第9歯(ば)
ぐ、グレートマザー。どうしたんですか、そんなに血相変えて。しかも友の心臓をくわえたまま…わっ。急に大きな声出さないで、ええっ。尻尾に噛みつかれてる? 一体中に何者がいるのですか。ああ分かりました、引っ張ります。ふぬーぇ。ぬうーぇ。おーろろろろろろ、むぁっつぁ! また火花が! あちち!
(あっ! あいつは第2位の…!)
(第2位?)
(ええ、次のグレートマザーと目されてる女です。だから、そんな風に呼ばれてます)
お前…! 一体何をやっとるんだ、この奥がグレートマザーしか立ち入れぬ聖所であることぐらい、お前なら分かっておるだろう。ぬ。なんだ、その高圧的な笑いは。なんだと? これは反乱である、だと? そうか。お前もとうとう、現グレートマザーに挑むか。しかし、ならば尚更である。これまでの挑戦者がそうであった通り、お前も正面切って挑まないか。それを待ち伏せ、しかも禁地で伏せているとは。己の愚行を、本当に理解しているのか。
(うん。圧迫止血で、上手く止まったようだよ)
(おう。先生は、血を止めてまう方法までご存じなんですな。グレートマザー、大丈夫でっか。取り敢えず尻尾の傷は浅いで。え? はい。…ええ!? そ、そら)
どうした。もっと他に、大きな傷でもあったのか。
(そやない、別の大事や。首長、そのアマ「イモの心臓」を食うつもりらしいで。それで隠れて、グレートマザーが送りを終えるのを待っとったんや)
何っ!? ぬあっ。こやつ、やはり…ぎゃ! い、痛っ。やめろっ! やめっ!
(あっ。おい君、やめたまえ。なぜ首長を襲うんだ!)
せ、先生、近寄っちゃ危ない。グレートマザーに手をかけようと決意した女は、現マザーの夫をも排除しようとするのです。この女は本気です、先生まで巻き込まれてはいけない。それよりも、マザーを連れて早くこの場を…
(見過ごせる訳ありません。さあ、やめるんだ…くっ、なんて力の強い)
先生、私は今、恥を感じています。誰かの命さえ自由に出来るとしたら、それは母なる大地だけであると、私は神妙に申しましたな。しかし、現実はご覧の通りです。実の所、私たちはこうして身内で殺し合ってきたのです…それこそ、私たちが『ピウピ・ピュイ・ピュウピピ』となったその時から…ぐっ…
(あなた方が争うのは、グレートマザーが代替わりする時だけでしょう。我々人間のように、しなくても済む争いまでしている訳では…くそっ、殴っても蹴っても。こいつ、いいかげん首長から離れろっ)
先生とお話をすることで、私自身、我々の来し方を振り返り、そも我々は何者であるのか、より深く考えさせられたような気が、気がします。この後はゆっくり、一人で考え続けるのも良いかも知れませんな…ほ、ほらそこに。そこに門が。門が…
(ぶっ…! なっ、血? うっ!!)
(先生、大丈夫でっか! 頭打ったんとちゃいまっか!?)
(ぐ…いや、辛うじて平気だったよ。くそ、あの女…)
(先生突き飛ばして、えらい勢いで駆けていきおったわ。グレートマザーを追ったんやな。自分も少しは怪我してるだろうに、嫌な執念やで)
(それより首長は? 血が目に入って、よく見えない)
(最後は喉笛に門歯を突き立てられて、一瞬やったみたいです…ああ、惜しい人を亡くしたで。アホやけど、ほんまいい首長やったのに)
(…)
(先生が気に病むことなんか、なんもありまへん。グレートマザーが交代するのに、場合によっては現役と後釜が殺し合うし、現役の旦那も巻き込まれます、それがわいらの自然なんです。首長も言うてましたけど、結局はわいらも野蛮なんですわ。神話やら儀式やら作って、その事実から自由になりたいと、願ってはいるんですけどな)
(いや。そうであっても、君たちは権力を遠ざけようと努力し続けている。大昔に自然からそれを簒奪し、今ではそれを、最初から手にしていたとすっかり勘違いしている人間よりは、やはり尊い)
(そや、その力や。第2位は、その力を身に取り込もうとしよってん。なんちゅう恐ろしいこと思い付くんや。止めないと)
(「イモの心臓」を食うとか言ってたけど、それと関係あるのかい?)
(先生、走りながらでいいでっか。そや、仰る通り、それと関係ありますねん。あれは…ん。先生、どうしました。足、痛いんでっか)
(第2位に突き飛ばされた時、ちょっと捻ったようだ。けど大丈夫。さあ、走ろう)
(じゃあ、できる範囲で急ぎまひょ。話の続きなんですけど、送りの終わった心臓は境の向こうへ行った訳でっしゃろ。そこは先生の言う「ケンリョク」が潜んでいる場所でもありましたな。潜んでるっちう言い方からも分かるように、普段はその物騒な力が、こっちに住むわいらに見付かることは絶対にあらへん。けどな、送りの終わった心臓は特別や、あれは境のこちら側にありながら、境の向こう側と繋がっとる。つまりそれに働きかけると、その物騒な力を直覚できるかも知れんのですわ。働きかけ方には色々あるでしょうけど、食うなんてどうでっしゃろな、自分の血肉にするんやから、いかにも直覚できそうや。あの第2位のアマは、まさにそれをやろうとしてる訳で…)
(要するに、自然から権力を簒奪しようってのか…! 大変だ、君たちのムラに独裁者が生まれてしまう。よし、緊急事態なのは分かった。僕も頑張るよ。もっと急ごう)
(ああ、もうっ! 一体なんやねん、無茶苦茶やないか!)
(はあ、ふう。ど…どうしたんだい。ごほっ、ぐ。む。無茶苦茶って)
(あっ、先生。すんまへん、置いて先に来てしもうて。こっから広場の様子を見てください。大変なことになってまっせ)
(…あの人、左前肢がおかしな方へ曲がってる。あの人はお腹から血を流して…)
(苦しんでるもんも多いけど、恐らく既に死んでるもんも多いで。「魂枯れ」てみんな眠りこけとった所に、グレートマザーと第2位が暴れこんだんや。きっと、みんなヘビでも襲ってきたのかと、頭おかしくなるくらい驚いたんやろな。兵隊の連中は、歯当たり次第に仲間を攻撃したのかも知れん。もしかしたら、兵隊じゃない連中同士でも…なんやねん、それ。普通、有り得へんやんか…)
(気休めにもならないだろうけど、どうか落ち着いて。グレートマザーたちは…あ、あれか。よし、まだ心臓は奪われていない。第2位を止めて、この異常な争いをやめさせよう。放っておいたら、もっと酷いことになる)
(先生、あかん。生き残ってる連中も気が立ってますさかい、いま出てって目に留まったら、問答無用で襲われまっせ)
(いや、僕にはみんな疲れ果てて、呆然としてるように見えるよ。マザーたちも動きを止めてる、今がチャンスだ。どう行けば、第2位の真後ろから近付けるかな…)
(ああ、もう。先生の方がよっぽど熱くなっとるやないの。怪我してるそないな足で、どうやって忍び寄るんですか。それに第2位を止めるって。なんぞいい策でも、あるんでっか?)
(策は無いけど、武器なら見付けたよ。ほら)
(それは。先生がムラに来た時についてた、杖やないですか)
(覚えてるかい? 君がマイクを貸してってねだった時、断るためにそこの壁際に立て掛けておいたんだったね。今の今まで、忘れてたよ)
(それが武器になるんでっか?)
(上手くやれる自信は無いけど、これで第2位の急所を突ければ…)
(…先生は、第2位を殺すつもりでっか?)
(グレートマザーの交代が平和裏では無く、戦いの勝敗によって決まるのが君たちの自然だと、君は言ったね。だとしたら僕は、全く余計なことをしようとしているのかも知れない。けれど、さっきも言った通り、今回の争いは異常なんだろう。今まで通りグレートマザーが交代するってだけじゃない、独裁者や王などといった権力の妄執者が、かつて無かった災いが、君たちのムラに生まれようとしているんだろう。これは僕の我が儘だが、それだけはどうしても我慢ならない。これまで王などを頂かず、慎み深く、対称的な関係を重んじて生き抜いてきた君たちまでが、僕ら人間のような、あらゆる命を従えんとする独裁者にはならないで欲しい…。うん、だから。僕はやるよ。やはり、第2位を止めたい)
(…先生の決意は、しかと聞き届けました。ほんならわいも行きます。こっからわいが走り出て適当に騒げば、みんなの注意が逸れますやろ。その隙に、先生は一気に走り寄って…)
(ん、なんだ。地鳴り…? おっ)
(あ、あ、あ…地震? 地震や…揺れとる…揺れ。崩れる、天井が、壁が、崩れるで。そしたらわい。そしたら…)
(君、どうした。確かに揺れてるが、地上を動物の群れが通り過ぎてるとか、その程度かも知れないだろう)
(ひっ…うっ、わああああっ! 地震やぁ、地震やで! 崩れるんや、ムラがなくなるんやぁ! わいらみんな生き埋めやでぇ! い、いややああっ! うわあああっ!)
(あっ、君! 待つんだ、飛び出しちゃ危ない!)
(ひぃひひひひ。地震や。地震地震地震地震んんんんっ! うひぃひひひひ)
(君、落ち着いて…なんだこれは、デバは地震に弱いのか? それとも緊張のせいで反応が過剰に…あ、なんてことだ。広場の連中まで暴れだしてる。くそ、せっかく大人しくなってたのに。ぐっ、せめて君だけは…君だけは正気に戻ってくれ。ほら、いつもの皮肉な君はどうした。君を押し止めるのに必死な僕は、滑稽だろう…あっ!!)
(うひぃひひひ。死ぬんやぁ。わいら一緒に。あーはははは。お前らアホやな、みんなして噛みつき合うて。わいも仲間に入れたってん、みんなして死ぬんやろ。ひぃひひひひひひ。わいもそっち行くわ! それっ、うひひひひ。死ぬでぇ! うひっ、いひひひ。殺り合うことさえ分け合えればぁ! 死ぬでぇ! ひぃひひひひ…)