長、この混乱した状況では困難かと」
「そう思う? でも残念。野戦電話の線を辿ればいい。何かに当たる」
「た、確かに。了解です」
「潜みの第3中隊」は潜伏、奇襲、夜襲を得意としており、甲斐の魔力結界開始までに敵陣深くに入り込み、移動待機中の師団司令部の片方を見つけ、攻撃開始と共にここを殲滅していた。
しかも建物内だったので人知れず行っており、他からの伝令が駆け込んで初めてタルタリア兵が気づいたほどだった。
一方で、当初から派手な爆発が起きた場所もある。
「完璧を期する必要はない。故障させるだけで良い。1門でも多く破壊しろ!」
そう命じているのは第2中隊の嵐特務中佐。
彼らは第1攻撃目標として、待機状態で一か所に密集していた野砲を襲った。この一回きりの戦闘では敵から離脱しないので、最も面倒な相手となる野砲の破壊を選んでいた。
ただし野砲は、師団ごとに分かれていた為、彼らが破壊したのはこの場にある半数になる。
「砲弾、装薬を利用し、魔術で遅動発火を心掛けろ。刀で野砲自体をあまり切りつけるな。陛下のご加護が大きいとはいえ、魔力の消耗は最小限とせよ。戦いはまだ序盤だ!」
普段とは違い、狼の獣人そのもので嵐が吠える。
しかし彼らは全員集団戦だった。
だが単独で任務に当たっている者もいた。
「頼むよ、爆裂札ちゃん」
軽く口づけをすると手早く銃弾を装填する。
銃弾も銃も規格外の大きさで、銃は使用者の身長ほどもある。
それを軽々と手足のように扱うのは、白虎の半獣の朧特務少佐。彼女は特別任務を命じられ、ダウリアの街よりさらに50キロメートルほどもタルタリア領内に単身入り込んでいた。
そして射点を確保した彼女の前に、獲物が音を響かせつつ近づいてくる。
(重い音。荷物満載確定。汽車の汽缶を狙うか、貨物を撃ってみるか……。まあ、最初は貨物で様子見かな。汽缶を狙ったところで、特製銃弾が無くなる前に上手く蒸気が全部抜けてくれるとは限らないし……。3、2、1)
最後に雑念を払い目標以外の事は一切考えず、射撃の瞬間はブレをなくす為に心臓の鼓動すら止める身体制御を行い、500メートルの距離から必殺の弾丸を放つ。
音速の約2倍の速さで飛翔した弾丸は、1秒にも満たない時間で目標に到達。
汽車が引く約20両の有蓋貨車の真ん中の車両に着弾。
一見、貨車の側面に小さな穴が空いただけだが、朧は魔力や身体能力によらず、本能的あるいは一種の霊感とすら言える感覚で、大当たりなのを確信する。
だから朧は着弾の次の瞬間に視線を外す。
そしてさらに次の瞬間、銃弾が命中した貨車が揺れ、膨らんだかと思うと、一気に弾け、爆発する。その爆発は連鎖し、次々に貨車の誘爆につぐ誘爆を誘った。
最後に先頭の汽車、最後尾の護衛の兵士が乗る車掌車代わりの貨車を吹き飛ばす。
しかし爆発は一瞬ではなく、まだ爆発しきっていない爆発物の誘爆がしばらく続いた。
「うっわ。近くで撃たなくてよかった」
(これって、300でも危ないよね。鞍馬の言う事を聞いといてよかった。帰ったらお礼言わないと……その前に確認確認。この爆発で線路が無事なわけないよね。あとは、次の列車が来たところを、運転手の皆さん御免なさいで撃ち倒して、そのまま止まらずに盛大に脱線してくれれば任務完了。本国側からの増援を三日は防げるって甲斐さんは言ってたけど、どうなんだろ。ま、いいか。お仕事お仕事)
朧は感想を頭の中から追い出し、気を取り直し周囲の警戒を再開。元となった獣同様に周囲に溶け込みつつ、何物も逃さない集中度合いで神経を研ぎ澄ます。
そして30分ほどして同じように次の列車がやってくると、作戦通り汽車の運転手を全員射殺。列車は止まる事なく最初の爆発現場へと突っ込み、盛大に脱線した。
「爆発するかと思ったけど、この列車は弾薬積んでなかったんだ。まあ、写憶機に記録を取ったし、これで任務完了。……いや、帰って報告するまでが任務だったっけ? 帰っても獲物が残ってたらいいのになあ」
惨劇を眺め終えると、もう関心はないとばかりに踵を返し夜の闇の中に消えていった。
一方で、ダウリアでの戦闘は続いた。
全てが燃え尽きたので火炎は消え、再び夜の闇が支配する世界となったが、その暗闇の中でも黒装束の蛭子達は只人から悪魔と恐れられたそのままに破壊を振りまいた。
しかし彼らとて、無限の魔力があるわけではない。甲斐と竜の御子を介した竜皇の加護による魔力の大幅な増大があったとしても、何時間も連続した戦闘は無理があった。
だから辺りが白み出す少し前、自らも戦闘に加入して死を振りまいていた甲斐は潮時だと感じた。
側で戦い続けていた鞍馬も同様で、甲斐が視線を向けると強めに頷き返す。
「大隊長、そろそろ集合と移動を」
「うん。敵も一部が混乱から立ち直りつつあるし、夜の闇が吹き払われたら僕らの優位が一つ無くなる。潮時だな」
「はい。そしてこれからが……」
「うん。正念場だ。曹長、吉野、大隊に集合と移動命令を。次の段階に移行する。次はあそこで籠城戦だ」




