6. これからずっと一緒
それから、わたしたちはさらにあちこちで遊び続けた。堤防を波打たせたり、電波塔を薙ぎ倒したり、駅前のロータリーを丸ごと踏み潰したり。すれ違いざまに信号機をなぎ払い、遠くの山肌に向かって石ころ代わりの瓦礫を投げ合ったりもした。いつの間にか、町のほとんどが瓦礫に変わっていた。
「そろそろお腹すいたね……」
ふとそんな言葉が口をついて出た。でも、すぐに気づく。今のこの体で、いったい何を食べればいいのだろう。人間サイズの食べ物なんて、もはや米粒よりも小さくて、目にすら入らない。
「紫菜奈ちゃんは、いつもこの大きさで何を食べているの?」
ふと気になって尋ねてみる。でも、紫菜奈ちゃんが答える前に、わたしは彼女の可愛らしい唇を眺めながら何か勝手に頭の中で想像してしまった。浮かんできたのは、海の中でクジラを片手で掬い上げて、咀嚼する彼女の姿だった。生臭い潮の匂いと、大きな口の中に消えていく黒い姿……想像しただけで、ぞわりと鳥肌が立つ。
「それはね――」
「……ううん、やっぱりいいや。聞かなくても。ね、夕日はすごく綺麗だね」
わたしは慌てて質問を撤回した。とりあえず今のままで食べ物の話をするのはやめておこう。
気がつけば、日はだいぶ傾いていた。空はもう茜色を通り越して、燃えるような赤に染まっている。町はほぼ全壊状態と言っていいくらい、あちこちが瓦礫の山になっていた。
思えば、ずっと動き通しだった。まぶたが急に重くなって、意識が少しずつ遠のいていく。
「今日はもう十分遊んだかな……」
そう呟いて、わたしは一瞬だけ目を閉じた。
……のはずだった。
目を開けた瞬間、視界に飛び込んできた光景に、わたしは息を呑んだ。
さっきまで見下ろしていたはずの、あの瓦礫まみれの町の俯瞰。それがどこにもない。代わりに、自分の周りには見慣れた大きさの建物の残骸が広がっていた。
そして、何より……自分の立っている場所が、大きく窪んでいることに気づいた。
その窪みは、靴の形をしている。でもそんな巨大な靴なんてあるはずが……と思って、おそるおそる自分の足元を見下ろすと、履いている靴の裏の模様と、その窪みの模様がぴったりと一致していた。
「わたしが、小さくなって……いや、元に戻った……?」
呆然と、自分が今立っている、自分自身の足跡を見つめる。この足跡ひとつが、今のわたしの何倍もの大きさがある。靴底の溝の一本一本まで、そのままの縮尺で地面に刻まれていた。さっきまで、自分はこんなにも巨大な存在だったのだ。
夕日が低く傾いているせいで、窪みの底に伸びたわたしの影は、実際の背丈よりもずっと長い。足跡の縁にまで届くほど引き伸ばされたその影が、一瞬、さっきまでの巨大な自分の名残のように見えた。
もしあの角度から、今のこの姿の自分を見下ろしていたら……そう想像しただけで、背筋がぞっと冷たくなった。あの巨大な足の下で、蟻みたいな自分が、ほんの少し力を込められただけで跡形もなく踏み潰される。そんな想像が次々と頭をよぎる。
周りに広がる瓦礫を見渡す。人間サイズに戻った今、その一つ一つが、生々しい大きさで目に映る。潰れた車、崩れた家、割れたアスファルト。少し先には、見覚えのある看板の切れ端が転がっていた。誰がこんな酷いことを……? わかっている。その半分近くは、間違いなく自分がやったことだ。
さっきまでは、ただの玩具みたいにしか見えていなかったのに。今こうして人間の目線に戻ってみると、その重みが、じわじわと胸にのしかかってくる。
でも、そんな罪悪感よりも今、もっと気になることがあった。
視線を上げる。さっきまで自分と並ぶくらいの大きさだったはずの存在が、今は圧倒的な質量を持って、わたしを見下ろしていた。
紫菜奈ちゃん。
初めて出会った時と同じ、途方もない大きさに戻っている。隣にいたはずの自分の姿は、もうどこにもない。
『彩莉姉ちゃん、一緒に遊んでくれてありがとう。楽しかったの』
優しい声が、はるか頭上から降ってくる。紫菜奈ちゃんはしゃがみ込んで、最初と同じサイズ差でわたしを見下ろすと、そっと手を伸ばしてわたしを掴み、掌の上に乗せた。
その手が、ゆっくりと持ち上がっていく。
「た、高い……! 怖い……!」
思わずそう口走ってしまう自分に、少し戸惑った。さっきまで、あんなに高い場所から町を見下ろしていたのに。あの時よりずっと低いはずのこの高さが、今はどうしようもなく怖い。本能的な恐怖が、体の芯からせり上がってくる。手のひらの上には支えなんて何もなくて、少しでもバランスを崩したら、そのまま真っ逆さまに落ちてしまいそうだった。
風が頬を撫でていく感触も、さっきまでとはまるで違う。あの時は自分がその風を生み出す側だったのに、今はただ、為すすべもなくその風に晒されているだけだった。
紫菜奈ちゃんの顔の高さまで持ち上げられたところで、わたしは声を張り上げてみた。
「紫菜奈ちゃん、あの、わたし……!」
でも、その声は届かない。あの時と同じだ。視界いっぱいに彼女の顔が広がっているのに、わたしが小さすぎたせいで、声が届きそうにないようだ。
「これからずっと一緒なの」
紫菜奈ちゃんはそう言って、微笑んだ。
その言葉と同時に、わたしを乗せた手が、彼女の顔へとゆっくり近づいていく。
生ぬるい息が、風のように吹きつけてくる。それだけで、体が押し流されそうになるほどの強さだった。甘い匂いに混じって、かすかに潮の匂いがする。
紫菜奈ちゃんの顔が大きく影を落とし、辺りが一段と暗くなった。夕焼けの光が遮られて、日食の最中みたいに世界の色が変わっていく。
目の前に広がるのは、わたしの体を丸ごと収められるくらいの、大きな口。さっきまで可愛らしいと感じていた唇が、今は洞窟の入口に見える。近づくにつれて、その奥の暗闇がどこまでも深く続いているように感じられた。
心臓が、痛いくらい早鐘を打っている。その音だけが、耳の奥でやけに大きく響いていた。
その「ずっと一緒」の意味を、わたしはようやく理解した気がした。次に何が起きるのか、頭の中で勝手に悟ってしまった。
さっきわたしが食べ物のことを聞こうとしたから? そんなことないよね?
もう何も考えたくない。手のひらの上で、わたしはただ小さく丸くなる。逃げ場なんて、どこにもなかった。
わたしは、諦めてただ目を閉じることしかできなかった。瞼の裏に、紫菜奈ちゃんの笑顔だけが焼きついている。
……そこで、意識がふつりと途切れた。
次に感覚が戻ってきた時、わたしは柔らかいベッドの上に横たわっていた。
見慣れた自分の部屋。カーテンの隙間から差し込む、朝の光。壁にかけた時計の秒針の音だけが、やけにはっきりと耳に届く。
「……夢?」
ぼんやりとした頭で、そう呟く。安堵の息が漏れる一方で、紫菜奈ちゃんと出会って、一緒に町で遊んだあの時間が、全部ただの夢だったのかと思うと、なんだか無性に寂しくなった。
でも……。
ブランケットの下で、何か小さなものがもぞもぞと動いている。
恐る恐る、ブランケットをめくってみる。
そこにいたのは、身長70センチくらいの、小さな女の子だった。長いツインテール、紫色の着物。見間違えるはずがない。
規則正しい寝息を立てながら、すやすやと眠っている。長いまつ毛も、ふっくらとした頬も、記憶にあるままの愛らしさだった。ただ、今は自分の腕の中にすっぽり収まってしまうくらい、小さい。
紫菜奈ちゃんだ。
「え、小さくなっても『しなな』(身長70センチ)ちゃんなんだ……」
場違いなツッコミが、口をついて出てしまう。同じ縮尺のはずのわたしより小さくなった紫菜奈ちゃんは、サイズにして半分くらい。それなのに、可愛さは百倍に感じられた。
紫菜奈ちゃんが、むにゃむにゃと身じろぎして目を覚ます。そして、寝惚けたまま、わたしの頬にちゅっと口づけした。
その小さな唇の感触に、ふと、あの光景が脳裏によぎる。さっき、わたしを丸ごと飲み込もうとした、あの大きな口。同じものだと思うと、ぞくりと怖気づいた。
でも、紫菜奈ちゃんの顔は、あの時と変わらず、あどけない笑みをたたえている。夢だったのか、現実だったのか。それとも、その境界線自体が、最初から曖昧だったのか。
「おはよう、彩莉姉ちゃん」
目が覚めた紫菜奈ちゃんは、いつもと変わらない、屈託のない笑顔でそう言った。
わたしは、その笑顔に応えるように、なんとか笑い返してみせた。
窓の外では、いつもと変わらないような朝が始まろうとしていた。
短い物語ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。




