101 「補給路の概況(1)」
・竜歴二九〇四年六月末
タルタリアとの境界に近い平原にきて3週間ほど経過した甲斐たち第1大隊は、長い補給路を神経質なまでに警備するタルタリア軍の後方での動きに合わせ、それをただ見ているだけの任務からようやく解放されつつあった。
全体の戦況は、タルタリア軍の山岳要塞第一次総攻撃が失敗に終わって、双方が次の大規模な戦闘に備えた準備に忙しい頃合い。
さらにタルタリア軍では、第一次総攻撃の後始末が終わり、新たな増援が到着しつつあった。
そして増援の先陣には騎兵師団が2つあり、甲斐達は特にこれらを偵察していた。
その矢先のことだった。
「特務旅団第2大隊より通信」
司令部用の『浮舟』に乗る通信兵が、甲斐達に報告を告げる。
それを甲斐と鞍馬、それに居合わせた第1中隊長の磐城が外の天幕で受ける。
そして通信兵がそのまま続けた。
「敵騎兵部隊の移動を確認せり。街道並びに鉄道に沿い東に進軍開始。北には動かず。師団規模と推定。友軍騎兵と共に監視続行中」
「向こうもか。大隊副長、第3中隊からは?」
「続報はありません。第9騎兵連隊、第11騎兵連隊からも同様です」
「野営地の移動を準備しますか、大隊長?」
鞍馬ではなく磐城の言葉に、甲斐は首を横に振る。
「敵は動き出したばかりだ。それに南に進む様子もなし。北側と同じく、当面は東への移動だけと見るべきだ」
「はい。ですが、周辺警備も兼ねていると考えられます。部隊展開具合も、第3中隊報告では互いの中隊を視界に収めつつ、やや南に広がりを見せています」
「確かに、兼ねているんだろうな。……敵の警備状況は?」
「主街道の安全圏の幅は、南北それぞれ5キロメートルほど。視界も監視用の塔も込みで10キロメートル。中隊単位で巡回している昼間はともかく、夜は安全とは言い難いのが現状の筈です。騎兵を使い、補給路周辺を探索して安全圏を広げる目的があると推測します」
全て記憶している鞍馬の言葉に淀みはなく、信頼している甲斐も頷き返す。
「了解した。随分と警戒してくれているな。だがこっちの行動は変えない。敵が本格的に南下しない限り、偵察と監視のみだ。敵が南下し長距離偵察に出てきた場合にのみ、牽制や妨害を命じられているだけだからな」
「となると、向こう数日は覗き見ですな」
甲斐と鞍馬のやりとりに、磐城がやや拍子抜けしたような表情で返すと、二人も少し表情を和らげた。
「うん。それも仕事の大半は騎兵がしてくれる。僕らの出番は、何かあった場合だ。ただなあ」
「第2大隊は我慢できるか、でしょうか」
甲斐の声が最後に諦め口調になったせいか、鞍馬が続けた言葉も懸念を込めた声色となった。
第2大隊を率いる雷もそうだが、第2大隊は第1大隊よりも血の気が多い。二人を見る磐城も、肩を竦めるしかない。自分達にはどうにもできないからだ。
「とにかく、向こうとの連絡を密にする。それに出来る限りだが、あっちの動きに合わせて部隊を東に移動させる」
「東に向かうのですか?」
「大隊副長は何か意見が?」
「騎兵が全般の偵察と監視を行うにしても、第2大隊が東に向かうのなら我が第1大隊は現状維持か西に向かうべきは? 敵騎兵の半数も、警備が主目的なら移動しない部隊も出るかと」
「師団単位で動いた騎兵が、警備だけという可能性は低い。遠距離偵察、特に幌梅辺りから南下を始める可能性が高い」
「はい。了解しました。では、事前の想定通りという事ですね」
反対したというよりも別の可能性を提示しただけだったからか、鞍馬は素直に頷いた。その二人を見て、磐城が敬礼する。
「では自分は中隊に戻り、いつでも動ける準備をしておきます」
そう言って磐城は自分の中隊へと戻っていく。
大隊本部の甲斐たちも準備に入るが、そこまで緊迫感はない。
この時期のタルタリア軍は、鉄道が工事中の今、前線の兵力が多すぎたら補給が維持できず、補給の問題から山岳要塞前面こそ兵力に大きな変化はない為だ。
だが、後方では軽便鉄道が敷設された沿線から順番に、人と物が急速に増えつつあった。
これが鉄道の威力だ。
もっとも、敷設を急ぎに急いでいる軽便鉄道は片道のみ。仮の駅に迂回や引き込み、すれ違い用の複線区間もある程度作ってはいるが、殆どは1本のみ。
そして前線への補給と鉄道敷設、物資と兵力の輸送を急ぐので、その上を走る列車の大半は片道輸送だった。
このため、物資を満載した列車が目的地に到着すると、その場で貨車が置き去りにされていた。
場合によっては、貨車をバラし木材や鉄骨を他の目的に使用している。有蓋貨車の一部は、そのまま部屋や倉庫に利用した。
ただし人は、可能な限り歩かせていた。
タルタリア国内でも広大なサハ地域を横断する大陸横断鉄道ですら多くがまだ単線だが、境界線を超えた黒竜地域に敷設された軽便鉄道では輸送力が低いからだ。
そして軽便鉄道と一般的な鉄道では、「軽」と付くだけに線路に過度の負担をかけられない。
故に境界線で歩兵は降ろされ、前線で必要な砲弾や食料、医薬品などがそのまま鉄道の旅を続ける。それでも鉄道は途中までで、馬車に積み替えての輸送となる。
そうした負担があるので、余計に兵士は歩かせなければ補給や輸送に負担がのし掛かる。
歩く兵士は鉄道輸送する兵士よりも多くの日数をかけて移動するし、当然多くの食料を必要とする。それでも歩かせる事が選択された。
当然だが、境界線の向こうに客車が運行されるのは珍しく、運行されても貴族や上流階級が多い将校用に限られていた。そして復路での客車は、現状では幌梅に一旦集めて負傷者の後送に利用されていた。
だが客車の数が圧倒的に足りないほどの大損害のため客車はすぐになくなり、負傷兵の大半は有蓋貨車に乗せられた。
それでも移送が間に合わないので、鉄道ではなく馬車を使う場合も少なくなかった。
そして前線での補給状況は鉄道の敷設完了まで控えざるを得ないので、補充の歩兵以外の師団級戦力の移動は境界線で留め置かれていた。
それでも、膨大な数の死傷者が出たので、多数の歩兵が街道を歩かされている。
この為、主街道には多くのタルタリア兵を見る事が出来た。