111 「反攻命令」
・竜歴一九〇四年七月二十六日
「傾注!」
荒野の野営地で年嵩の曹長が号令すると、特務旅団第1大隊の約100名が一斉に姿勢を正す。
彼らに対して正対する大隊長の甲斐は、軽く見渡すと勇ましいとでも表現できる笑みを浮かべる。
「大隊諸君、いよいよ我々の本領を発揮する時が来た。しかも全軍の先駆けだ。総司令部並びに特務旅団司令部よりの命令で、我々は境界線を超えてダウリヤに速やかに奇襲侵攻を実施。そこで敵補給路を遮断すると同時に、友軍が作戦目的を達成するまで敵増援部隊の進出を阻止する。大隊副長」
「ハッ」。短く涼やかに隣に控えていた鞍馬が答え、心持ち半歩前に出る。それを受け、甲斐は少し脇へとずれる。
ずれた彼の背には、移動式の掲示板とそこに貼られた何枚かの地図があった。
「現在我が軍は、大黒竜山脈要塞にてタルタリア軍主力と交戦中。敵の第二次総攻撃は既に7日目。この間、前線へと運行された汽車は大半が弾薬の可能性大。さらに1日か2日、攻勢が続くと予測される」
話しつつ指揮棒で地図を示していく。
「一方、主街道には、歩兵師団2個、騎兵師団2個、旅団1個が広く展開。さらに、タルタリア帝国国境のダウリヤには、歩兵師団2個が前線への鉄道移動の待機中。さらに大規模な物資集積所が確認されている」
さらに地図を指揮棒で示しつつ、珍しく軍隊口調で説明を続ける鞍馬。体を横にして指揮棒を見ず、顔は常に将兵達に向いている。
一方、将兵達は説明で自分達の相手がわかり、若干の緊張が加わる。だが鞍馬の説明は続く。
「我が大隊に与えられた任務は、ダウリヤで移動の為に待機している2個師団が前線に進出しないよう、牽制及び撹乱になる。ただし、我が軍が掴んでいない兵力が含まれる可能性がある。一方、第1大隊を除く特務旅団は既に北部で集結及び展開を終え、主街道及び建設中の軽便鉄道を警備する部隊への牽制及び攻撃、さらには街道と鉄道の封鎖を実施。第1大隊は、旅団本隊を支援するのが目的となる」
「そして2個師団に秩序立って移動しながら押し寄せられたら、封鎖どころではない。移動もしくは戦闘態勢に移る前に先手を打つ」
言葉を引き継いだ甲斐は、周囲を見渡してから言葉を続ける。
「ただし上の思惑は、この戦闘で戦争自体にケリをつける前に、タルタリアの石ころを一つ奪っておこうという腹だ。明確な命令はなかったが、総司令部から言葉があった。維持が無理な場合は退いて良いという言葉もあったが、戦争の早期終結を陛下がお望みとの事だ。故に我々は、いつものように適度に叩いたら引くというわけにはいかない。最低でも主戦場での大勢が決するまで、2個師団の移動を阻止する」
「1個大隊、100人でですか?」
山猫の半獣の不知火が、いつもの猫目とも言える閉じたような目線に不満を乗せた疑問を呈する。
しかしその言葉は大隊の総意でもあった。
だが甲斐は、敢えて口の片方を釣り上げ不敵な笑みを返す。
「そうだ、軍記物のようだろう。勿論、無理はしない。言うまでもないが、我々は軍の鉾であるよりも陛下の盾だからだ。作戦自体は、僕らが大好きな深夜に作戦行動を開始し、初手で大隊副長の大魔術をお見舞いし、僕が諸君らを魔力結界で支援する。夜の闇の中だ。存分に暴れてこい」
「大隊長と大隊副長の護衛は?」
甲斐の言った魔術と結界形成は当人が無防備になるので、磐城の愛嬌のある大鬼顔が心配げな表情を見せる。
「夜中だし『浮舟』でギリギリまで移動。接近した後は周囲を『浮舟』で囲んで盾代わりにし、護衛には第4中隊の一部を当てる。『浮舟』には機関銃があるし、何より初手の不意打ちだ。待ち伏せでもされていない限り、攻撃される可能性は非常に低い」
横では鞍馬が頷いている。
それを一瞬横目で確認し、甲斐は続ける。
「それに一番手が僕で、そのあとすぐに大隊副長の番だ。だから、最初は大隊副長にも守ってもらうし、僕のは術ではないからすぐに手が空く。それに全体の『念話』担当の吉野には、終始僕らの魔力隠蔽と防御を行ってもらう。あと、僕らの護衛以外の第4中隊だが、輸送隊などの護衛と無線通信隊など後方待機以外は機関銃などで他の中隊の支援に回す」
そこまで言うと磐城も納得顔になる。
だがまだ十分ではないので、甲斐は言葉を続けた。
「それにだ、何も2個師団を壊滅させる必要はない。旅団本隊や騎兵が数日で駆けつけてくるし、1週間もすれば軍主力の先鋒も到着する。それまでの相手をするだけだ。それに、何を使っても良いとのひと札をもらってあるので、磐城らは『黒母衣』で出撃しろ」
「了解しました。ですが、壊滅させても構わんのでしょう?」
「そうですね。あれだけの装備を受領したのです。存分に暴れたく思います。兵站拠点を爆破しましょうか」
不敵な笑みで返す磐城に周りも感化され、山犬の獣人の嵐が普段の冷めたような疲れたような表情ではなく、これぞ山犬、これぞ狼といった口調と表情を見せる。
「じゃあ僕達第3中隊は、先に潜入してどこかの司令部を潰せば良いのかな?」
「第3中隊の潜入、浸透能力は認めるが、万が一気付かれる可能性がある。先に行くな。ただし、魔力結界形成の後なら何をしても良い。詳細は後で詰める」
「了解。認めるなら、行かせてくれても良いのに」
「何か言ったか?」
「何でもありません。全力を尽くす所存です」
「程々にな。それと、全員連れて帰れよ。まだ戦争は序盤だ」
「この戦いが、まだ序盤なのですか?」
少し意外そうな表情を見せた不知火ではなく、第4中隊の天草がいつもの丁寧な口調に少し心配げな声を乗せてくる。
だから甲斐は天草の方に顔ごと向ける。
「上は今回の作戦が成功すれば、戦争は終わると考えている。だが僕には、タルタリア軍が簡単に矛を収めるとは思えない。そして向こうが手を上げてこない限り、今度は逆侵攻だ」
「終わりませんか?」
「恐らくな。もっとも僕がそう思っているだけで、今回の作戦が上手くいけば戦争は短期間で終わるかもしれない。西方で言う所の『戦争芸術』のこれ以上ない体現となるだろうからな」
「そうなればよろしいですわね」
「全くだ。そして少しでも上手く行くよう、我々も全力で事に当たらねばならない」
「死力を尽くさねばならない、では?」
糸目のまま不知火が混ぜ返すが、甲斐は軽く肩を竦める。
「今の話を聞いてなかったか。終わらない場合、戦争はまだ序盤だ。死力を尽くした挙句、勝手に名誉の戦死を遂げてくれるな。それに戦死されたら、僕の事務仕事が増える。勘弁してくれ」
下手な冗談だったが、それで場の空気は少し緩む。軽く笑う者、笑みを浮かべる者も少なくない。
化け物と言われようとも、身寄りのない蛭子の生まれであっても人の心はある。修羅場に慣れすぎているきらいもあるが、死ねと命じられるより良いに決まっている。
そんな部下たちの表情に満足した甲斐も部下たちに頷き返す。
「うん。では、詳細を説明する。大隊副長、頼む」
説明終了すぐ、第1大隊は作戦に入った。
何しろ作戦目標は、幌梅に近い現在地から150キロメートル近く離れている。『浮舟』を蛭子の腕力で強引に進ませるとしても、丸2日かかる。
そして全体の作戦発動は2日後。さらに甲斐達の出番は、敵がアキツ軍全体の動きに気付くさらに1日後。遠隔地でほぼ孤立無援の状態なのに、それまでに作戦準備を整えなければならない。
それでも一応は、予備の命令は要塞の第二次総攻撃の10日前に一度受け、出来る限りの準備を整えてはいた。だが、それでも急ぐ必要がある。
「甲斐さんと鞍馬さんは?」
「司令部船内で仮眠を取られています」
移動を終えて作戦開始前日の夕食後、大隊司令部付き小隊の朧が、同僚と言える頬に大きな蛭子の痣がある天狗の吉野に問いかける。加えて吉野は、右手の人差し指を口元に当てている。
それに片目を閉じて合図をすると、ネコ科特有の足運びで二人が仮眠している作戦室を覗き込む。
するとそこには、壁にもたれかかった2人が寄り添いながら泥のように眠っている。毛布は誰かがかけたような跡があるので、吉野がしたのだろうと朧はあたりをつけた。
「敵のど真ん中どころか周囲100キロに友軍はいないのに、よく寝られるよね。指揮の方は?」
「磐城さんが臨時代行しています。ですが、部隊の指揮に作戦の立案、諸々の雑務。複雑な私達の大隊は、2人で指揮するには大変ですからね。知っていますか、2人の睡眠時間」
「うん。だいたいはね。忙しい時は3、4時間でしょ。2時間くらいの時もあったと思う」
「ここ10日ほど、それくらいですね。朧は寝ていますか?」
「僕はネコ科だから、寝ないと力が出せないよ」
「それはただの通説でしょう。本当に大丈夫ですか? 今も偵察任務の帰りでしょう」
「僕には覗き見と狙い撃ちくらいしか出来ないからね。けど、2人が寝ているなら邪魔するのも悪いし、報告は後でいいよね。僕もちょっと仮眠する。一緒に起こして」
「はい。了解しました。食事は?」
「あー、食べて寝ようかな。けど、今日の吉野はよく喋るね。それにお母さんみたい」
「柄にもなく、大きな作戦前で気持ちが高ぶっているんだと思います。それと、せめてお父さんと言って下さい。これでも妻子ありの既婚者ですし、軟弱ななりでも男ですから」
「アハハ、じゃあおやすみお父さん」
「はい。二人が起きたら、父親らしく叩き起こしましょう」
それに朧は笑いながら手を振るだけで、そそくさと司令部船を降りていった。
作戦開始まで、あと6時間しかなかった。