2回目の人生 ⑦
アレクシス視点の話です。
それからも妹は度々議会に出席した。
最初の頃はアレクシスも止めていた。無理をしなくていい。一度議会に出て、議員たちも納得したのだから、もう十分だ。だから自分の身体を大切にしてほしい。そう、何度も告げた。
けれど妹は決して首を縦には振らなかった。
「わたくしは、皇帝ですから」
そう言って。
皇帝である限り、職務を全うする。ベッドに寝ているばかりで、政務のほとんどを兄に任せている皇帝だけれど、それでも自分は皇帝なのだから。そう告げる妹に、次第にアレクシスは何も言えなくなってしまった。
やせ細っていく妹を見ているのは辛かった。けれどそれ以上に辛いのは、きっと妹自身だ。だからアレクシスはできる限りのことをした。妹が望むことなら、何でも叶えてあげたかった。
妹は自分がそばにいることを望んでいる。だから日中はできる限り妹に付き添った。皇帝の私室で執務をするようになったのも、そのためだ。ここなら、アリアンヌが自分を呼べば、すぐに駆けつけてやることができるから。
執務の引き継ぎのためにアシュフォード伯に会いに行く以外は、ほとんど出歩くこともなくなった。
少しでも長く。
少しでも多くの時間、アリアンヌのそばにいてやりたかった。
「……おにいさま」
夜中。
小さく自分を呼ぶ声がして、アレクシスは慌てて妹のそばへ駆け寄った。アリアンヌは目を潤ませながら、こちらへ手を伸ばしている。その手を掴むと、妹は泣きながら訴えた。
「……からだが、いたいの……」
きっと、寝ぼけているのだろう。
しっかりと目を覚ましているとき、妹はもう、弱音を吐くことがなくなっていたから。
「……すまない。アリア、すまない」
聖女の力を使った代償。
自分のせいで、妹はこんなにも苦しんでいる。痛がっている。それなのに、自分はその痛みも苦しみも代わってやることができない。汗を拭いて、氷の魔法を使い、少しでも楽になるようにと冷気を送ってやる。自分にできることなど、それくらいしかなかった。
苦しんでいる妹を前にして、何もしてやれることがない。ただ、謝ることしかできずにいた。
少しずつ、妹が弱っていくのが分かる。
それは以前からのことだった。けれど議会に出席するようになってからは、特にそれが顕著だった。
アシュフォード伯や宰相たちが、叔父に戻ってくるよう働きかけていることも知っていた。中でもアシュフォード伯は、アリアンヌを追い詰めてしまったと思っているのだろう。特に必死になって動いてくれていた。
そんな彼に、アレクシスは礼を言うことしかできなかった。
それから、しばらくして。
ようやくアリアンヌは皇帝という責務から解放された。アリアンヌは十五歳になっていた。けれど、その身体は十五歳とは思えないほど小さかった。
皇帝から退くことが決まった頃から、アリアンヌの体調は急激に悪化した。きっと、張り詰めていたものが緩んでしまったのだろう。妹は、もはや気力だけで生きていた。気力だけで、皇帝であろうとした。アレクシスにはそう感じられてならなかった。
そして、アリアンヌが退位してからの、その後は。
アシュフォード伯の好意で、彼の領地にある別荘を用意してもらった。そこへ、アリアンヌと、ヘレネ、デイルとともに移り住むことになった。
馬車での移動も、今のアリアンヌには負担でしかない。けれど皇城という騒がしい場所に、これ以上妹を置いておきたくなかった。それに新たな皇帝を頂くのであれば、自分たちは皇城を去った方がいい。そのことも分かっていた。それでも、もしもアリアンヌが望むのなら、妹がこれまで過ごしてきた皇女宮に残れるよう、手配するつもりではいた。
けれど。
「お外に。……お城の外に、行ってみたかったんです」
妹は、そう告げた。
「静かなところに、お兄様たちと一緒にいたい」
その言葉を聞いて、アレクシスはアシュフォード伯の好意に甘えることにした。
そこで、平穏な日々を過ごす。
穏やかに、静かに、暮らしていけたらいい。
そう、思っていた。
けれど、それが叶わない願いであることを、アレクシスは知っていた。
アリアンヌの身体は、もう弱り切っていて。今では起きている時間のほうが短かった。
起きていても身体のあちこちが痛むのか、辛そうな表情を浮かべている。それでも弱音を吐かなくなってしまった妹が、見ていて痛々しかった。
「何か食べたいものはあるかい?」
そう、尋ねても。
「お兄様が一緒にいてくださるなら、何もいりません」
そう言って、幸せそうに笑うだけだった。
随分前から食欲もなくなっていた。本当なら少しでも食べるよう、言わなければならないことは分かっている。
けれど、もう。
――アリアンヌは、長くない……。
そのことが分かっているから、無理に食べさせることはしなかった。
眠るアリアンヌの頭をそっと撫で、寝室を出る。扉に背を預けるようにして、そのままずるずると座り込んだ。
そのまま俯いていると、静かに自分を呼ぶ声がした。
「……殿下」
顔を上げれば、眉を寄せたデイルが立っていた。
けれど、その呼びかけに答えることはできなかった。デイルは小さく「失礼します」とだけ告げると、自分の隣に腰を下ろす。
アレクシスは再び俯く。そして、小さく肩を震わせることしか、出来ずにいた。
それから、数日後。
よく晴れた、気持ちのいい青空が広がっている日だった。
「お日様に、当たりたいです」
アリアンヌがそう告げた。今まではずっと辛そうな様子だったのに、今日は痛みもないのか、呼吸の音も穏やかだった。
「いいよ。じゃあ、外に行こうか」
そう言って、アリアンヌの身体を抱き上げる。自分が、とデイルが慌てて手を伸ばしたけれど、アレクシスは首を横に振った。
――きっと、今日が最後だから……。
なぜだか、そんな予感がした。
外へ出ると、柔らかな日差しが降り注いでいた。風がそよぎ、花々の香りを運んでくる。心地の良い気候だった。
アリアンヌは目を細めながら、頬を撫でる風や花々の香りを楽しんでいる。やがて、その青い瞳が自分へ向けられた。自分と同じ青い瞳が、どこまでも澄んでいて綺麗だった。
「おにいさま」
ふわりと笑うアリアンヌが、可愛らしい。
たとえ、やせ細ってしまっていても。自分にとってはどんな妹でも、可愛いくて仕方がなかったのだ。
「なんだい、アリア」
笑みを浮かべて問い返す。
すると、さらに幸せそうな表情を浮かべて、アリアンヌが笑う。
「だいすき」
ゆっくりと、微笑みながら告げられる言葉。
幼い頃から、何度となく言ってくれた、可愛らしい言葉。
可愛いアリアンヌ。愛する、自分の妹。
生まれた時から、懸命に守って来たはずだった。それなのに、守れなかった。
この、小さな命を。守ってやることが、できなかった……。
――ああ。
胸の奥が、痛い。
それでも、笑みを浮かべる。
「わたしも、……アリアが、大好きだよ」
そう告げると、アリアンヌはこれ以上幸せなことはないとでもいうような表情で微笑んだ。
そうして。
アリアンヌの青い瞳が、ゆっくりと、静かに閉じていく。
「……おやすみ、アリア。よく、頑張ったね」
その言葉を聞いて、少し離れた場所にいたヘレネが泣き崩れた。
アレクシスはアリアンヌの頬に、自分の頬をそっと寄せる。
まだ、温かい。
けれど、もう、アリアンヌが目を開けることはない。呼吸もしていない。
柔らかな日差しの下で。
――苦しまずに、アリアンヌが逝けた。
そのことだけが、救いだった。




