その09 好きの気持ちは嘘じゃない
「わたくしがこの巻を知らなかった理由がわかりましたわ」
朗読会の後、厨房で司書先生に喉に優しい薬湯を飲ませていると、興奮冷めやらぬロドゥバが入ってきた。
「どうしたのいきなり」
「リノイン先生、五巻は帝国では売られておりませんわね?」
「わかる〜?」
その場にいた私とチオット、そしてトチェドの三人で顔を合わせる。
売られていない? 販売禁止ってこと?
「この本は……刺激が強すぎますわ」
「……お姫様の事ですか?」
あの後、吸血鬼の姫は別れを惜しむカルマに『妾を傷物にした責任を取れ』と言い放つ。
姫はカルマに名前を伝える。その名を知るのはこの世に一人。良人になる男だけだとも。
「前々からカルマは『亜人』を大事にしていましたが……『亜人』との恋愛や婚姻まで描いてしまうと、帝国の役人が黙っていないと思いますわ」
「目の付け所がいいね〜、そうなの。売っちゃ駄目らしくてさぁ。まあ、毎回チキンレースだったんだけどね〜」
私はハッとした。チオットたちも気付いたようだ。カルマ・ノーディは単なる娯楽小説じゃなかったってこと?
「『亜人』との恋愛は、正直ゾッとしませんわ」
「そうですか?」
ロドゥバに口答えをしたのは意外なことにトチェドだった。彼女はちょっと悲しそうに、あるいは寂しそうに言葉を続けた。
「好きな人が、『人間以外のヒト』だったとして、好きな気持ちは嘘にはならないですよ? お互い言葉が通じるし、わかり合えるなら、友達にも恋人にも……」
「なれませんわ!」
一喝して飛び出していくロドゥバ、平民だけでなく『人間以外のヒト』も差別対象か。何がしたかったのやら。
「あらら〜、感想会をしたいなら素直に言えばいいのにね〜」
へらへら笑いの司書先生、私はふと、チオットとトチェドが気になった。
真っ赤になってもじもじしてるチオットと、自分が言ったことに恥ずかしくなってるトチェド。んん? んんん?
もしかして私、チオットの夢を見ない方がいいのかなぁ??
幼年学校も今日で最終日、今日の夕飯は厚焼きベーコンとカブのスープで、明日の朝にはかぼちゃの包み焼きだ。
年少組は二桁の足し算引き算、九九、簡単な割り算までを終わらせた。文字も少しは読めるようになったので、午後は好きな本を読んだり、あるいは指さしながら読み聞かせをしたりとなる。
「トチェドはさ……」
「え? なんでしょう」
「やっぱりなんでもない」
今日も寝不足気味な顔のトチェド。
詳しく考える必要はないし、知らないほうがいい。
もしもトチェドがへアルトの言う通り男の子だったとしても、あるいはただ女の子が好きなだけかもしれなくても。
トチェドは優しくて賢くて、何よりもいい奴で、チオットの事が好きで、ついでにチオットもまんざらじゃないならそれでいい。
おやつの時間を見計らい、私はチオットの視線を感じながらエーコちゃんに近付いた。
今日のおやつは乾燥豆。今晩と明日のごちそうの下ごしらえの関係で、かなりの手抜きだが子供たちは喜んでいる。
「エーコちゃん」
「イウノさん、どうかされました?」
豆を齧るのをやめて、大人びた視線が私に向けられる。
私は隣に座り、自分の分の豆を齧りながら口を開いた。
「アクリスの話、もしかして詩人さんに聞いた?」
「あれをご存知なのですか?」
あれ扱いとは酷い言われようだ。
確かにだいぶ胡散臭い人だけれど。
「年齢不詳で性別も分からない詩人さん?」
「名前は名乗らないし、そもそもフードのせいで顔もほとんど見せない詩人です」
同一人物だ。私は安心した。
「じゃあ、多分エーコちゃんの聞いた話は本当だ。だけど私は力になれない」
「………………」
「私は『人の秘密を調べること』に拒否感があるみたい」
「ニカトールさんよりも口が軽いかと思って聞きましたが、人選を誤ったようですね」
私は苦笑いした。
新人ぽいロドゥバとヘアルトは論外。喋れないボゥお姉さまも聞きようがない。
チオットとトチェドは性格的に情報収集に向いていなさそう。
そしたら残るのは私とニカお姉さまになるわけか。
「残念ながら、ニカお姉さまの方が口が固いので人選は間違ってないかな。
所で一つ確認したいんだけど、アクリスが見つかったとして、害意はないんだよね?」
「…………ないです」
「そっか」
ならばエーコちゃんの目的は、武器とか技術とか知識だろう。
「だったら、ソバ村に戻らずこのまま修道院に残ったら?
詩人さんの紹介なら院長先生も受け入れてくれると思うよ」
「でも、私にはお金が……」
私は笑い、エーコちゃんの背中を叩いた。
聖パトリルクス修道院は寄付金を求めない。他の修道院は知らないけど、少なくとも院長先生はお金を要求しないのだ。
聖パトリルクス修道院の門は、求めているすべての女性に開かれている。
「院長先生に相談してごらんよきっといい返事がもらえるからさ」
「…………はい」
さて、これでもう少しで今年の幼年学校もおしまいだ。
問題ごとの片も付きそうだし、聖パトリルクス修道院は今日も平和だ。




