100 「戦闘糧食(2)」
なお、アキツ陸軍の兵士1日分の野外食の主食は、米と麦(大麦)を3対1程度の量で、合計750グラム。炊さんすると水分を含み二倍強の量になる。
一見、アルビオンの配給量より少なく見えるかもしれない。
だが、アルビオンが主な糧食の一つの馬鈴薯は、米や各種麦と比べると熱量が低いのでアキツの方が多いくらいとなる。
それにアキツでも、量はアルビオンより少ないが芋類を野菜の一部で用いている。
そしてアキツの場合、主食のごはんに副食を兼ねた具材の多い汁物か煮物が付くのが一般的だ。
西方諸国のように豆が含まれていないが、豆は豆腐(乾燥豆腐)や汁物の味付けに使う味噌によって主に支給される。
また、ごはんを入れる本体以外の、ふた、掛子の2つに盛れる量が一食の基本となる。だが料理の品数が増えると調理がその分手間になるので、ご飯と汁物という場合が多い。
食事は朝食、夕食は温食、昼食は兵営なら温食、そうでない場合は握り飯と缶詰、野菜の塩漬けなどを事前に配給して携帯する。日持ちの点で握り飯は不利だが、アキツ陸軍はあまり気にしていなかった。
また、西方各国と同様に、予備糧食として各兵士は乾パンや缶詰など保存のきくの携行糧食1日分を常に携帯する。
他に、アキツ陸軍で酒は加納品という分類で、甘味との選択で支給された。酒類は米酒や焼酎、西酒など、何種類か選ぶ事ができる。
以上のように、陸軍は将兵の食事には気を配っていた。
食事は、兵士が十分に動く為に必要というだけでなく、退屈な軍隊生活での数少ない娯楽だからだ。また、アキツは多種族が共存するので、気をつける必要があった。
なお、大柄の大鬼と多々羅は一人で二人ぶんという数え方をする。同様に獣人は、肉類を二人ぶんと補給の際に数える。
この為、多少の手間が必要だった。
ただし大鬼は数が非常に少ない上に上流階級が殆どで、同様に獣人も国民全体の1パーセント程度しかいない。多々羅もせいぜい5パーセントと数が少ない上に、軍人だと比率がさらに下がる。この為、多少の面倒があるも食料面での補給の圧迫とはならなかった。
時折、悲喜交々の逸話が生まれる程度だ。
もっとも、補給では途中の様々な失敗、停滞、損失を考慮し、一定程度は余分に物資を用意する体制が作られていた。戦時となると、さらに余裕が考慮される。
この為、兵站、輜重を管理する大きな部署では、食料を含めて物資は余りやすいのが通例だった。だが食料は余分に欲しがる者は多い為、管理する者達にとっては現場での「取引材料」とされる。
余裕分を取引材料として、厄介ごとを押し付けたり、交渉を有利にする為だ。また場合によっては、駐屯地域に住む民衆への人気取りに使われる事例もあった。
そして獣人への肉の配給量が多いように、半獣も肉食を好む。この為、全体として何かしらの肉か鯨の缶詰以外に、保存肉の糧食への組み込みも欠かせなかった。
長期保存ができる缶詰の普及で肉の供給は十分可能となったが、それでも塩漬けの保存肉の人気は高い。
前線でないなら、生肉の確保と供給も努力された。この時代はそれなりに贅沢品だった卵も同様だった。
そして肉類は軍での配給量も多く、缶詰肉150グラム以外に300グラムの何らかの保存肉(主に豚肉)が加わる。また保存肉は、腸詰肉の場合もある。
肉の量は西方の軍隊より多いくらいだが、これはアキツ全体の食生活が反映されていた。半獣の肉もしくは魚への渇望から、海外進出が進んだと言われるほどだ。
なお、肉の配給は将兵にとって新鮮な生肉が一番だが、鎮守府、兵営、要塞などでないと供給が難しい。この為、戦闘糧食、特に野戦食には組み込まれていない。
最低でも、屠殺場があるか冷凍肉を冷凍のまま供給できる場所に限られている。ただし魔法は使われない。
温度変化の魔法はあるが、大量の食料を低温もしくは冷凍で保存し続けるのは効率が悪い為だ。
甲斐達が千々原の街で物資を積み込んだ時も、生野菜は多少日持ちするが、上の計らいで特別配給で支給された生肉や卵といった生鮮食品は、保存の問題から最初の数日で食べきっている。
野菜は物にもよるが、芋など根菜を中心によく保って2、3ヶ月。大半の生鮮野菜は、生肉や卵と同様に兵営でしか供給されない。
そして野菜不足を補うため、アキツでしか食べられていない伝統的な乾燥野菜を糧食に加えている。また、漬物などと呼ばれる塩漬け野菜も重宝されていた。
そして甲斐達の手持ちの野菜も、そろそろ乾燥野菜に変わりつつあった。
「ねえ、鞍馬、吉野。手軽に肉や野菜を長く保存する魔法ってないの?」
「手軽、ですか。あれば良いですね」
穏やかな笑み浮かべつつ返すのは吉野。それに対して鞍馬は少し考え込む。
だから「あるの?」と朧は問い重ねる。
だが鞍馬はゆっくりと首を横に振った。
「温度を下げる術、凍らせる術はあるし、呪具も、札と勾玉を合わせたものもあるわよ。でも、どれも魔力の効率が悪いからお金持ち用ね。だから政府や軍それに企業も開発していて、見た事もあるわ」
「見たのは魔導器工廠? 魔導研究所? どこかの会社?」
「魔導研究所よ。研究開発は民間の方が熱心ね。でもね、近代科学で製氷と冷凍技術があるし、氷を使った冷蔵保存も出来るでしょ。だから研究止まりみたいね。機械より効率や費用、手間の面で劣るから」
「でもさ、すごい魔術もあるんだよね。確か吉野も使えたでしょ?」
話を振られた吉野は、やや微妙な表情になる。
「はい。ですが、自分で言うのもなんですが、高度な術で大量の魔力も必要です。私も蛭子だから使えるのであって、2級以上の術者でないと使えません。加えて制御、特に加減が難しく、周囲を含めて全て凍らせてしまいます」
「そっかー。でもさ鞍馬、機械のやつって運べないでしょ」
「簡単なものだと、天井に氷を敷いて降りてくる冷気で冷やす冷蔵貨車があるでしょ。船なら冷凍庫も。ただ機械式は蒸気や瓦斯を使うから、『浮舟』に積むには重いでしょうね。そのうち開発されるかもしれないけれど」
「そのうち、ねえ。僕としては、今すぐでも欲しいよ。あ、そうだ大隊長、追加の補給とか来てくれたりしないのかな?」
質問がひと段落ついたと思った周りの3人だが、朧まだ不満そうな表情のまま甲斐へと体ごと向ける。
だが甲斐は手振り付きでにべもない。
「ない。要塞はそれどころじゃない。他の友軍は、僕達の周りにいる騎兵以外は山脈の向こう側。馬車で山脈を越えてる間に、野菜はダメになるぞ」
「じゃあ、しばらく野菜はなし?」
「まだ玉ねぎと馬鈴薯があるだろ。あとは漬物と乾物で我慢しろ」
「馬鈴薯って野菜? 芋でしょ?」
「立派な野菜で栄養も豊富だぞ。糧食班も言ってただろ」
「うん。でもさあ、肉も缶詰とカチカチの干し肉だけになったし、もう少し配慮が欲しいでありまーす」
そう言って朧が元気よく右手を挙げる。
「だから、近くの遊牧民から色々買っただろ」
「羊の丸焼きは最高だったね。馬乳酒も美味しかったし」
「どっちも美味かったな。あと、売ってもらった醗酵乳の乾燥したやつは随分日持ちするらしいし、今度糧食班があれを使って汁物を作るそうだ」
「おおっ。ちょっと楽しみ。でも、もう遊牧民の人も近くにいないんでしょ? 幌梅からもみんな逃げたって」
少し深刻な言葉を口にするも、朧自身はあまり気にしていない。気になるのは、明日の食事という雰囲気なので周りも苦笑するしかない。
「第二大隊の潜入組からは、半獣は事前の情報で全員退避済み。この辺の連中は、アキツ軍が知らせなくてもタルタリア側の実情を知ってるからな。今、幌梅に残っているのは、只人だけだ」
「タルタリアは勾玉が欲しいから戦争を始めたという噂もあるから、逃げるのは当然よね」
そう鞍馬が話すと吉野が人差し指を立てる。
「ですがその噂で、我が軍の捕虜は丁重に扱われるという噂も出始めていると、要塞で聞きました」
「要塞からの情報だと、まだ我が方の捕虜は出していないとの事ですが、どうなのでしょうね」
「皆無という事はないだろう。だが戦闘が非常に優位に運んでいるのは間違いない」
「僕らが毎日見ているタルタリア軍は悲惨だもんねえ」
朧は気にしていないながらも、兵隊への同情から少し遠くを見る。
「同時に大量の増援と物資も送り込んでいる。朧、そうやって羊羹食って油断していると足元を掬われるぞ。大隊副長、終わったら午後の将校斥候の打ち合わせをする。あ、でも、お茶を済ませてからで構わない」
「了解です大隊長。では、お茶をご一緒に如何ですか?」
「うん、そうしよう」
鞍馬の誘いに甲斐は残っていたご飯をかきこむと、お茶を飲むべく配給のある『浮舟』の炊事区画へ二人で向かうべく立ち上がった。
参考1:
昭和の日本陸軍の携帯口糧:
主食として精米1日分(855グラム)・乾パン1日分(675グラム)、副食として缶詰肉(大和煮など)150グラム・食塩24グラムが原則。
参考2:
日本人の肉の消費量は83グラム。(10代後半で130グラム)
欧米は250から300グラムくらい。




