その06 罪人
授業後、引き続き広間に集まってみんなで復習だ。雨は昨日よりも強くなり、寒さも強い。
私は元気の出る(気がする)苦めの薬湯を淹れて、小走りで中庭を通って広間に移動した。修道服の生地が分厚いから肌までは濡れない。
広間ではすでに今日の講義の事で盛り上がっていた。大事なのは、今回の講義が他の情報と矛盾するかどうか。
「魔王天冥の告発文は、これまで『檄文』として習っていたものでまず間違いがありませんわ。
本来他の貴族を味方につけるつもりで書いた文章が、どこをどう間違ったのか平民と『亜人』の手に渡り、各地での反乱を誘発する結果になったのでしょう」
「伝言ゲームだったのではないでしょうか。口伝が途中で変わったとか」
「で、でも……文章、なんですよね」
ロドゥバの目の付け所は良いと思う。本来ならば魔王天冥の告発は自分の生家に大きな損害を与える為のものだった。
問題は敵が国ぐるみだったということで、それでも味方をしてくれる貴族はいたと思う。
「帝国側が魔王天冥に不利な噂を撒いたのでしょう。彼を正義の告発者ではなく犯罪者を率いる反乱者に貶めた」
「手前がロドゥバにやってるみたいに?」
エーコちゃんがいいこと言った。
「わたくしの高貴なる魂は根も葉もないたわごとで汚すことなどできませんわ」
「事実無根じゃないから問題なんでしょ」
私はロドゥバをくさすヘアルトに乗って、もっと酷いことを言ってやりたい衝動に駆られていた。
だが、私はロドゥバが嫌いだけれど、これに関してロドゥバに非はない。
ただの八つ当たりで、嫌がらせだ。嫌なことを思い出してムカムカしているだけだ。
これでロドゥバに嫌がらせなんてしようものなら、それこそヘアルトと同じになってしまう。
「ほとんどの平民は、文章が読めないんだよ…………だから、読める単語をつなぎ合わせて、読みたいようにしちゃうんだ。
『帝国の非道な『亜人』強制労働の実態を暴く』とか書かれても、『帝国、悪い、亜人』くらいしか読めない」
そして、この現実が悪辣な地頭による法外な税の取り立ての道具になったりする。
「居たんだと思うよ。そうやって、都合のいいようにみんなを動かそうとした奴が」
そして、そいつは失敗した。
ラッハと魔王天冥だけを叩くつもりだっただろうに、争乱は飛び火して大陸全土に及んだ。
願わくば、『そいつ』が然るべき罰を受けていますように。
その日はチオットにお手紙を書いてから部屋に戻った。
あくびを噛み殺しながらドアを開けると何かが引っかかる。見ると、床とドアの隙間になにか引っかかっている。
「…………羊皮紙?」
折り畳んだ羊皮紙だ。誰がなぜ? 安いものでもない。不審に思いながらも部屋に滑り込み、ランプの明かりで文字を読む。
初めて見る字だ。私も人のことは言えないが、お世辞にも綺麗な文字ではない。
「親愛なるイウノへ。
ボゥ・ヤイナ』
ボゥお姉さまからだ! 眠気は一瞬で消し飛んだ。私はランタンを近付けて、手紙を食い入るように見た。
まさか返事がもらえるなんて想像もしていなかった。
『まずは手紙をありがとう。私の人生で手紙は悲しみでした。こんんなに嬉しい手紙は初めてです。
それだけで私の心は助かりました。それだけで私は元気になりました。』
手紙を書くのも、そもそも言葉を扱うのが苦手なのだろう。たどたどしく、誤字もある。それでも一生懸命に書いてくれたのだ。
胸の奥にぽっと火が灯る。凝り固まっていた部分がほぐれたような気持ち。元気を貰ったのは私の方だ。
『私の苦しみは、とても固人的で、ずるい問題です。それは私の秘密です。
きっとイウノは私を軽蔑します。私は弱いです。読むかどうかは任せます。明日、なじられる覚悟です。』
文字が震えている。
私は躊躇した。ボゥお姉さまの秘密がこの先にある。
それはきっとボゥお姉さまを酷く苛んでいる。恐らく毎夜の夢で苦しむ類の秘密だ。
好奇心が疼かない訳では無い。手紙を置いた時、秘密を教えてもらえるかもとか期待しなかった訳でも無い。
だから、後戻りはできない。私なんかでボゥお姉さまの助けになるのか分からないけど。
救われない人たちの事を授業で習っているからこそ、せめて身近な人には救われて欲しい。
私は深く息を吐いて、覚悟を決めて続きを読んだ。
『私は、『天冥戦乱』で帝国の特殊部隊『亜人狩部隊』にました。
『亜人』と呼ばれるヒトたちを捕まえて、処刑する部隊でした。
最初は反乱者や暴徒を捕まえて処刑をしていました。
いつのまにか、怪しいだけで捕まえて処刑をしました。
気がつくと、武器を持たないようなヒトを捕まえて―――』
文字が乱れる。文法や文字の間違いなんて気にならない程に、文章から強い感情が伝わってくる。
強い強い悲しみ、私も胸が苦しくなる。喉の奥に何かが詰まって苦しい。目の奥がツンとする。
『おかしいと気付いた時にはすべて遅く、私は狂いました。
私は許されません。
殺したヒトたちに毎日祈っています。
私は許されません。
エーコの目を見ると、私が殺した子供を思い出します。
エーコは私を許しません』
疑問が氷解する。やはりボゥお姉さまもエーコちゃんを『エルフ』か何かだと思っている。そして罪悪感で苦しんでいるのだ。
きっとニカお姉さまも同じ秘密を共有している。だから『天冥戦乱』の授業を聞いて、ボゥお姉さまの話が上がらないことを確認しているのだろう。
私はどうしたらいいのだろう、
何ができるのだろうか、何もできないのだろうか。
考えても考えても何もわからない堂々巡り、灯りを消してベッドに潜り込んでもずっとずっと息苦しくて、私はその晩眠れなかった。




