11話
アノは、紅から少し離れた場所に投げ出されたまま、必死に視線を動かしていた。
倒れ伏す紅。そのすぐ傍に立つ、柊副隊長たちの姿。
剣を振り上げ、今まさに紅にとどめを刺そうとする柏木。
――殺される。
紅が、殺されてしまう。
「……やだ……」
声にならないほど掠れた声が、喉から零れ落ちる。
「やだ……そんなの、やだ……!」
胸が焼けるように痛み、頭の奥で何かが軋む。
恐怖でも、怒りでもない。ただひとつ――失いたくないという感情だけが、アノの内側で膨れ上がっていく。
「お願い……お願いだから……!」
震える声で、アノは地面に爪を立てた。
「今だけ……今だけでいい……!」
涙が溢れ、視界が滲む。
「……化け物でもいい……助けたいの……!」
喉が裂けるほどの叫び。
「なってよ!!」
その瞬間、アノの身体に異変が走った。
骨が軋み、皮膚が裂け、内側から何かが押し出される。
人の形が崩れ、毛が生え、顎が伸び――
狐の姿へと、変貌を始める。
「――っ!」
異変に気づいた名倉が即座に反応し、雷のように尖った魔力を放つ。
だが、一歩遅い。
狐の姿となったアノは、その場から消えた。
次の瞬間――
柏木が紅に突き立てようとした刀の軌道上に、巨大な影が割り込む。
鋭い爪が閃き、柏木の刀を握る腕が切断される。
「ぐぁああっ!!」
同時に、しなやかに振るわれた尻尾が、柊副隊長と柏木をまとめて吹き飛ばした。
「――グルルルルル……」
低く、地を震わせるような唸り声。
狐は紅の前に立ち、全身で威嚇する。
吹き飛ばされた柊副隊長は、地面に手をつき、辛うじて受け身を取る。
柏木も、残った片腕で地面を叩き、体勢を立て直した。
「……変身して、守っただと……?」
柊副隊長は狐を睨みつける。
「それに……一瞬で懐に入られた……」
柏木を一瞥し、
「相当にヤバいな。柏木、大丈夫か?」
「……片腕だけで済んで良かったです」
歯を食いしばりながら柏木は答える。
「まさか……守りに来るとは……」
そこへ名倉が駆け寄り、即座に柏木の切断面に手を当てる。
「……すみません。一歩遅れました」
淡く光が走り、傷口が塞がれ、血が止まる。
柊副隊長は一瞬だけ目を閉じ、決断した。
「……お前達、少し時間を稼げ」
二人を見る。
「私は武装のリミッターを解放する。この狐は、ここで仕留める」
「……了解です」
「副隊長、任せてください」
柏木は懐から無数の針を取り出し、名倉は雷を身に纏う。
同時に柊は背中の剣を地面に突き立て、封印札を剥がす。
自らの掌を切り、血を垂らし、地面に魔法陣を描き始めた。
狐は、放たれた針を風圧で弾き、名倉が迫るのを視界の端で捉える。
「柏木に気を取られすぎよ――貰った!」
雷を纏った槍が、狐の身体を貫いた。
血が飛び散る。
――だが、次の瞬間。
刺さったはずの狐は、白く霞み、消え失せた。
「……!?」
狐は、紅を口にくわえ、離れた場所に現れていた。
「確かに……刺した感触が……」
「……一瞬で、あそこに……?」
狐は紅を降ろすと、再び一瞬で背後へ回り込む。
爪が振り下ろされ――
――ガキン。
真っ赤に染まった剣が、それを防いだ。
「副隊長!」
「……すみません!」
柊副隊長は二人を睨み、
「下がれ!!」
叫ぶ。
「リミッターは外した。焼け死にたくなければ、離れろ!!」
二人は即座に撤退する。
「……さて」
柊は剣を構え、口角を上げる。
「ここからが本番だ」
剣は灼熱を帯び、狐の爪を焦がす。
振るわれた剣から放たれる風圧は、炎を纏い、森を焼きながら迫る。
避けた先の木々は、一瞬で炭と化し崩れ落ちた。
「いつまで避けられるかな?」
柊は紅の方へ剣を向ける。
「――あの女はいま、無防備だよ」
狐は瞬時に紅の元へ戻るが、炎の風圧が直撃する。
燃え上がる身体。
黒く炭化し、地面へ崩れ落ちる狐。
「……消し炭、か」
柊は息を整える。
「隊長には……死体を回収できなかったと――」
その瞬間。
――ザクッ。
腹部を、硬化した尻尾が貫いた。
「……ご、ぶふ……?」
柊は口から血を吐き、振り返る。
「……なぜ……生き……」
狐は尻尾を引き抜き、紅を口にくわえ、森を離れていく。
柊は倒れ込み、辛うじて意識を保ったまま、それを見送った。
――狐は無傷ではない。
赤く爛れた身体を引きずるように進み、橋の中央で突如、人の姿へ戻る。
体勢を崩し――
紅と共に、崖下の川へと落下した。
「……あれでは……助からない……」
柊はそう呟き、意識を失った。
――――――
川下。
流される二人を見つけ、誰かが叫ぶ。
「父ちゃん!人が流れてる!助けた方がいい!?」
次の瞬間、男性が川に飛び込み、二人を抱え合図を送る。
すると、叫んだ人物の背から白い羽が四枚展開し、宙を舞い、次々と陸へ運び上げる。
「……急げ」
男性はアノを見て眉をひそめる。
「この女は……魔物の匂いが濃い」
「厳重に拘束して手当てだ」
「分かったよ、父ちゃん」
そうして――
紅とアノは、意識のないまま、新たな運命の中へと連れ去られていくののだった。




