戦闘狂
グレンの研ぎ澄まされた直感、そして〝風の精霊〟は、目の前の男──ビリディ・リエンから明確な〝悪意〟や〝殺意〟を一切感知していない。
では何故、彼はアリアを拘束し、さらにそれを奪われた後に追って来るのか? その行動原理にグレンは疑問を抱いていた。
不意打ちで叩き込んだ手刀に、意外と腹を立てているのだろうか? それともアリアに、よほど執着する理由があるのか?
そのどちらも考え難かった。
なせまなら、グレンがアリアを木陰に降ろしたにも関わらず、再度、彼女を奪おうとする素振りを全く見せない。そもそも彼女の存在自体に興味が無さそうだった。
そうなると考えられるのは。この男の興味は、〝戦闘行為そのもの〟にあると、そうとしか結論付けられなかった。
つまり、ビリディという男は、戦いに夢中になるタイプ。純度百パーセントの〝バトルジャンキー〟である可能性が極めて高いのだ。
「少し、質問してもいいですか?」
「余裕だな! まさか命乞いか?」
その顔に笑みを浮かべながらも、容赦なく振られるビリディの剣は、グレンの首元を掠める。
剣の形状こそ湾曲した異国のシミターだが、その軌道は最短距離を真っ直ぐに伸びてくる。
それを紙一重でかわしながら、グレンも平然とした顔で情報の裏付けをはじめる。
「あなたが聖王国の水巫女を拐った犯人ですか? 」
「間違っちゃいねぇが、正解でもねぇな! 少なくとも、俺が直接あの国から拐ったわけじゃねぇならな」
ビリディの剛腕から繰り出される上段からの兜割りを、グレンは風の魔法で吹き飛ばすように軌道を変える。
しかし男の体幹はバグっており、僅かにも体勢を崩す事なく、横一線の薙ぎ払いを返してくる。
それをグレンは、上体を大きく仰け反らせてかわすが、その速さはグレンの予測演算を僅かに上回った。グレンの頬の皮膚が浅く切り裂かれ、一筋の傷を付けられる。
裏社会の盗賊なんてやっていなければ、表舞台で歴史に名を刻む英雄として名を馳せる事も出来ただろうに、と思いながらグレンは説得するように呼びかける。
「正直なところ。僕は水巫女の国家的事情にはあまり興味がありません。でも、彼女を返してもらわないとギルド的にも色々と困るんですよ」
「ハッ! じゃあ四の五の言わずに、この俺をぶっ殺して奪い取ればいいだろう!」
強烈な踏み込みで懐に飛び込んで来るビリディ。咄嗟に距離を確保する為、グレンは一旦後方へ大きく飛んだ。
当然、それを見越したビリディの更なる一撃が向かってくるが、グレンは着地の直前に〝浮遊移動魔法〟で、重力を無視した真横へのスライドでそれを回避する。
物理法則を完全に逸脱したグレンの変態的な回避術には、さすがのビリディも追いつけず、苛立たしげに舌打ちした。
「チッ! おい、チョコマカ逃げてんじゃねぇーぞ!」
「あなたは、ワーズサニーの牢獄から文字通り逃げ出した盗賊じゃないですか。もう一度監獄へ戻ってくれると助かるんですが……」
「……その冷静ぶった物言いが気に入らねぇな。じゃあ、その澄ました面を少し〝熱く〟させてやる」
と、獲物を狙う猛禽類のように表情を険しくしたビリディは、次の瞬間。突如として剣の軌道を変え、明後日の方向の木陰で大人しくしている『アリア』目掛けて、魔法の剣を全力で振り抜いた。
圧縮された空気の断層が生み出した真空の刃が、状況を飲み込めずキョトンとしているアリア目掛けて飛んでいく。
「卑劣な!」
グレンの咄嗟の風魔法により、ビリディの風の刃は相殺された。ただ、グレンが反射的にそう行動する事は完全に読まれており、それこそがビリディの狙いだったのだ。
グレンのコンマ一秒の隙を狙いすまして、ビリディの凶刃がグレンの頸動脈へと迫る。
さすがに避けられないと思われた、その瞬間。──ズォォォン!!と、大気があげる悲鳴と共に、虚空から現れた〝光る風の剣〟が、ビリディの必殺のシミターを、寸前の距離で受け止めていた。
それは超高密度の風が渦を巻いて極限まで圧縮されたような、長さ一メートル程のエメラルドグリーンの光を放つ魔法の刃。
これには流石のビリディも目を見開いて驚愕し、弾かれたようにグレンから数歩距離をとった。
グレンの奥底で厳重に制御されていた〝風の精霊〟が、主の危機で強制解放され。攻守は完全に逆転した。
グレンは、その光る〝風の剣〟を握りしめ、事態の急変に戸惑っているビリディ目掛けて飛びかかる。
精霊を解放したグレンの移動速度は、もはや残像すら残さない速さ。
しかし、ビリディも負けていなかった。明らかに先程の数倍の速さがあるグレンの斬撃をシッカリと己の剣を使い受け流していた。
ビリディの首元に冷や汗が流れた。恐るべき反射神経だが焦りは感じていたはずだ。
ところが、次の瞬間。むしろ彼の表情は絶望ではなく極上のドラッグを与えられたかのような『喜悦の笑み』へと歪んでいた。
「ハハッ! やっと本気を出したかよ……!」
喜びを噛み締めるように呟いたビリディが、力を溜め込むように姿勢を極端に低くした。
その姿は、まるで獣が獲物の喉笛に飛びつくが如き姿勢だが、その予想通り、一秒も待たずに剣を突き出してミサイルのようにグレンに向かって飛び出していた。
かつて、王国最強の騎士団長ナルシーに、重心移動の予備動作すら完全にゼロの状態からの神速の突き技を見せられた事がある。
原理は異なるが、ビリディの突き技もそれに酷似した、神速の攻撃のように思えた。しかし、その突進速度は実際ナルシーの洗練された技よりも速かった。
グレンの動体視力ですら、彼の姿がブレて見えるほどに。
だが、目に追えないわけではない。精霊と同調している今のグレンには十分に反応出来るレベルだ。
物理的な『重さ』の概念すら存在しない風の剣による速さは、ビリディのシミターの切っ先と正面から激突し、火花ならぬ魔力の粒子を散らしながら、凄まじい勢いで鍔迫り合いへと持ち込まれる。
ただ、グレンの剣は単なる光の剣ではない。チェーンソーのように超高速で小さく渦を巻く『無数の風の刃』。
接触しているビリディの鋼のシミターに、チュイイィン! と耳障りな音を立てて、その耐久をゴリゴリと削っていく。
このままでは確実に己の剣が破壊されると直感的に判断したビリディは、その鍔迫り合いの体勢から、相変わらずの異常な体幹で繰り広げられる前蹴りをグレンの無防備な腹部に打ち込んでいた。
鍔迫り合いにリソースを全振りしていたグレンは、急な蹴りに対応出来ず、内臓が揺れるような重い鈍痛が腹部を襲う。
今度は、グレンの方から距離を取った。
「チッ。急にムキになりやがって。その光る魔法剣は反則だろうが。そんなに女を狙われたのがムカついたのか?」
「……あぁ、うるせい! 俺の女に手を出した事を、あの世で後悔させてやる」
思わず口をついて出た言葉に、脳内の片隅にあるグレンの理性が激しく頭を抱える。
戦闘の途中から自分の中の精霊に肉体を奪われ、普段のグレンらしからぬ言葉が口から飛び出した。
「はは…… ムキになると性格変わるタイプかよ。だが最高だ。俺は、そっちのお前の方が好みだぜ!」
「うるせぇ。テメェのその減らず口、永遠に黙らせてやる!」
一呼吸置いて、グレンとビリディは、示し合わせたように全く同時に地面を蹴っていた。
森の木々を薙ぎ倒しながら、飛び回る二人の超音速の打ち合いが始まる。それはグレンにとって、ここ最近見ないほど激しい攻防だった。
風の魔力を駆使した三次元的な高速移動で戦うグレンに対し。ただの並外れた筋肉のバネだけで森の環境オブジェクトを最大限に利用し、縦横無尽に飛び回るビリディには、さすがのグレンも度肝を抜かれていた。
傍目には互いの力は完全に均衡しているように見える。だが、グレンは攻撃魔法を一切使用していない。それを使用すれば一瞬で森ごと吹き飛ばして決着はつくだろう。
しかし……何故か、それをする気にはなれなかったのだ。
それは合理性を重んじるグレンのこれまでの人生において、今までにない不思議な感覚であり、グレン自身も自分の感情の揺らぎに驚いていた。
(……この男とは、魔法じゃなく、純粋な『近接戦闘』で決着を着けたい)
そんな非論理的な事を思考してしまう。
これも全ては、表層に引き出された風の精霊の傲慢さに影響されているのかもしれないが。
グレンは己の口元にもビリディと同じような凶悪な笑みが浮かんでいる事に気付いていた。
彼の中に棲む〝精霊〟は、目の前の男に負けず劣らず、救いようのない〝戦闘狂〟だったのだ。




