事件の解決
「……アリア……さん?」
グレンの喉から、間の抜けた声が漏れた。
彼の論理的思考では、99パーセント以上の確率でアリアはシャトルファングの残党に拉致されていると仮定・計算していたからだ。
ところが、どうだ。
目の前で不機嫌そうにペンを走らせるフィルネの横で、当のアリア本人はすこぶる元気に、無傷で、しかも何故かひどく嬉しそうにグレンに向かってブンブンと手を振っていた。
切迫した表情から一転、完全な処理落ち状態に陥ったグレンが「ど、どういう事ですか?」と訊ねると、アリアはキョトンと首を傾げた。
そこでフィルネがバンッと音を立ててペンを置き、溜め息交じりに種明かしの解説に入る。
「あー、それはね。騎士団の皆さんが完全武装でベイナント渓谷へ出撃する直前に、このアリア様がひょっこりギルドに戻って来たのよ」
「えっ? でも僕は騎士団の人に現場で『アリアさんを見なかったか』って聞いたのに、全員が……」
と、反論しかけた言葉の途中で、グレンはハッとして口を噤んだ。
あの時、自分が騎士団のソーサルに尋ねた言葉を脳内で再生し、致命的なエラーに気付いたのだ。
『ここに来る〝途中〟に、〝赤髪の冒険者〟を見ませんでしたか?』
────という、極めて限定的な質問を。
「……ああ、そうか。僕は主語を『アリアさん』と明確に指定しなかったし、時系列も間違えていたのか」
それならば、あの質問に対して騎士団全員が「誰もいなかった」と否定したのも論理的に頷ける。
何故なら、彼等がアリアを視認したのは『ルウラを出発する前』のギルド内での出来事であり。
ルウラから渓谷へ向かう暗い街道の〝途中〟では確かに誰も見ていないのだから。
詰まるところ騎士団は、シャトルファングの拠点の可能性が高い死地へ単騎で乗り込んだ、グレンの安否確認と援護に向かっただけで。
あの時点で既に街で保護されていたアリアの事など、捜索任務のタスクから完全に除外していたのだ。
しかも現場に到着して早々、血塗れでボロボロの冒険者とグレンを見れば。治安維持組織としては「アリアの安否」よりも「渓谷で一体どれほどの地獄が起きたのか」という状況把握が最優先されるのは、至極当然のプロセスだった。
(どうりで『キミがグレンくんだね?』と、開口一番に僕の安否だけを確認してきて、アリアさんの事には一切触れなかったはずだ……)
己の『主語の欠落』が招いた絶望的なすれ違いに、グレンは深々とひたいを押さえる。
「そ、そういう事でしたか……」
「……ねえ、グレンくん。その、やっぱり……私の事、本気で心配してくれてた……とか?」
「え? な、なんでですか? そりゃあ、ギルドの従業員として冒険者の安否は心配しますよ」
何故かアリアは、顔を茹でダコのように真っ赤に染めてモジモジしている。
このアリアの非論理的な言動が、グレンには不思議で仕方なかったのだが。その解答は、またしてもフィルネが横から冷や水を浴びせるように教えてくれた。
「そりゃあねぇ。普段は仏頂面で感情死んでる男が、あんだけ必死な形相で『アリアが危ない! 助けなきゃ!』なんて叫びながら飛び出していったら、誰だって勘違いの一つや二つするわよ」
「そ、その話。やっぱり本当だったんだ……。私、グレンくんにそこまで感情的に心配されるなんて思ってなくて……えへへ」
アリアのニヤケ顔を見て、再びグレンはあの時の己の醜態を思い返しながらも、思わずフィルネに抗議する。
「なっ! ぼ、僕は、そんな恥ずかしい事……!」
「バッチリ言ってたわよ。証拠が欲しければ、あの鍛冶屋のルクルに聞いてみれば?」
そうキッパリと事実で殴られては、確かに言ったような記憶が蘇る。
途端に、グレンの顔面温度が急上昇し、熱を帯びる。
(アリアの顔が赤くなったのは、そういう事か……!)
逃げ場を失ったグレンは、余計な火に油を注いだフィルネを恨めしげに一瞥するが。
彼女は何故か「フンッ」と極めて不機嫌そうにそっぽを向き、書類を乱暴に束ね始めた。
はぁ……と重いタメ息を漏らすグレンの横から。あろうことか、一緒に死線を潜ったネジイが、アリアへ向けて決定的な追撃の言葉を添えた。
「……無事なら良かった。お前が見つからなくて、彼は見た事もないほど相当に慌てていたからな。『拉致されたのかもしれない、僕の推理ミスだ』と自分を責めながら、血相を変えて急いで帰ってきたのだ」
その言葉に、アリアは「ひゃぅっ」と変な声を上げて更に顔を赤くし、両手で顔を覆った。
(どうしてこの男は、こういう時だけ急に〝お喋り〟になるんだ!?)
と、グレンは若干ネジイに明確な殺意すら感じつつも、これ以上のダメージを避けるため慌てて話題のベクトルを捻じ曲げる。
「そ、そうだ! け、結局のところ。どうしてアリアさんは、目的地であるベイナント渓谷へ行かずに、途中で街に引き返してきたんですか?」
結局、最大の謎はそこなのだ。
アリアが依頼を受けて直ぐにギルドを出立したのは間違いないが、それでも歩きでその日のうちに戻って来れるような距離ではない。
つまり、依頼自体を終わらせたわけではない事は明白。
その不可解な行動のアンサーを聞きたいと、グレンとネジイはアリアの赤い顔をジッと見つめた。
すると彼女は、少し気まずそうに視線を泳がせながら、ゆっくりと口を開く。
「あ、うん。なんかそんな死闘の裏話を聞いちゃった後だと、凄ぉく言いづらいんだけどね。街は勢いよく出たんだけど……、一時間くらい歩いてから私、『そういえば、採掘なんて一度もやった事ないなぁ。そもそも鉄鉱石ってどんな石?』って、途中で気付いたの」
「……はい?」
「とりあえず現場に行けば何とかなるかなぁ? って思ったんだけど。やっぱり、何日もかけて行って手ぶらで帰る無駄骨になるくらいだったら、一度戻ってから、あの鍛冶屋さんに『鉄鉱石の見分け方』を聞いてから出直そうかなって思って。そしたら、ルクルくんの家の前で何か凄い騒ぎになってて……ね?」
既に本人から事の顛末を聞いていたらしく、フィルネの反応は死んだ魚のような目で平然としたものだったが。
死地から帰還したばかりのグレンとネジイは、文字通り開いた口が塞がらなかった。
当の戦犯たるアリアは、というと。
コツンと自分の頭を叩き、テヘペロ────と、効果音がつきそうなほど悪びれない様子である。
狂人サヴァロン(偽)の悍ましい野望も、強化ゴブリンとの壮絶な死闘の記憶も。
今やグレンの中では、アリアのこの致命的な〝天然ボケ〟の前に全て持っていかれてしまい、全身の骨格がゼリーになったかのような脱力感に襲われていた。
────そして翌日。
グレンとネジイは第一騎士団からの正式な呼び出しを受け、王国最強の騎士ナルシー・ロミリアンスに対し、全てを説明するに至った。
隠し洞窟での強化ゴブリンの残党との戦闘、狂人サヴァロン(偽)の正体、そして本物のサヴァロンとネジイの関係など。
これにて、王都を脅かした一連のゴブリン事件は完全に解決を見たわけだが。聴取の最後に、ナルシーから極めて直接的な提案があった。
「ところで、グレンくん、ネジイくん。二人は第一騎士団に入るつもりはないかな?」
国家転覆の危機を未然に防いだ事は、計り知れない大功績だ。
次いで、騎士団でも手を焼いた強化ゴブリンの親玉を物理的に掃討したのだから、人材コレクターである彼がそう出るのは当然の帰結かもしれない。
────が、グレンは一秒も迷わずに断った。
ナルシーに告げた辞退の理由は『平穏な事務員生活を続けたい』という適当に取って付けた物だったが。本音を言えば、グレンにはソティラスという裏の仕事が最優先のタスクだったし、そもそも軍隊のような『集団での組織的活動』はコミュ障にとって地獄でしかないからだ。
ただ意外だったのはネジイで、こちらは「……やらせてもらう」と、即答の二つ返事だった。
そこには、口数の少ないネジイなりの、深い思惑があるようだ。
というより、ネジイ自身のエゴだけに有らず、今は亡き〝母〟への想いでもあった。
かつて本物のサヴァロンが極悪非道な賞金首として手配された時。その罪を頑なに信じなかったのは、愛想を尽かして離婚したはずのネジイの母だったという。
その母の無念と信じる想いを背負い、ネジイは全ての真相を知る為に、一人で危険な調査に身を投じたのだ。
詰まるところが。
サヴァロン・デミタスの実の息子として、誉れ高き王国騎士団の制服に身を包み活躍する事は、世間に広まった〝亡き父の汚名返上〟の何よりの証明であると。
それは不器用なネジイなりの、最大限の〝弔い〟なのだろう、とグレンは静かに納得した。
一方で、騎士団のスカウトを蹴ったグレンだが。
それでもナルシーは諦めが悪く、度々グレンを勧誘しに、いや、様子を見にギルドへ顔を出すようになった。
とはいえ、何故か毎回フィルネがグレンの盾となり、猛犬のような剣幕でナルシーを追い払ってくれる為、グレンとしては非常に助かっている。
現在の最大の問題は、アリアが以前にも増してギルドに入り浸っては、用もないのにグレンに絡んでくるようになった事だ。
そして、それが何故かフィルネの癇にクリティカルヒットするらしく、二人の間に生じた静電気のトバッチリが、結局グレンへの理不尽な八つ当たりとなって反ってくるので。
グレンとしては『平穏』に助けられているのか、それとも別の戦場に叩き込まれているのか、判断に困るといった日常が続いていた。
そんなドタバタが日常化した冒険者ギルドのルウラ支店は、雨季の憂鬱を吹き飛ばすように、連日多くの冒険者達で賑わっている。
掲示板には、物流が回復した事で以前にも増して多くの依頼書が張り出されており。割りの良い金脈はないかと、冒険者達は血眼で掲示板をチェックしていた。
当然、その応対をするフィルネたち従業員は、毎日慌ただしく店内を走り回っているのだが。
今日もグレンは、掲示板の片隅で〝極めて暇そうに〟ぼーっと不良債権の依頼書を眺めている。
最近では「あの地味な事務員が、裏で強化ゴブリン事件を解決した真の英雄らしいぜ」などという〝有り得ない(が事実の)噂〟を、愛想笑いで否定する業務がルーティンに加わり。
不本意な事に、今やグレンはルウラ支店のちょっとしたマスコットキャラへと昇格していたのだった。




