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裸の鼠  作者: まどか風美
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最終歯(ば)

 う…ああ。気を失ってたのか…。彼を止めようとして…振り払われたんだったな。ああ、参った。足に踏ん張りが利かなくて、随分酷い倒れ方をしたからなぁ…。よっこい、つつつっ…余計に酷くなってる。起き上がろうとしただけでこれじゃ、歩くのは………静かだな。あっ、ムラの様子! みんなして気が触れて…確かめなきゃ、つつっ。くそぉ。いや待った、杖があったはずだ。こんな時こそあれを…ん? おや、倒れた拍子に、どこかへ投げてしまったかな? ん、お? なんだ、自分の尻の下に在った。探し回らずに済んで助かった…よっと。あ。…ぬぅ、上手く行かないもんだな。折れて短くなっちまってる。でもなんとか…よっ…!…ふう。やっと立てた。でも、ああ、これくらいのことで、もう汗びっしょりだ。おまけに頼りの杖は、頼りない長さでありまして、歩こうとする今からがもっと大変であります…よし。それ、歩け…

 ぐっ…広場へ出た途端これか…凄まじい血の臭いだ。目に映った光景を一瞬否定しかかったけど、到底無理だ…みんな、みんな倒れて…静かすぎて耳が痛いほどなのに、誰かの息遣いも、体を動かす気配も、全然…そんな馬鹿な…協力者の彼は? グレートマザーは? 誰か、うわっ! づっ、ぶっ! ぶぁっ!! ぺっ、べぶぉっ、!、ぐふぉっ………………お、お、ごほっ。がっ、はっ、はぁ、はぁはぁはぁ………ふふっ。ふふふ…血の沼に足を滑らせて、顔を突っ込んだ先がまだ生温かい臓物の山! はははっ、なんて気の違っている! おまけに僕は素っ裸だ、その格好にテープレコーダーひとつ肩から提げて…なんだそりゃ、お笑いじゃないか! おお学者、学者の誇り! 全裸に血泥まみれの男が、真摯に記録を採り続けてます! ひひひ、その哀れなほどの間抜けさが、笑いを誘って仕方が無いね、傑作だ! おい学者、随分未練がましいじゃないか。お前はまだ、自分が無事だと思ってるのか。ここはどこだ。なぁんにも無くなっちまったじゃないか。みんな無くなっちまったのなら、お前も無くならにゃいかんじゃないか! ひひひ、そうだ。僕は無くならなくっちゃいけない。ええと、そうだな。服はもう無くなった。仕事もいま無くなった。家族や仲間なんてのもいつの間にやら無くなってたな。あとはそう、お前だ。最後まで付き纏う自分、お前だよっ! よし、お前無くなれ。とっとと無くなれ。その果ては忘我か、狂気か! 乞う、ご期待! はぁはははは。ひぃひひひひ。うひっ、ひっ。ひ、うっ……ひ………ううっ…うっ…う…。

 う…誰?…誰か僕の体に触れている…? く、くすぐったい…僕は…ん…無くなっては、いないのか…ん?…あっ! ああっ! ひっ、だ、誰だ! 待て、まだ殺し合うつもりなのか! そんな必要はもとっ、元からっ。そもそもこれは異常な…!

 どうか怖がらないでください。私はあなたを害しません。お忘れですか。私は、あなたの妻です。

 あっ。え、君。君? ええと…あっ! いや気付いてる! 気付いてるから。あの時のお嬢さんだろう。だからその、またあんな風に君の優しさで、優しさでそのう、僕を忘我の境へ誘わないでくれたまえ。

 ああ、良かった。息は感じられましたが、ぐったりしたままなかなかお目覚めにならなくて…本当に、気が気でなかったのです。

 あ…。

 どうかされましたか? 私のことを、ぽかんと見て。

 ああ、済まない…いや、良く考えたら、君とこんな風にきちんと話すのは初めてだったね。なんだその、あんな関係になったっていうのに。

 私も強引でしたから…後で我に返ってみて、門歯が飛び出しそうになるほど恐ろしくなりました。きっとご立腹だろうし、もう合わせる顔が無いって…それなのに、今もはしたない真似を。私のことを覚えていてくださらなかったのかと悲しく思った途端、体が熱くなってしまったのです…。

 いや、怒ってなんて全くないよ。それに、今だって感謝している。どうやら僕は眠りこけてしまってたみたいだけど、その間に、君がどろどろの体を綺麗にしてくれたんだろう。君も大変だったろうに、僕を見付けて、こんな世話までしてくれて…文句なんて言おうものなら、罰が当たるよ。そうだ、まったくもって今更だけど君も…僕の妻も、無事で本当に良かった。

 ああ。お優しい旦那様、そう仰ってくださればと願っていました。はい、私の場合は運が良かったのです。訳も分からずにただ逃げ惑っていたら、体の大きな者が私の上に倒れ込んできました。そのまま下敷きになって、迷える門歯たちに見付からずに済んだのです。目が覚めた後は、息のある者を探して一人ずつ確認していました。みんないなくなったと絶望した時に、息のあるあなたが居たのです。きっと、母なる大地のお導きです。

 みんないなくなった? それじゃ、僕たち以外は一人残らず…?

 はい。本当に、なんでこんな事になってしまったのか…。

 うん…でも、その話は今はよそう。そろそろここを離れた方がいい。ここはもう忌むべき場所だ、生きている僕らが長居する所じゃない…済まないけど、立ち上がるのを手伝ってくれないかな。ちょっと足を怪我しててね。この杖が本来の長さなら、もうちょっと楽だったんだけど…。

 私の背に手をおかけください…そのまま私を杖代わりにしてくださって結構ですよ、あなたに合わせて歩きますから…。でも旦那様、ここから直ぐに立ち去るのは、少しお待ち頂けませんか。あの、なんと申しましょうか、仰る通りにこの場所を忌み地と思おうとすると、何故だか訳も無く、胸が騒ぐようなのです。

 それはなんだろう。気掛かりを感じるのかい?

 はい…ゆっくりで構いません、歩きながらでいいでしょうか…その間に、もやもやしたものを言葉にしたいと思います。

 分かったよ…。ふむ、君も子孫を残せる立場になって、グレートマザーの資質が前面に出てきたのかな? なんて言うか目に見えない、門歯で触れられない、そういったものも優れて直感できる…。

 旦那様。私にはこの場所は、忌み地などでは無く、そんな意味も無くなった「何か」のように感じられます。

 絶無という訳だね。

 けれど、それは何かを孕んでいるような…。

 ふむ…おや、あれは? 壁に何か突き刺さってる。

 なんでしょう?

 こりゃ門歯の1本だ。上顎のものか下顎のものか…並以上に長くて立派だな。この固い土壁に、こうも深々突き刺さるとはね。凄まじい話だよ。

 思うところがあります。確認させてください…ああ、やはり…。

 誰のものか、分かるのかい?

 はい、これはグレートマザーのものです。この長さ、門歯で触れた感じ…間違いありません。

 そうか…ご遺体はこの近くにあるのかな。人間の感覚で言えば、元に戻してあげたいんだけど。

 …いいえ。これは頂戴いたしましょう。二人っきりで心許ない私たちに、強かったマザーのお力添えがあるように思えます。それに旦那様、これを杖に継ぎ足すと、長さも丁度良くなりますよ。固定にはそこらから顔を出している、細い根が使えます。

 ふっ…むっ…。いやぁこの根っこ、細い割には丈夫だね。引っ張っても切れないよ。

 固定に使えるくらいですから…私が、噛み切ります。

 …よし。これくらいがっちり縛れば大丈夫だろう。うん、君の言う通り。長さも丁度良いし、それに矛みたいで頼もしくもなった。色々具合がいいね。

 あ、旦那様。だからと言って、何故先に行ってしまわれるのですか。私の背もまだ使われた方が、きっと楽でございます。

 …うん、止まったよ。いや、これ以上はちょっと、進めないかな。

 これは…。一際大きい、血の沼ですね…。

 うん、傾斜の関係かな。流れた血が、みんなここへ集まってきてるみたいだ…全く…この世のものとは思われないよ…本当に、信じ難い…。

 …あら。何をなさってるのですか?

 うん? ああ、無意識にね。杖で沼をかき混ぜてたよ。汚れるのにね。何をやってるんだろうね。

 はっ。いいえ、お続けください。私もご一緒させて頂きます。

 一緒に? 別に構わないけど、何か考えがあるのかい?

 考えといいますか…私たちがする最初の共同作業として、何故だかとても正しいように感じられたのです。

 この杖で? どろどろの土をかき混ぜる、の、が…?

 はい、理由にもなっていませんけれど…でも、ふふふ。始めてみれば、だんだん楽しくなってくるから不思議です。ねぇ? 旦那様。

 …いや、ちょっと待ってくれ。泥沼、矛、夫婦最初の共同作業…これはいけない。手を止めて。一旦よそう。

 何故ですか? こんなに胸が希望で膨らんで参りますのに。なぜ、この行いが良くないのですか?

 僕たちが、次の始まりを始めることに異論は無いんだ。でもこれは…いいかい、僕は君たちが権力を手にしそうになって居ても立ってもいられなくなったし、君たちだってその力とは無縁でいようとしてたはずだ。だから僕ら自身が、こんな風にこれからを始めてしまうのは…。

 旦那様、手の力が抜けております。もっと力をお入れになって。そしてぐーるぐーるぐーる。ふふふ、楽しい! ほら旦那様。ぐーるぐーるぐーる!

 待ってくれ! 次の神話がこれじゃ駄目なんだ。君たちが伝えてきたような優しくて強い、柔らかな神話を、僕らはもう一度語り直さなければならないんだ!

 さぁ旦那様、矛を引き上げましょう。こおろこおろ…あら、これは何故かしら。矛の先から滴がひとつ落ちる度に、私の中に新しい言葉が芽生えるようです…降臨…正しい血筋…支配…。

 ああ…逆に僕は…僕の言葉が、次第に掻き消されていくようだ…

「大切なのは、むしろ違ってても同じであることに気付く、柔らかな想像力」

「大切なのは、違いを垂直に同じであることに気付く、柔らかな想像力」

「大切なのは、違いを垂直に際立たせ固定する、柔らかな想像力」

「大切なのは、違いを垂直に際立たせ固定する、異論許さぬ論理」

 ああ、国が…国が生まれていく…


(了)



【作品データ】

執筆期間:2013.5.29(WED)~2013.9.29(SUN)

総文字数:35945文字

400字詰め原稿用紙換算:約108枚(43200文字)

同マス目充足率:約83%


【参考文献】

「カイエ・ソバージュ」中沢新一 講談社選書メチエ

 Ⅰ 人類最古の哲学

 Ⅱ 熊から王へ

 Ⅲ 愛と経済のロゴス

 Ⅳ 神の発明

 Ⅴ 対称性人類学


「ハダカデバネズミ」吉田重人・岡ノ谷一夫 岩波科学ライブラリー151

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