4 今、本当に祈りたい人以外は絶対に見ないでください
満ち溢れる神力のおかげで、ほとんど瞬間移動のような素早さでラスティーヤは自分の神殿に戻った。
「あ、ラスティーヤ様!」
玄関先でウロウロしていた妖精が、ラスティーヤを指さして叫ぶ。ラスティーヤは半ば呆然としながら頷いた。
「ラスティーヤ様、どちらへ行っていたのですか? とうとうやけを起こして街を燃やしにでも言ったんじゃないかってみんな心配してますよ」
「……心配の仕方が失礼じゃないかしら」
腰の高さまでしか身長のない妖精たちが、わらわらと駆け寄ってくる。何となく愛おしくなって、ラスティーヤは妖精たちの頭を順に撫でてやった。
「ところでラスティーヤ様、その神力は……」
妖精がラスティーヤを見上げて、恐る恐る問う。ラスティーヤは目を逸らし、「色々あってね」と言葉を濁した。
妖精たちは一斉に息を飲み、顔を見合わせる。
「不正だ!」
「犯罪……!」
「いかがわしい!」
「強奪ですか!?」
「失礼よっ!」
ラスティーヤは拳を握って叫んだ。
「いたのよ、私のことをとんでもなく信仰してくれてる人……いや、人……じゃ、ないけど……」
「人以外に神に祈りを捧げる第一界知的生命体の存在は未だ確認されておりませぬ。本当のことをお話し下さいませ」
「…………。」
ラスティーヤは黙り込んだ。
「……元人間の神様が、ラスティーヤ様のことをめちゃくちゃ大好き!?」
妖精が腰を抜かす。ラスティーヤは引きつった顔で頷いた。
「ありえません……っ!」
「それ、どこに対してかしら?」
「全てですね」
妖精たちに囲まれながら、ラスティーヤは唇を尖らせた。妖精たちは口々に騒ぎ立てる。
「たとえ前世が人間でも、神になった時点で信仰の能力は失われるはずです。どうしてそんなことが……」
妖精の一羽は口元に手を当て、懸念を隠さずに不安げな顔をした。ラスティーヤは大きく頷く。そうだ、神が他の神を慕うことで信仰を得ることが出来るんなら、神なんて二柱いれば永久機関である。
「……それに、ラスティーヤ様がそれほどまでに慕われるだなんて、信じられません!」
「ちょっと、聞き捨てならないわね」
失礼な発言をした妖精の額を指先で弾いて、ラスティーヤは頬杖をつきながら嘆息した。ずり落ちたサングラスを指先で戻す。
「――ところでラスティーヤ様、そのサングラスはどちらから?」
妖精の指摘に、ラスティーヤははっと息を呑んだ。顔に手をやると、確かにサングラスが乗っている。
「か……」
「か?」
「返し忘れたわ!」
何ということだ。まさかのサングラス借りパクである。
「返して来なきゃ……」
ラスティーヤはサングラスを外して青ざめた。
***
神界、大神のおわす主神殿へ向かったラスティーヤは、名を呼ばれて聖堂へ向かった。広々とした聖堂の奥には、御簾がかけられており、ラスティーヤはその前に跪いた。
一言二言、定型的な挨拶を交わすと、傍に控えていた神が、大神に書類を手渡す。ラスティーヤが提出した書類である。それを見て、御簾の向こうにいる大神は「ふむ」と唸った。
「……神からの信仰、とな」
「はい」
おずおずと頷くと、大神は首を捻る。
「して、どの神からの信仰じゃ?」
「……ネゥイールという名の、若い男神です」
ラスティーヤがそう答えた途端、大神は大きく驚いたような仕草を見せた。
「そうか、とうとう……」
「あああ、あの、ネゥイールには言わないでください」
ラスティーヤは両手を動かして必死に訴える。大神は不思議そうに首を傾げたが、ややあって「まあよい」と頷いた。
「その件に関しては調査させておこうかの」
大神はのんびりと言い、それから手を打ち合わせる。それが合図だった。
ラスティーヤは胸の前で指を組む。ふわりと体が光る。体の中から神力が滑らかに抜け、大神のかざす手に絡みついた。
「これほど純度の高い信仰は久しぶりじゃ」
その通り、とラスティーヤは内心で頷く。ネゥイールから捧げられる信仰は、やけに輝かしく澄み切っているのだ。……何だか面映ゆいほどに。
「……うむ」
大神は頷く。ノルマ分の信仰を大神に捧げると、ラスティーヤは床に手をついて立ち上がった。
***
数日後、ラスティーヤはマスクとサングラスで顔を隠し、ネゥイールの神殿へと向かった。借りパクしてしまったサングラスをこっそり返却するためである。
新年参りが終わったというのに、神殿にはぱらぱらと参拝客の姿が見える。一体どんな手を使えばこんなに信徒が増えるんだ、とラスティーヤは暗澹たる気持ちで神殿の入口まで歩いた。
神殿には入らず、入口の脇に持ってきてしまったサングラスをそっと置こうと身を屈めた瞬間だった。
「あ! シェンナフォルタ様!」
「!?」
明るい声と共に、ぱたぱたと羽音が近づく。
「この間はご無礼、ごめんなさい」
見覚えのある高位妖精が、目の前に着地した。ラスティーヤはぎょっとして及び腰になる。
「ネゥイール様にご用ですか?」
「いーえ! 全く!」
「そうですか! こちらへどうぞ!」
「あなた話聞いてる!?」
手を引っ張られ、自分より体の小さな妖精を無理に振り払うことも憚られて、ラスティーヤはよたよたと妖精についていった。
聖堂奥の机についていたネゥイールに、ラスティーヤは苦し紛れに告げた。
「……私は用はないと言ったのよ」
「……遠方からどうも」
さして歓迎する様子も見せず、ネゥイールはくるりと椅子を回して立ち上がる。サングラスとマスクで顔を隠しているのに、すぐ気付いたらしい。
ネゥイールはポケットに手を突っ込んだまま、ラスティーヤの元まで歩いてくる。
「何とか一命を取り留めましたか。ノルマ達成できたんですね」
「……え、ええ。そうよ」
ラスティーヤは白々しく頷くと、持っていたサングラスを差し出した。
「これ、返しに来ただけだから」
「わざわざ返しに来てくれたんですか。元々どなたかの忘れ物ですから、構わなかったのに」
ネゥイールは意外そうな顔でサングラスを受け取る。ラスティーヤはマスクをくいっと直すと、顔を隠した。
「じゃあ、帰るわね」
「あ、待ってください」
そそくさと踵を返そうとしたラスティーヤを呼び止め、ネゥイールは何やら机に戻って引き出しから本を取り出す。
「これ、読んでみてください」
「なぁに、これ」
「俺が見習い期間に使っていた教書です。深くは知りませんが……シェンナフォルタさんは、どうも昔のカリキュラムの頃の神みたいなので。結構新しい情報も載っていて、読む価値はあると思います。返却する必要はありませんから」
……ラスティーヤは、カリキュラムとかそんなものもなかった時期の神である。だがそれを自分から言うのも嫌だったので、とりあえず受け取っておく。
「ありがとう……」
そこはかとない敗北感を覚えながらも、素直にありがたがって貰う。
暇乞いを告げて、ラスティーヤはそのまま自分の神殿へと戻った。この教書を参考に、来年の新年参りは何とか切り抜けてみせる、と思いながら。
***
「お願いします! もう3ヶ月も雨が降っていません! 俺に出来ることなら何でもします、……このままじゃ、弟も妹もみんな死んじまう!」
地面に頭を擦り付けるようにして、その少年は声を限りに叫んだ。その姿は砂にまみれ、飢えと渇きに苦しみ疲れた体は酷く痩せ細っていた。
何とかしてやりたい、と切実に思ったが、この乾燥した空気から雨雲を作るには、ラスティーヤはあまりに力不足だった。
神殿から出ることも叶わない、人間に姿を見せることも、声を届けることも出来ないラスティーヤが少年に意志を届ける方法は、夢の中での神託しかなかった。
「神殿まで来なさい」と、酷なことを言っているのは分かっていた。弱った体に鞭打って、遠い神殿まで来させるなんて、と思った。
それでもその少年は来たのだ。月が一巡りする頃、ラスティーヤの待つ神殿に少年は現れた。
「……俺は、神様に捧げられるものを何も持っていません。あるのはただこの心ひとつのみです」
少年は聖堂の床に跪いて、項垂れたままそう告げる。
どうせ見えやしない、分かり切っていたのに、ラスティーヤはその少年の前に足を踏み出していた。
「その心こそが、私にとっての何よりの宝だわ」
届くはずのない声を震わせ、ラスティーヤは囁いた。
少年はラスティーヤの言う通り、三日三晩、ひたすらに祈りを捧げ続けた。そうして得た信仰を神力へと変換し、ラスティーヤは雨雲を少年の故郷へと作り出す。
別の民からの供物をこの少年に与えても、罰は当たるまい。妖精に指示して少年に道中の食料を持たせ、ラスティーヤは少年が帰路につくのを見守った。
ラスティーヤの手によって作られた雨雲は、あるとき、一線が切れたように雨を落とし始める。少年がそれを見上げて顔を輝かせ、家族と抱き合って喜ぶのを、ラスティーヤは水晶越しに眺めていた。
――少年は、青年になるより少し前に死んだ。
雨が潤した地面から作物が穫れ、少しばかり豊かになった故郷から、少年がラスティーヤの神殿へと向かう途中のことだった。ラスティーヤへ捧げようとした少しばかりの食料を狙われ、少年はそれを必死に守ろうとして、頭を強く殴打された。
「神様、俺、」
遠のきかける意識の中、少年は神殿まで辿り着いた。倒れ込むように祭壇に縋り、少年は息も絶え絶え囁く。
「あなたのお陰で、俺は、」
もはや現実と幻の区別もつかない、夢の中を泳いでいるようだった。ラスティーヤは少しの躊躇いもなく少年の前に進み出た。
「俺は、あなたに恥じることの無い人間として、生きることが出来ました」
雨乞いに応えるしか出来ぬ己の手をどれほど呪ったことか。祭壇にかけていた指から力が抜け、少年はラスティーヤの足元にに倒れ伏す。
「私は、ラスティーヤ」
どうせ何も届かない。神と人間の間には、どうしようもない隔たりがあった。諦念を滲ませた表情で、ラスティーヤは少年を見下ろした。
「……あなたの名は、」
ラスティーヤは囁く。夢とも知れぬ場所へ旅立とうとする少年は、目を閉じたままで答えた。
「――――ネゥイール」
最期の息で自らの名を押し出すと、ネゥイールは音もなく息絶えた。
***
ネゥイールに貰った教書を読んではみるが、正直言ってよく分からない。妖精を呼び寄せて聞いてみたが、「神のお仕事に関しては管轄外でございます」と答えられてそれっきりだった。
「…………うーん」
ラスティーヤは足を組み、顎に手を当てる。この解決法が分からない訳ではなかった。
「それ、お隣の神様に頂いたものなんでしたっけ?」
妖精が背伸びをして、ラスティーヤの手元を覗き込む。ラスティーヤは平然と「そうよ」と頷き、ため息をついた。
「聞きに行けば良いんじゃないですか?」
「それを考えなかった訳じゃないわよ。でも私が神殿を離れたら、ほら」
「良いですよ、どうせ暇ですし。日没までには帰ってきて下さいね」
優しい言葉のようだが、ただの戦力外通告である。ラスティーヤはむすっと唇を引き結んだ。
「私がラスティーヤだとバレるのも嫌だし、いざあの子がラスティーヤに会いに来たときに私がいたら可哀想でしょ。早く忘れてもらわないと」
「んなこと言ってる場合ですか?」
妖精の冷静な突っ込みに、ラスティーヤは思わず「うぐ」とたじろぐ。
「来年までに、隣の神殿がどのようにして信仰を獲得しているのかを学んできて下さいませ! このままじゃ、来年もまた信徒21人ですよ!」
「や、やめて頂戴!」
悪夢が蘇り、ラスティーヤは頭を抱えた。あんな思いはもうしたくない。絶対に消えたくない。
「それなら、分からないところだけ聞いてくれば良いのではないでしょうか」
年配の妖精が後ろから飛んできて、にこりと微笑む。
「滞在はほんの少しだけで済みますゆえ、さほど心配せずともよろしいかと」
「…………。」
あからさまな妥協案に、ラスティーヤは腕組みをして黙り込んだ。正直、教書だけ与えられてもこれを理解出来る気が、一切していなかったのだ。誰かに教えを乞う必要があるのは分かり切っていた。
「……そうね、分からないところを……訊く、だけ」
実は何から何まで分かっていない、ということを、ラスティーヤは見栄を張って妖精に言っていない。
「行ってくる、わ……」
マスクをつけ、サングラスをかけると、帽子を深々と被る。妖精に「わー、誰だかちっとも分かりません!」と棒読みの太鼓判を押され、ラスティーヤはネゥイールの神殿へと向かった。
「分からないところがある?」
「……そうなの」
ネゥイールはラスティーヤとは違って多忙らしい。そろそろ分かりやすく面倒そうな対応をされ、何だか心が折れそうだ。
「そういうのは、まずネットで調べて下さいよ」
「ね、ねっと……?」
片言で返したラスティーヤを、ネゥイールは信じ難いものを見るような目で見た。
「God-ネットを……知ら……ない……!?」
「……?」
ラスティーヤが首を傾げると、ネゥイールは机に突っ伏してため息をつく。何が何だか分からないが、呆れられている気配だけは察していた。
「神Phoneは持ってますか?」
「なぁに、それ」
「……神Padは?」
「…………知らないって言ったら、呆れられるのかしら?」
指先をいじいじと突き合わせながら、ラスティーヤは照れ笑いを浮かべる。ネゥイールは額に手を当てて、沈痛な面持ちで頷いた。
***
「ネゥイール、これでいいの?」
「貸してください。……ああ、ここが少し違いますね。でもよく出来てます」
ラスティーヤが書いた練習問題の答案を見て、ネゥイールは満足げに頷いた。ラスティーヤがぱっと顔を輝かせると、ネゥイールはふいと目を逸らす。
最近、週に一度という高頻度で、ラスティーヤはネゥイールの神殿に通いつめていた。初めこそ、それはもう心底面倒そうにしていたネゥイールだったが、ラスティーヤがある提案をして以来、態度は相当に軟化していた。
ネゥイールは、僅かに頬を赤らめながら、小さな声で呟く。
「シェンナフォルタさん、その……ラスティーヤ様は、どんな調子ですか?」
「ん? そうねぇ……げ、元気そうよ。この間は供物で貰ったお酒に大喜びしていたわ」
――そう、ラスティーヤはラスティーヤと知り合いということになっているのである。
(何を言っているのか訳が分からないわ)
ラスティーヤは心の中でぼやいたが、ネゥイールにそれを気取られないように、表情だけは装っておく。
「なるほど、ラスティーヤ様はお酒がお好きなんですね?」
とうとうメモまで取り始めたネゥイールに、内心ドン引きしてしまう。ラスティーヤは動揺を隠しながら「そうみたいね」と白々しく頷いた。
「どのようなお酒が好みなのかご存じですか? 果実酒とか、穀物酒とか……」
ちょっと突っ込みすぎな気もする質問だが、答えられてしまうのがまた問題である。
「そうね、やっぱり辛めの穀物酒よね。…………っと、聞いたことがあるわ」
すんでのところで誤魔化し、ラスティーヤはごほんと咳をした。
さっさと縁を切らねば、と思いながらも、ラスティーヤはネゥイールの神殿を訪問するのをやめられないでいる。
(何とか神殿の経営を立て直せるようになるまでの辛抱だわ)
ラスティーヤは心の中で唱えて、ラスティーヤへの憧憬を語るネゥイールから目を逸らした。
ぽん、と胸の中で、温かな信仰が満ちるのを感じながら。
あけましておめでとうございます( ¨̮ )