その05 知恵
お茶の後、カルミノさんとレイさんは荷物を下ろしてティカイの街に向かった。宿を取ってあるらしい。
置いていった荷物は果物の砂糖漬けや香辛料、高価な蒸留酒に本、工芸品といった品々だ。高くて珍しいものばかりである。
「そういえば途中危なくはありませんでした?」
「山賊と詐欺師一組づつと会うたで、でもま、治安は今後回復するやろ?」
「そうなんです?」
「『冬の魔王 カーツ=マイレン』が討たれたそうやで。次は五十年か三百年か、ハインラティアもちっとは安定するはずやね」
ニカお姉さまもカルミノさんの雑談に、聞くともなしに耳を傾けていた私と、そしてエーコちゃんが、息を呑んだ。
『冬の魔王』が討たれた? エーコちゃん仇が。
エーコちゃんは青い顔で頭を振った。
「大丈夫?」
「それでも、何かを手に入れてからでないと、帰るに帰れませんよ……今は、みんなが無事に生き延びたことを祈るだけです」
囁きが返ってくる。前にエーコちゃんは、親しい人がまだ戦っていると言っていた。
私はエーコちゃんの頭を撫でて、手を握った。少しでも安心できるように。
「子供扱いしないでください、私は」
「かわいい後輩のエーコちゃんでしょ?」
私を睨む緑の目が一瞬驚きに見開かれ、すぐに潤みながら伏せられた。
エーコちゃんの実年齢は分からないけれど、溢れそうな感情を堪えてぎゅっと唇を噛むその表情は、ひどく幼く見えた。
夕飯は軽く済ませて、私は図書質に新しい本を見に行った。司書先生はもちろん本が好きなトチェドと、ついでにチオット、そしてロドゥバとヌーヨドが新しく届いた本の中身を確認していた。
「料理、医学、貴族名鑑、英雄譚、哲学書。さすがはデディ商会、分かってるね」
「あまり質の良い紙ではありませんのね。ここの本は装丁も粗悪ですわ」
「その代わり、びっくりするほど安いんよ」
デディ商会の本は羊皮紙ではなく植物の繊維で出来ていた。葉っぱを煮込んでドロドロにしたものを乾燥させて作るという、羊の生産に頼らず簡単に大量に作れるのが強みらしい。
その分ごわごわしていて文字も滲みやすくすぐに破ける。
安かろう悪かろうの典型だが、デディ商会の本は羊皮紙の本の三分の一以下のお値段で買えると聞くと、図書館保存用でなければ安い方を買っちゃうよね。
「いくら安くとも、顧客は貴族階級か富裕層なのですわね」
「そりゃそうだよ。中流以下に本を普及させるには絶対的に不足しているものがあるかんね」
「識字率ですか?」
口を挟む私に、司書先生が丸い眼鏡の下でヘラヘラ笑う。
うちの幼年学校に呼んでいる子供たちはともかく、農村では大人も文章が読めないのが一般的だ。
商人や地主などは文字を読めなければ成り立たない。
しかし、職人や小売業者の多くは文字が読めないのだという。
「文書などを使った伝達や取引は知識階級の仕事、平民が知恵をつける必要などありませんわ!」
「ロドゥバって、本当に馬鹿だよね」
ロドゥバって本当に馬鹿だよね。
「何ですの藪から棒に! 喧嘩の押し売りならへアルトを通して頂けますこと!?」
「ごめんごめん、声に出てた。貴族の建前が必要なのは知ってるよ。でも、わざわざ言って反感を買う必要はないって思ってさ」
ロドゥバはムッとした顔で私を睨んだ。ヌーヨドとチオットが私たちをオロオロと見比べる。しかしトチェドは平然としていた。
「本気で。平民に知恵は必要ないと思ってるの?」
「…………」
ロドゥバはしばし黙り込み、しかし小さく溜息をついてヌーヨドを撫でた。
ヌーヨドがロドゥバにとってある種の精神安定剤になっているのは確かだろう。動物や家族と触れ合う事で、気持ちを落ち着かせるのによく似ていた。
「一概には言い切れないと、最近は思っていますわ」
「最初からそう言えば、嫌がられないで済むと思うんだけど」
「煙たがられるのも貴族の仕事ですわ」
理解が出来ず、私は頭を振った。
「ちょっと難しいかな」
「分かってもらう気もございませんわ」
これ以上先には足がかりもない。
私は納得したふりをして話を逸らすことにした。
「所でロドゥバはどれ読みたいの? 私は医学か料理だなぁ」
「私はどれも興味がありますわ」
「あたしは英雄譚か哲学かなぁ〜、料理も医学も多分簡単なものをまとめただけだし、貴族名鑑に興味はないからね〜」
「ボクは料理か医学ですね、どちらも初歩だけでも抑えておきたいですから」
皆できゃっきゃしながら本を選ぶ。
それとは別に、ロドゥバには伝えておきたいことがあった。
「ロドゥバ、近い内にでいいからさ、手紙の書き方を教えてよ、今日は本があるし」
ロドゥバはちょっと怒ったような顔で、私をジロリを睨みつけた。
「お願いします」
「そこまで言うならば構いませんことよ、でも、今日に致しましょうか。本は逃げませんものね」




