取り引き
強制的なシャットダウンから意識が浮上したアリアが重い瞼を開くと、そこは見知らぬ埃っぽい小部屋の中だった。
大きめの窓枠には無数の細かい幾何学模様が施されたアンティーク調のガラスが嵌まっており、そこから差し込む夕陽が床に精密なステンドグラスのような複雑で美しい影を落としている。
外の景色は間違いなく自身が香草を摘んでいた西の森の植生だが、自分がどういうプロセスを経てこの部屋にいるのかの記憶は完全に欠落していた。
すると、軋む音を立てて部屋の扉が開き、一人の大柄な男が現れる。
その奇抜な銀色の前髪と腰に携えたシミターを見た瞬間、アリアの記憶が思い起こされた。
「……ちょっと、これは一体どういう事? いきなりレディを拉致なんて、野蛮にも程があるんじゃない?」
「悪いな、姉ちゃん。少しばかり眠ってもらったんだ。あんたが敵か味方か、あるいはただの野次馬か、身元が全くわからねぇからな」
「……あなた、シャトルファング盗賊団の超特級賞金首よね?」
「チッ、やはり面が割れてるか。お互い身分がわからねぇ方が、もっと建設的に話し合えたかもしれねーな」
男はアリアの正面に置かれた年代物のソファーに、無遠慮に脚を組んで深く腰かけた。
その態度には捕食者のような絶対的な〝余裕〟が滲み出ている。おそらくは、自らの力に圧倒的な自信があるのだろう。
「一緒にいた青い髪の女の子はどうしたの? あの子、ひょっとして聖王国から拐われた水巫女じゃないの?」
「それもわかってるのか。……それで、どうするつもりだ? ここで俺を力ずくで倒して、あのガキを英雄気取りで連れて帰るか?」
「当たり前じゃない! 大悪党の好きにはさせないわ! ──我が光の力よ、邪悪を退け────」
「やめとけ! ここで魔法を使うと結界の反発で全身の魔力を根こそぎ持っていかれるぞ。ちなみに、そこの窓やドアを不用意に開けようとするのもやめとけよ。腕が消し飛ぶからな」
男は極めて実務的に、しかし強めの言葉でアリアの行動を制した。そして、その忠告がブラフではないという事はアリアの神経にも伝わっていた。
詠唱を開始した直後、体内の魔力回路にアクセスしようとした自らの魔力が『目に見えない緻密な網目』のような何かに吸い取られ、霧散していく感覚に襲われたからだ。
部屋の壁一面に呪符や魔力回路が隙間なく刻み込まれているかのような、異常な密度の魔力結界を感じさせた。
「……随分と用意周到なのね。この悪趣味な建物は、あなたの隠れ家ってわけ?」
「それは違う。これが誰の持ち物かは知らないが、随分と高度な魔力結界が〝最初から〟構築されてた。ちなみにこの部屋だけじゃない。この家、丸ごとが巨大な結界になってる」
「……だったらあなたは、どうやって死なずにこの家に入ったのよ」
魔力結界というシステムは、仕掛けた術者本人でなければパススルーは不可能だ。
それ以外の者が不正に解除を試みれば、カウンターとして致死量の魔力暴走を引き起こし、〝死〟に直結する。
まして、目の前の男が言うような『家全体を護る規模の結界』ならば、その出力は一個大隊を消し飛ばすほどだ。
「ひょっとして、ここ……ルウラ近郊で噂になってる幽霊屋敷?」
「は? なんだそりゃ? そんな地元のオカルトなんて俺が知った事かよ。俺もさっき見付けて、雨風を凌ぐために利用してるだけだ」
アリアは聞いたことがあった。西の森の奥深くに〝幽霊屋敷〟と呼ばれる館が存在する事を。
それは古い洋館で、誰も住んでいないはずなのに夜になると明かりが灯っているのを目撃した者が多数いるという。
だが、人の気配はなく、冒険者が入ろうとしても〝不気味な気配〟に気圧され誰も中に入れない事から『幽霊屋敷』などと呼ばれている。
しかし、そんな絶対防壁の領域に目の前の男が何食わぬ顔で入れたのだとすれば。
彼は、この家に強大な魔力結界を張り巡らせるほどの大魔道士を凌駕するほど卓越した魔道士という事になる。
(……マズいなぁ。私の魔力は結界によって完全に使えないし)
今のアリアには少しでも情報を引き出すくらいしか手立てが無かった。
「一体何が目的なの? 水巫女は無事なの?」
「聞きたいのは俺の方だ。何故、あんたは隠れて俺達を観察してた?」
「そ、それは…… まあ、なんとなく直感的に隠れたのよ……。 ただ通りすがっただけよ」
アリアの苦しい言い訳に男は一瞬、心底呆れたような間抜け面をしたが。すぐに立ち上がり、無防備に部屋のドアへ向かう。
「ちょっと、どこ行くの?」
「少し待ってろ。俺の口から話しても、どうせ信じちゃもらえねぇだろうからな」
そう言い残して男はなんの躊躇いもなく、強力な結界が張られているはずのドアノブを回し部屋を出ていった。
真に、家全体に結界があるならドアを開ける事すら不可能なはず…と、その矛盾に疑問を持ったアリアは静かにドアに近付き、恐る恐るドアノブへ手を伸ばす。
結界が稼働しているなら、触れる瞬間に体内の魔力が反応するはずだ。
「だ、大丈夫……。あの男が普通に開けたんだから。結界で死ぬなんて…私を閉じ込めておくためのブラフに決まってる」
そう自らを鼓舞しながら、アリアが慎重にドアノブに指を触れようとした、その瞬間。〝ガチャッ〟と外側からドアノブが回り、慌ててアリアは後方へ飛び退いた。
開け放たれたドアの向こうで、ついさっき部屋を出ていった男が呆れ顔で深いため息を漏らしている。その背後には青髪の少女が連れ立っていた。
「おい、本気で死にたいのか? 俺が平気なのは、俺の体内には〝生まれつき〟魔力という概念が1ミリも存在しないからだ。お前や、このガキが不用意にドアを開けたら一瞬で消し炭になるぞ」
「……魔力ゼロの人間?そんなデタラメが……」
「信じられないなら身をもって試すか? お前の腕の一本くらい消し飛んでも俺は構わねぇが。ただ、その前に一つだけ俺の話を聞いてくれると助かる」
アリアは男の背後に隠れる青髪の少女を観察したが、その表情からは目の前の大悪党を怖がっている様子が微塵も感じられなかった。
つまり、この男は誘拐犯でありながら、被害者である彼女から一定以上の『信頼』を勝ち得ているという事なのだとアリアは判断した。
「……わかったわ。一体、何を聞けばいいの?」
「まず前提として、このガキは見ての通り本物の〝水巫女〟だ。そして俺の目的は、このガキを故郷の聖王国まで無事に送り届ける事。その為の安全な船を、あんたが手配してくれ」
「なに寝言を言ってるの。いくらなんでも特級の盗賊にそんな重要人物を任せられるわけないじゃない! それだったら、私が保護して責任持って連れて行くわ!」
「それは出来ない相談だ。悪いが、見ず知らずのあんたを信用してない」
どの口がそれを言うのだ…と口から零れそうな思いを飲み込みつつ、アリアは男を睨み付けた。指名手配の盗賊を無条件で信じろと要求するだけでも図々しいの要求だが、逆にこちらが信用できないと切り捨てる態度が腹立たしい事この上なかった。
この男は絶対に何か裏で考えている。と、アリアが疑いの目を向けていると。ふと、背後の少女が小さく口を開く。
「わ、私は……王国内部の裏切り者によって連れ出されたの。だから、簡単にはあなたの事も信じられない……」
「なら、どうしてその怪しい男の事は信じるの!?」
「……わからない。でも、この人は……悪い人から私を守る為、自分の命を投げ捨てる事が出来る人……」
それを聞いたとて、アリアには完全に少女が男に洗脳され騙されているようにしか思えなかった。
しかしながら、この圧倒的な魔力結界の中。彼女を武力だけで奪還するのは現実的ではない。
……ここは一旦、取引を引き受けたフリをしてルウラに戻り、グレンに状況を伝え、助けを求めるのが最適解だと、アリアは戦術的撤退へと舵を切る事にした。
「……わかったわ。船を手配すればいいのね?」
「引き受けてくれるか?」
「ええ、仕方ないわ。じゃあ、私をここから出して」
こうして偽りの契約が成立しそうになった、その時。
男が急にピクッと反応し、鋭い視線を窓の外へ向けた。
アリアも釣られてそちらを見ると、家の外、窓から見える森の木立の間を、何故か不機嫌そうにキョロキョロしながら歩くグレンの姿があった。
「チッ、くそっ! 誰か近づいて来た。屋敷の主か、それとも海軍の犬か? おい姉ちゃん、もしもの時は交渉のカードとして人質になってもらうぞ!」
警戒度をMAXに跳ね上げた男に、急に腕を強引に掴まれたアリアが、思わず小さく悲鳴をあげた────その直後。
ステンドグラスのように美しい影を落としていた巨大なアンティークの窓ガラスが、外側から圧倒的な質量を受けたかのように一斉に粉々に砕け散った。
その破砕音と同時に、常人の動体視力では視認できないほどの速度で、風の魔法を纏ったグレンが部屋に飛び込んでくる。
男が反応するより早く、アリアの身体はグレンの腕の中にふわりと抱き上げられ。
次の瞬間には、アリアは一瞬にして窓の外の安全圏へと連れ出されていた────。




