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深紅の竜血  作者: 江渡由太郎
第六章 終わりの地
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11

 ――天が裂けた。


 光ではなく、記憶の断層が割れたかのように。

 その裂け目からあふれ出したのは、神々が封じたはずの“第一の言葉”。

 音にも形にもならぬその力が、空間そのものを再構築していく。


 世界の重力が反転した。

 崩壊した聖都の瓦礫が、まるで逆流する滝のように空へ舞い上がる。

 そしてその中心――竜神がいた。


 黒と紅の翼を広げ、巨体を天に伸ばす。

 鱗は血のように流れ、紅蓮の光脈が網のように体を走る。

 その巨躯を取り巻く空間は、もはや“空”ではなかった。

 無限に連なる環、回転する魔法陣、そして流れる無数の記憶。


 竜神はゆっくりとその瞳を開く。

 瞳の奥に、二つの意識が並んでいた。

 一つはセラフィーナ、もう一つは黒衣の魔女。

 そしてその狭間に、竜の本能が燃えている。


「……ここは……どこ……?」

「神々が残した、原初の門。私たちが……還るべき場所よ」


 巫女と魔女の声が重なる。

 ひとつの身体の中で、二つの魂が同時に語るたび、世界の層が震える。


 その下方、焦土を踏み越えながら進む影があった。

 ――マーク・オーウェン。

 彼の足元に展開する魔法陣は、古代の呪文を刻みながら燃えている。

 辿り着いたのは、黒い尖塔の根。

 “呪詛の塔”――神の門へ通じる唯一の道。


 塔はまるで、巨神の骨を積み上げたかのように静まり返っていた。

 だが、その壁一面に刻まれた光文字が、彼の接近とともに点灯していく。


「我が名はマーク・オーウェン……この地の最後の証人だ」


 彼の声が反響した。

 それに応じるように、塔の中心部が音を立てて割れる。

 中から現れたのは、白銀の祭壇――そして、その前に立つひとりの男。


 その姿を見た瞬間、マークの胸が締めつけられた。

 顔、仕草、声。

 忘れるはずのない人影。


「……師よ……あなたは……!」


 祭壇の前に立っていたのは、彼のかつての師、ルシエル=クロウだった。

 古代魔導士、禁忌の叡智を継ぐ者。

 だが、その瞳はもはや人の色をしていなかった。


「久しいな、マーク。だが今さら“弟子”を名乗るな。

 我らはもう、同じ“贖罪者”だ」


 ルシエルの声は穏やかだったが、その背に広がる影は異形だった。

 黒い羽根が生え、足元から血のような霧が流れ出ている。

 それは、神々の呪いを自らに刻んだ証――堕天の印。


「なぜ……あなたがここに……!」

「答えは簡単だ。私は“門”を守るために残された最後の鍵。

 神々は滅んだが、契約はまだ息づいている。

 そして……それを開く資格を持つ者が、今まさに天に立っている」


 ルシエルは、天を指差した。

 そこには、竜神がいた。

 紅と黒の光の渦の中、セラフィーナの意識がかすかに浮かび上がる。


「彼女は神と人との最初の媒介者。

 “契約の巫女”にして、“焔の贄”だ。

 黒衣の魔女は、その力を完全に統合させるための“器”だった」


「……すべて、計画されていたというのか」


 マークの声はかすれていた。

 信じてきた歴史が、次々と崩壊していく。

 だが、その中で彼は一つの確信を得る。


「……ならば、私はこの終焉を見届ける。

 神々が選んだ結末ではなく――人間としての意思で」


 その言葉に、ルシエルの瞳がわずかに揺れた。


「……マーク。お前は、かつて“竜血の継承者”として選ばれた。

 だがそれは、破壊のためではない。

 “門”を開く者は、同時にそれを閉じる者でもある。

 お前が望むなら――この世界を、再び終わらせることもできる」


 マークは目を閉じ、深く息を吸った。

 そして杖を握り、祭壇の前に跪く。


「ならば、その責を負おう。

 私の血が、“神の門”を閉ざす鍵となるならば――」


 彼の掌に紋章が浮かび上がる。

 ファル=イグナの印が灼熱の光を放ち、祭壇を照らす。

 その瞬間、塔の上空で竜神が咆哮した。


 天と地を貫く紅の光が、塔の中心を撃ち抜く。

 マークとルシエルの足元に巨大な魔方陣が展開し、世界が震える。


 ――“神の門”が開かれる。


 空間が反転し、万象が白光に飲み込まれた。

 人の記憶も、神の言葉も、炎の残滓もすべてが融け合い、一つの光に還っていく。


 そして――


 その白光の中に、セラフィーナの声が響いた。


『……マーク。あなたは人のままでいて。

 世界を、私たちの願いで繋いで……』


 彼は微笑んだ。

 涙が、赤い光に照らされて流れ落ちた。


「――約束しよう。炎の果てで、また会おう」


 白光が爆ぜ、世界が沈黙した。

 竜神の翼が散り、黒衣の魔女の影が溶け、炎の巫女の魂が天へと昇っていく。

 その中心に、ひとつの門が残った。


 “ゲート・オブ・エデン”――神の黄昏と、人の夜明けを隔てる門。


 マーク・オーウェンは、静かにその扉へと歩み出した。

 背後には崩壊した世界。

 だが、その前には――未だ見ぬ創世の光があった。


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