114 「後方への夜襲(1)」
・竜歴二九〇四年七月二十九日
「魔法警報! 魔法警報!」
タルタリア帝国の東の最果て、極東にある国境の町ダウリヤで、けたたましい警報の鐘と伝令達により深夜に突如警報が発せられた。
そこは、タルタリア軍の極東遠征の発起点で、巨大な兵站拠点。最前線からは250キロメートルの後方。
何よりタルタリア領内。
非常に重要な拠点なので、警戒の為に輸入したり国中から集めた呪具や巻物といった魔力と魔法を察知する備えが十分あった。
それ以前に、この日の午後、突然に前線との電信の不通が起きていた。
不通が判明した時点で、ダウリヤでは電信がまだ通じている中継地点に連絡を取り情報収集が図られる。
そしてその先の中継地から伝令と少数の斥候を出したが、半日近く経ってもまだ何も報告は戻ってきていない。現場からの伝令や報告もない。
当然だが復旧はできていない。
主街道と並行して走る軽便鉄道の方は、西から東へのほぼ片道運行なので東の様子は判らない。だが時間の経過と共に、渋滞により途中で停車する列車が徐々に西へ西へと出ていた。
距離があるので、馬の伝令では1日で届かないし、この時のタルタリア陸軍に無線通信手段はなかった
東のどこかで線路が遮断された証拠だが、遮断された場所の情報を持ち帰った者はいなかった。
一方で、途中まで繋がっている場所から、街道で戦闘が発生したと言う未確認情報が電信で伝わってきていた。
しかも、電信がつながらない拠点が、時間を経るごとに西に移動していた。
主街道上が攻撃を受けているのは間違いなく、ダウリヤでも高い警戒態勢が発令され、翌日の早朝から無理を押してでも分散した部隊を集結させ東に進む準備を進めていた。
また、前線との連絡が途絶えた事でダウリヤが周辺の命令系統の上位となったので各所に警戒強化の命令を発し、本国に対して緊急電が送られた。
だが、この夜の魔法警報は予想外のものだった。
襲撃ならどこか一定の場所での感知になる筈が、突然全ての呪具が魔力を検知し、『魔法警報』が発せられたからだ。
調べることが出来たのなら、ある地点から円状に呪具の反応が広がった事が判明しただろうし、魔力を感じられる者が外で見ていたのなら、魔力の膜か殻のようなものが半球状に一気に広がっていく様を捉える事が出来ただろう。
半球状の魔力の殻の直径は5キロメートルほど。ダウリヤの町とその周辺のタルタリア軍の一時滞在の宿舎やテントの群、それに大量の鉄道の引込み線が見られる巨大な兵站拠点の大半を覆った。
兵站拠点は、鉄道の引き込み線が10以上ある荷下ろしと大量の物資を集積する場所で、戦争前から力を入れて建設されてきたので充実した施設と規模を持っていた。
そこに魔力的な何かの結界が出現したのだが、何の理由もなく出現したのでもないし誰もが出来るものでもなかった。
適切な場所で「魔力結界」を形成する為、甲斐達はタルタリア軍から約300メートルの地点まで密かに進出していた。
人が少ない物資集積所があり、物資を破壊しやすいのでこの場所を選んだ。またここからだと、ダウリヤと周辺のタルタリア軍の大半を覆う事が出来る場所だった。
集積所は駅に近いものだからだ。
「それじゃあ始めるので、しばらくお願いします」
警報が出される少し前、側にいる鞍馬に伝え甲斐は精神集中に入る。術ではないので札は持っていないが、集中する為に目を閉じて両手をお腹の前で結ぶ。
そうしてすぐにも膨大な魔力の解放が始まった。
見た目の変化としては、甲斐の頭にあるツノに魔力が集中して数十秒の間に擬似的に成長し、まるで竜のツノのようになる。
これが彼の出生の秘密でもある。
もっとも、竜の御子のツノが2対なのに対して、元からあるツノが竜のように変化しただけだ。
(これが甲斐の秘密か)
護衛を兼ねてそばで見る鞍馬は、既に何度も見て体験しているので驚きはない。だがアキツ全体でも驚くべき現象だった。
(甲斐の「魔力結界」とは、「竜の加護」とほぼ同様に竜のいない地域で魔力を有する者への魔力の向上をもたらす)
(でも)と思いつつ、魔力が広がり始めた周囲へと視線を向ける。
(竜が存在する地域では効果が重複せず、竜が存在しない場所でこそ効果を発揮する。だから今回、私達は黒竜の外へ出た)
そう思いつつ視線を再び甲斐へと向ける。
(できるのは、竜の依り代か御子の血を引き継ぐ者。でも、依り代や御子だって元は人の子とはいえ、『御落胤』がいるなんて思いもよらないわよね)
ただし、効果は竜の御子と似ているが、竜の御子は遠くにいる竜の力の出力点になるのに対して、魔力結界は自前の魔力を使う。この為非常に多くの魔力を消耗する。
そして甲斐はその力の行使を開始し、一気に解放と展開への集中に入ろうとしたところで、頭の中に声が聞こえてきた。
(……える〜? 甲斐〜、聞こえる〜?)
(えっ? 三之御子様? 今、お近くに?)
(ううん。この国の都。黒竜様のお側。金剛も一緒よ)
三之御子の魔力の高さの影響からか、甲斐には三之御子の側の金剛の気配のようなものが感じられたように思えた。
そしてそれ以上に、本国にいる時のような一種の安心感や安らぎのような感覚も三之御子の念話から感じられるような気がした。
(そうでしたか。しかし、そのような遠方から『念話』とは、御子のお力ですか?)
(あー、そういうのはまた今度ね。それよりも、黒竜様は他の兵隊さん達を助けて下さるるから、私が陛下のお力を少しお借りして、甲斐を助けてあげるね)
(え? 可能なのですか?)
(そりゃあ、私は御子だもん。それにさ、そんな小さい範囲の100人ぽっちでしょ。楽勝楽勝。数時間だけど一人一人に凄く沢山の加護があげられるよ。そういうわけで、甲斐に合わせて今から送り込むから)
(はいっ! 宜しくお願い致します)
(うん。肩の力の抜いてね。それと、金剛が鞍馬にもよろしくって。じゃあ行くよ〜)
以前会った時と同様の軽い口調だったが、念話が終わった直後から送り込まれてきた『力』は本物だった。
三之御子の魔力も感じるが、それは間違いなく『竜皇』の力。その一端だと甲斐には分かった。
そしてその証拠に、放出された魔力の「色」は『竜皇』の「色」と教えられた緑色に感じられた。
それは側で見ていた鞍馬が誰よりも感じ、甲斐と甲斐が作り出した魔力結界へ交互に驚きの視線をを向けた。
何が起きたのか聞きたかったが、結界の形成が終わるまで待ち、甲斐が無防備と言える結界形成の為の集中を終え瞳を開けると強めの視線だけを送る。
それに甲斐が、まずは少し大きめに頷く。
「……。黒竜国に来られている三之御子様が、陛下のお力を分け与えて下さいました。吉野、この事を大隊各員に伝えてくれ。大きな加護が得られると」
「甲斐の魔力は?」
近くで防御と偽装の魔術を使っていた吉野の「了解」という声も聞きつつ、鞍馬に問われて甲斐は自分の右手を見る。
「まだ半分は残っていると思います。今後戦闘をするとしても、魔力回復薬も必要ないくらいです」
「そう。確かに本国にいる時の感覚ね。しかも相当強くない?」
「ええ。御子様曰く、狭い範囲に100人だけだから、凄く沢山の加護を与えてくださったようです。それと金剛様もご一緒らしく、鞍馬によろしくと」
「フフっ。御子様も金剛も余裕ね」
鞍馬がそう返した時点で、少し離れた場所から轟音が轟いてきた。音の方を見れば、吹き上がる火炎が見える。遠くまで夜目が利く者なら、吹き上がる黒煙も見えた事だろう。
しかも爆発は連続している。
また他の場所からも爆発や喧騒が聞こえる。
甲斐の動きに連動して、第1大隊の面々が作戦行動を開始した何よりの証だ。
だから二人も軽く頷きあう。
「私も派手なの一発お見舞いするわね。魔力があるなら護衛よろしく、大隊長殿」
「任せて下さい。恩恵は僕にもあるようですから、今なら僕らの宣伝文句通り一騎当千を約束しますよ」
そんな軽口に笑みを返し、鞍馬は既に手に持っていた11枚の札をかざし、術の構築を開始。
かくして、あまり時間を置かず二度目の魔力警報がダウリヤのタルタリア軍を駆け抜けた。




