第1話 世界が壊れた日
第1話 世界が壊れた日
プロローグ 世界を裂く亀裂
その日、世界は静かに壊れ始めた。
誰も、その瞬間を「終わりの始まり」だとは思っていなかった。
神楽市の夕空は、茜色に染まっていた。
仕事を終え、駅へ向かう会社員。
買い物袋を提げた主婦。
部活動を終え、自転車を押して歩く高校生。
公園で遊ぶ子どもたち。
車道を流れていく車の列。
誰もが、いつもと変わらない一日の終わりを迎えようとしていた。
だから最初に空を見上げた人間も、それが何なのか理解できなかった。
「……なんだ、あれ?」
誰かが呟いた。
空に――線があった。
最初は、細い黒線にしか見えなかった。
飛行機雲でもない。
雲でもない。
鳥でもない。
夕焼け空そのものに、一本の傷が刻まれている。
その傷が――広がった。
バキッ。
音がした。
本当に音がしたのか。
それとも、その光景を目にした人々の脳が、そう錯覚しただけなのか。
誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは――空間そのものが、ガラスのようにひび割れたということだった。
「え……?」
道行く人々が足を止める。
一人。
二人。
十人。
百人。
街中の人間が、次々と空を見上げていく。
亀裂は止まらない。
黒い線が枝分かれし、茜色の空を侵食していく。
まるで――空の向こう側に何かがいて、こちらへ出てこようとしているかのように。
次の瞬間。
亀裂の奥から、黒い霧が溢れ出した。
「……煙?」
「火事?」
「いや、空から……?」
黒い霧は重力を無視するように蠢きながら、ゆっくりと地上へ降りてくる。
それでも、誰も逃げなかった。
まだ、この時点では。
珍しい自然現象。
何かの事故。
あるいは、現実とは思えないほど奇妙な光景。
人々は、自分たちの常識の中に答えを探そうとしていた。
スマートフォンが一斉に空へ向けられる。
撮影。
配信。
投稿。
異常な光景は瞬く間に拡散されていった。
そして――
黒い霧の一部が、道路へ落ちた。
ぶくり。
霧が膨らむ。
「……?」
誰かがスマートフォンを向けたまま、一歩近づく。
形を持たないはずの黒い塊の中から――骨のようなものが伸びた。
「……は?」
肉が生まれる。
骨が組み上がる。
四肢が形成される。
硬く荒れた皮膚が、その全身を覆っていく。
やがてそこに、一体の異形が立っていた。
人間に似ている。
だが、人間ではない。
痩せた身体。
異様に長い腕。
灰黒色の皮膚。
横へ大きく張り出した尖った耳。
そして――赤く光る瞳。
裂けた口がゆっくりと開く。
そこには、不揃いな牙が並んでいた。
「グ……」
喉の奥から、獣とも人間ともつかない音が漏れる。
「グギャアアアアアアアッ!!」
悲鳴が上がった。
今度は――人間の。
「逃げろ!!」
「なんだあれ!?」
「警察! 警察呼んで!!」
「こっち来るぞ!!」
日常が崩壊した。
人々が一斉に走り出す。
車が急発進し、別の車へ衝突する。
自転車が倒れる。
買い物袋が道路へ落ち、中身が散らばる。
泣き叫ぶ子ども。
その手を引いて走る母親。
携帯電話を握ったまま立ち尽くす老人。
道路の中央で、灰黒色の怪物が人間へ飛びかかった。
さらに黒い霧が降り注ぐ。
一体。
二体。
三体。
街の至るところで、異形の怪物が次々と形を成していく。
そして。
それは神楽市だけではなかった。
東京。
大阪。
北海道。
九州。
海を越え――世界各地。
同じ時刻。
同じ空の亀裂。
同じ黒い霧。
そして、同じ異形の存在。
世界はその瞬間から、昨日までの世界ではなくなった。
◇◇◇
テレビ局では、予定されていた番組がすべて中断されていた。
『緊急速報です』
アナウンサーの声が、わずかに震えている。
『現在、神楽市上空で確認された巨大な空間異常について、同様の現象が全国各地で発生しているとの情報が入っています』
画面が切り替わる。
ヘリコプターから撮影された神楽市。
道路に放置された車。
立ち上る黒煙。
逃げ惑う人々。
そして、その向こう。
ビル群の上空に広がる、巨大な亀裂。
『警察および消防は住民に避難を呼びかけています。また――』
突然、映像が乱れた。
ノイズ。
悲鳴。
中継カメラの端を、何か巨大な影が横切る。
『い、今の映像は……』
アナウンサーが言葉を失った。
世界中が、その光景を見ていた。
だが――誰もまだ知らない。
あの亀裂が何なのか。
黒い霧が何なのか。
怪物たちはどこから来たのか。
何のために現れたのか。
そして。
これが、いつまで続くのか。
答えを知る者は、まだ誰もいなかった。
◇◇◇
第一章 何も知らない少年
その頃。
世界がそんなことになっているとも知らず――
幸村蒼真は。
「うわっ……」
盛大に埃を吸い込んでいた。
「げほっ、げほっ……! なんだよここ……埃ヤバすぎだろ……」
幸村家の敷地の奥に建つ、古い土蔵。
家族ですら、普段はほとんど足を踏み入れない場所だった。
小窓から差し込む夕日の中を、無数の埃が漂っている。
床には古い木箱。
巻物。
年代不明の陶器。
使い道の分からない農具。
そして、意味不明な置物。
「じいちゃん、こんなの全部取ってたのかよ……」
蒼真は呆れながら、古びた木箱を持ち上げた。
十六歳。
神楽高校二年生。
黒い短髪に、青い瞳。
どこにでもいる、ごく普通の高校生。
――少なくとも、本人はそう思っている。
今日は母親に頼まれ、この蔵の片づけをしていた。
正確には、
『使ってないもの、少し整理しておいてね』
と言われただけなのだが。
「これ、一日で終わる量じゃないって……」
気づけば完全に掃除係である。
ぶつぶつ文句を言いながら、さらに奥へ進む。
その時だった。
「……ん?」
ふと、足が止まる。
蔵の最奥。
積み上げられた大きな木箱の向こうに、何かがある。
蒼真は目を細めた。
そして――昔の記憶が蘇る。
まだ幼かった頃。
祖父と一緒に、この蔵へ来たことがあった。
いつも豪快に笑っていた祖父。
だが、この蔵の奥についてだけは違った。
『蒼真』
低い声だった。
『奥には行くな』
『なんで?』
『いいからだ』
そして、もう一つ。
『――あれには触れるな』
「……」
蒼真は無意識に足を止めていた。
普通なら。
ここで引き返すべきなのだろう。
祖父がわざわざ触れるなと言ったのだ。
何か理由があるに決まっている。
危険なものかもしれない。
それくらいは蒼真にも分かる。
「……まあ」
数秒考えて。
「今、じいちゃんいないしな」
好奇心が勝った。
大きな木箱へ手をかける。
「重っ……!」
どうにか横へずらす。
その下から、黒い布をかぶった細長い箱が現れた。
「……何これ」
布を引く。
ずるり。
埃をまとった布が床へ落ちる。
現れたのは、古びた長箱だった。
黒い木。
ところどころ錆びた金具。
表面には、蒼真には読めない文様が刻まれている。
「明らかに触るなって言われてたやつじゃん……」
そう口にしながら。
手は、すでに伸びていた。
指先が蓋へ触れる。
「……冷たっ」
室温とは明らかに違う。
氷に触れたような冷気が、指先から腕へ走った。
反射的に手を引く。
頭の中で、祖父の声が蘇る。
『あれには触れるな』
「……」
やめる。
そう思った。
なのに。
なぜか、そのまま帰るという選択肢がひどく不自然に思えた。
開けなければならない。
理由もなく、そんな衝動が湧き上がる。
「……いやいや」
蒼真は眉をひそめた。
「なんで俺、開ける前提になってんの?」
自分でもおかしい。
それなのに――手が止まらない。
蓋へ指をかける。
「……これだけのことをする価値はあってほしいものだ」
半ば諦めたように呟いて。
蓋を持ち上げた。
ギィィィ……。
長い年月、閉ざされていた箱が開いていく。
その中にあったのは――
一振りの日本刀だった。
「……刀?」
黒い鞘。
黒い柄巻。
円形の黒い鍔。
装飾らしい装飾は、ほとんどない。
むしろ異様なほど簡素だった。
それなのに。
蒼真は、目を離せなかった。
――美しい。
そう思った。
古いはずなのに、朽ちていない。
まるで。
今日まで、誰かを待っていたかのように。
蒼真は刀へ手を伸ばした。
そして。
触れた瞬間――
世界が、跳ねた。
「うわっ――!」
青白い光が爆発した。
「うわあっ!?」
電流。
そう感じた。
衝撃が腕から全身へ駆け抜け、蒼真の身体が大きく反る。
視界が白く染まった。
脳の奥を、何かが駆け抜ける。
知らない景色。
知らない空。
知らない誰か。
剣。
血。
炎。
光。
それらは意味を結ぶより早く、瞬く間に消えていった。
「はぁ……はぁ……」
蒼真は荒い息を吐く。
「……なにが?」
恐る恐る刀を見る。
何も起きない。
青い光も消えている。
蔵は、先ほどまでと同じように静まり返っていた。
「……気のせい?」
その時。
背後で――
ミシッ。
壁が鳴った。
「……ん?」
振り向く。
蔵の壁が。
ゆっくりと――膨らんでいた。
「……へ?」
次の瞬間。
壁が爆発した。
◇◇◇
第二章 自動戦闘
「うわあああああああああああ!?」
轟音。
衝撃。
壁が内側へ吹き飛んだ。
木材。
土壁。
瓦礫。
大量の埃。
蒼真は床へ転がる。
「げほっ……な、何!?」
崩れた壁の向こうに、夕焼けの庭が見えた。
そして。
瓦礫の中から――一本の手が突き出した。
「……」
蒼真の顔が引きつる。
灰黒色の皮膚。
長い指。
鋭い鉤爪。
それが瓦礫を押しのけ、ゆっくりと立ち上がる。
「…………」
人型。
だが、人間ではない。
痩せた身体。
異様に長い腕。
尖った耳。
赤く光る瞳。
鋭い牙。
「……無理。」
蒼真は立ち上がった。
迷いはなかった。
逃げた。
「ぎゃあああああああああああああ!!」
「グエギエゴウゴグ!!」
背後から怪物の声が迫ってくる。
「何言ってるか分かんないけど絶対追ってきてるぅぅぅ!!」
全力疾走。
しかも手には、なぜか先ほどの刀を持ったままだ。
「なんで俺これ持ってきてんの!?」
自分でも分からない。
捨てる余裕がなかっただけかもしれない。
蒼真は庭を駆け抜ける。
松の木。
石灯籠。
飛び石。
塀。
昔から見慣れた自宅の庭なのに、今はすべてが逃走経路にしか見えなかった。
ちらりと背後を見る。
灰黒色の怪物が走ってくる。
「速っ!?」
蒼真は慌てて進路を変えた。
そして。
足が止まる。
「……あ」
前方。
一体。
松の枝の上。
一体。
そして横から――もう一体。
三体。
赤い瞳。
鋭い牙。
長い爪。
完全に囲まれていた。
「……囲まれた」
乾いた声が出た。
一体が低く腰を落とす。
「グルルル……」
「いや、待って」
蒼真は両手を上げた。
「話し合おう。文明的に」
「ギャアアアアアッ!!」
「文明なかったぁぁぁ!!」
怪物が飛び込んできた。
拳。
爪。
殺意。
蒼真の身体が固まる。
「――っ」
逃げろ。
頭ではそう思った。
なのに。
「か……」
動かない。
「身体が……」
足が。
腕が。
「身体が……動かない!!」
鋭い爪が迫る。
その瞬間。
蒼真の右手が――勝手に動いた。
「え?」
手が刀へ伸びる。
「ちょっ……」
身体が、自分の意思を無視して動き始める。
「身体が勝手に……!?」
青白い光が走った。
蒼真の青い瞳が、強い光を帯びる。
全身を青白い電撃が駆け抜け――
世界が変わった。
怪物の動きが、遅い。
いや。
違う。
自分の身体が、異常なほど速い。
「え、待っ――」
迫る爪を紙一重でかわす。
蒼真の手が怪物の腕を掴んだ。
「なんで掴んだぁぁぁ!?」
その勢いを利用し、身体が回転する。
跳ぶ。
「触りたくないんだけどぉぉぉ!!」
足が怪物の頭へ乗った。
「は?」
踏み台にした。
「はああああ!?」
蒼真の身体が空高く舞い上がる。
一回転。
二回転。
さらに捻る。
「なんで回ってるの俺ぇぇぇぇぇ!?」
空中で天地が何度も入れ替わる。
「いやいやいやいや!!」
そして――着地。
完璧だった。
「……できた?」
本人が一番驚いていた。
だが、身体は止まらない。
二体目が殴りかかる。
蒼真の身体が後方へ跳ねた。
宙返り。
「待って待って待って!!」
着地。
そのまま身体が回転する。
鞘から刀が抜かれた。
銀の刀身が、夕日を反射する。
一閃。
「うわっ!?」
斬った。
怪物の身体が止まる。
傷口から血は出なかった。
代わりに――
その身体が、端から崩れ始めた。
黒い煙。
黒い霧。
「黒い煙になったぁぁぁ!?」
蒼真は叫ぶ。
「それはそれで怖いんだけどぉぉぉ!!」
三体目が突進してくる。
「まだいるの!?」
身体が松の木へ向かって走る。
「そっち壁――木ぃ!?」
そのまま幹を駆け上がった。
あり得ない角度。
「俺こんなのできないって!!」
幹を蹴る。
後方宙返り。
怪物の頭上へ。
そして――
刀が振り下ろされた。
斬撃。
ずしゃっ。
「――」
怪物の身体が、縦に割れた。
一瞬。
時間が止まった。
蒼真の顔が引きつる。
「うわあああああああああああ!!」
割れた怪物が黒い霧へ変わっていく。
「今の音イヤぁぁぁぁぁぁぁ!!」
蒼真の絶叫が庭に響き渡った。
◇◇◇
最後の怪物が消えた。
それでも、蒼真の身体はなお動いた。
刀を構える。
刀身を払う。
そして。
流れるような美しい所作で――納刀。
カチン。
鍔が鞘へ収まった。
それはまるで、何十年も剣を振るってきた達人のような動きだった。
次の瞬間。
「……」
蒼真の身体から力が抜ける。
背中が丸くなる。
膝が少し外へ開く。
口が半開きになる。
先ほどまでの剣士の姿は、どこにもない。
「……なにが?」
庭に残っていた怪物の残骸が、静かに黒い霧となって消えていく。
風が吹いた。
「……」
蒼真は自分に言い聞かせる。
「お、お、落ち着け……」
そうだ。
落ち着くんだ。
「こういう時は……」
こういう時って、どういう時だ。
「あれだ……」
考える。
「深呼吸だ……」
吸う。
「スー……」
吐く。
「ハー……」
もう一度。
「ふぅ……」
「…………」
静かになった。
数秒。
蒼真は真顔になった。
そして。
「いやあああああああああああ!!」
全然ダメだった。
「落ち着けるかぁぁぁぁぁぁぁああああ!!」
頭を抱える。
「なんだよこれ!?」
手にした刀を見る。
「何が起きた!?」
もう一度見る。
「この刀か!?」
持ち上げる。
「この刀の力なのか!?」
今度は自分の身体を見る。
「なんであんなに動けた!?」
そして。
蒼真は、まるで必殺技でも叫ぶかのように天を仰いだ。
「俺、逆上がりで頭から落ちた記憶しかないんだけどぉぉぉぉぉぉぉ!!」
返事はない。
当たり前だった。
「……はぁ……はぁ……」
叫びすぎた。
肩で息をする。
その時。
蒼真の耳に、何かが届いた。
遠く。
微かに。
サイレン。
「……ん?」
救急車。
パトカー。
消防車。
それだけではない。
人の叫び声。
何かが崩れる音。
蒼真は顔を上げた。
「……まさか」
庭の向こうを見る。
そして――
言葉を失った。
◇◇◇
第三章 終わりの始まり
神楽市が、燃えていた。
「……街……」
遠くの住宅地から、黒煙が立ち上っている。
一か所ではない。
二か所。
三か所。
もっと。
街の至るところから、煙が上がっていた。
消防車が走る。
道路では車が立ち往生し、避難する人々が駆けている。
救急隊員が負傷者を運ぶ。
警察官が交差点を封鎖し、住民を誘導している。
サイレン。
悲鳴。
怒号。
黒煙。
そのすべてが遠くで重なり合っている。
なのに。
蒼真のいる庭だけが、異様なほど静かだった。
「……何が起きてるんだよ……」
少し前まで。
蒼真にとっての異常は、すべてこの庭の中にあった。
蔵を壊した怪物。
自分を追いかけてきた異形。
勝手に動いた身体。
そして、意味の分からない刀。
それだけだと思っていた。
違った。
これは――自分だけの事件ではない。
蒼真は空を見上げた。
巨大な亀裂。
夕焼けを引き裂く、黒い傷。
その周囲を黒い霧が漂っている。
「……なんだよ、あれ……」
街の屋根。
ビルの上。
路地。
あちこちで、人ではない影が動いている。
赤い瞳。
黒い霧。
異形の姿。
世界が。
本当に。
壊れている。
◇◇◇
テレビでは、世界各地から届いた映像が次々と流れていた。
『現在確認されている異常現象は、神楽市だけではありません』
日本地図。
次々と増えていく警告表示。
東京。
大阪。
各地方都市。
『国内の複数地域で、同様の空間亀裂および未知の生物が確認されています』
画面が切り替わる。
海外。
高層ビルの上空に走る巨大な亀裂。
軍用車両。
避難する市民。
歴史ある建造物の向こうから立ち上る黒煙。
夜の都市を赤黒く染める、異常な光。
『また、海外各国からも同様の報告が相次いでいます』
世界地図。
異常発生地点が、次々と表示されていく。
欧州。
北米。
南米。
アジア。
アフリカ。
――世界中。
『現時点で――』
画面に文字が表示される。
原因――不明。
発生源――不明。
発生条件――不明。
『政府および各国機関は情報収集を急いでいますが、現象の原因については、現在までに判明していません』
人類は。
何も知らなかった。
なぜ始まったのか。
何が起きているのか。
どこから来たのか。
どうすれば止まるのか。
世界は壊れ始めている。
それなのに。
人類には、その理由すら分からない。
◇◇◇
再び。
幸村家の庭。
風だけが吹いていた。
「……」
蒼真は、ただ立っていた。
刀を握ったまま。
遠くで燃える街を見る。
自分の手を見る。
刀を見る。
もう一度、街を見る。
「……なんなんだよ……これ……」
返事はない。
だが。
その時だった。
風の音が変わった。
「……?」
誰かいる。
背後に、気配。
蒼真はゆっくりと振り返る。
そこに――
一人の少女が立っていた。
黒いブーツ。
黒のニーハイソックス。
黒いプリーツミニスカート。
黒のゴシックキャミソール。
そして、その上から羽織った長い黒のコート。
夕暮れの風が、コートの裾を揺らしている。
長い黒髪。
透き通るような白い肌。
そして――
赤い瞳。
「……」
少女は、蒼真を見ていなかった。
いや。
最初に見ていたのは――
蒼真の手にある刀だった。
「その刀……」
静かな声だった。
蒼真は反射的に刀を見る。
「……え?」
少女の視線が動く。
今度は、蒼真自身へ。
「その魂……」
「……魂?」
意味が分からない。
少女は何かを確かめるように、じっと蒼真を観察していた。
敵意はない。
怒りもない。
ただ――
理解できないものを見る目。
「あなた……」
蒼真の喉が鳴る。
少女が歩く。
一歩。
黒いコートの裾が風に揺れる。
「本当に……」
もう一歩。
近い。
赤い瞳が、蒼真の青い瞳を真正面から捉える。
そして。
少女は問いかけた。
「人間?」
「…………」
蒼真は答えられなかった。
世界が壊れた、その日。
幸村蒼真は――
一本の謎めいた刀と。
赤い瞳を持つ、一人の少女と出会った。
この時の蒼真は、まだ知らない。
この出会いが。
遠い過去から続く因果が、再び動き始めた瞬間だったことを。
そして――
この日を境に、自分の平凡な高校生活が二度と戻らなくなることを。
――第1話 了




